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【あべ本#20】柿崎明二『検証 安倍イズム――胎動する新国家主義』

「待ってました」の一冊

今回で20冊目の節目になります「あべ本レビュー」ですが、(ようやく?)政権支持派も、批判派も、読んでおくべき一冊に行き当たりました。これまでのは何だったんだという話ですが。

筆者の柿崎氏は共同通信編集委員兼論説委員(刊行当時)。私はTVはほとんど見ないのですが、氏はTVに時折出演してコメントをしているようです。

本書は柿崎氏自身の思想(安倍政権にはかなり批判的だと思われる)をなるべく出さず(それでも漏れ出てはいる)、安倍政権の政策と安倍総理自身の公的な場やインタビューによって発せられた発言から、「安倍イズムとは何か」を浮き彫りにしています。

ウラの取れない裏話や過度な期待/批判、それによって書き手自身のポジションを明示するような書き方をせず、〈議論の余地のない〉公開情報のみを素材とすることで、「フェイクニュースだ」「そういう意味での発言じゃない」といったような真偽論争を避けながら、「安倍政権・安倍晋三」を深堀していく――。これまでの「あべ本」19冊においては、新聞記者や政治学者の本も取り上げてきたわけですが、「ようやく安倍政権を考えるうえで、現在だけでなく後世においても真摯な検証に堪えうる一冊に行き当たった」という感じです。

公開情報内の発言を拾っては解説する淡々としたスタイルであり、もちろんその「拾い方」そのものに一定のバイアスはあるわけですが、正直めちゃくちゃ面白かったですし、私が安倍政権に対して抱いている疑問を解消する一助になりそうな部分が多々ありました。

安倍のスタンスは保守ではなく社会革新

経済政策や歴史認識問題、教育行政から国家観まで、徹底して「本人の発言」に絞って安倍総理のスタンスを検証していった結果、行き当たるのは「安倍総理はそもそも保守思想の持ち主なのか」や、「『国家』をどう認識しているのか」といった点。政策を支える「基礎」にまで検証の目が届いており、本書を頭から順に読んでいくと、「下(末端の政策に対する安倍発言)から積み上げた時に見えてくる全体像」が次第に明らかになり、頭から決めつけて評価する他の「あべ本」とはこの点でも一線を画しています。

特に私にとって重要だったのは、「安倍総理の言っている自身のスタンス=開かれた保守、は実際は社会革新ではないのか」という指摘。

保守と言われる人々の中でも、この6年の安倍政権の評価はかなり分裂してきており、「安倍政権の政策は保守主義とは相容れない」と憤慨し批判に回る保守派が次第に増えてきています。私もそちらに近い立場。「保守だと言ってきたのに、嘘だったのか!」というわけなのですが、そもそも安倍総理が保守なのかどうか、きちんと検証しないまま「改憲派だから」「反左翼的だから」「朝日新聞嫌いだから」で評価してきた面は否めません。

本書では安倍総理のスタンスを「社会革新に近く、岸の国家社会主義の影響を受けた統制経済・計画経済を理想とし、個人の働き方や家庭にまで国家介入を進める姿勢である」としています。

さらに小泉構造改革と比較し、市場経済に任せて国家の干渉領域を縮小した小泉とは違い、安倍は規制緩和を進める一方で、諮問会議という「民と官の間」をうまく利用しながら、結果的に国家がかかわる領域を拡大していると指摘。

この解説は数ある安倍政権批評や解説でもあまり見たことがないものであり、こうした違いがあるにもかかわらず差異を詰め切らずに評価したり批判してきたりしたために、親も反も安倍政権に対する評価がねじれ切ってしまったのではないでしょうか。

また、質の違う二つの「改革」の間で暗躍している竹中某とは一体何者なのか……という疑問も深まります。

「いつから安倍を保守だと誤解していた?」

まさに「いつから安倍を保守だと誤解していた?」という話なのですが、安倍総理自身は、「社会革新」でありながら、情緒的な「愛国心」を持っていると公言している。そこに誤解の元がある。

「保守か、革新か」という対立軸しかない状況で安倍総理を評価すれば保守に入ってしまったのもむべなるかな。実際には革新でも、情緒的愛国心で包めばそれは「瑞穂の国の資本主義」にパッケージされてしまうわけです。

こうした点を、一部の人たちは「安倍政権は鵺である」と評してきたわけですが、それを安倍総理の公的な発言のみから明らかにした本書と筆者の功績は大きいのではないかと(「安倍は保守かどうか」にこだわっている私にとっては)思うわけであります。

さらに安倍総理が言うところの「愛国心」が、戦後民主主義の風潮の下での「ナショナリズム批判に対する逆張り」だった部分は少なからずあるでしょう。だからこそ、中韓には強く出ても(最近は中国に甘々ですが)ナショナリズムの根幹とつながるはずの対米関係について安倍総理の言及がほとんどない。それもこれも「反米」は左翼と結びついていたからです。

安倍に欠陥があってもいいんじゃない?

そんな良書ですが、一つ疑問点が。

本書は安倍総理の「国家」に対する認識についてはかなり厳しい評価をしており、「国家というものを信頼しすぎている」「国家に対する懐疑のなさが、結果的に国民の国家への動員を招く」と批判しています。

これはまあその通りっちゃその通りですが、しかしこれもある種の安倍総理の「逆張り」があり、戦後の風潮で国家を信頼しない人々がいてこそのスタンスではないかという気はします。

さらに言うと、ここは難しいところなのですが、安倍総理ひとりで国家に対する認識のバランスを取らなければならないのか? という問題にも通じます。つまり、「社会全体でバランスが取れていればいいんじゃないの」という話。国家の権力に対して懐疑的な人しかいないのでも困るし、国家を信頼しきっている人しかいないのでも困る。

安倍総理の国家認識に危ういところがある、あるいは国家は国民を時に圧迫するものだ、と思って目を光らせている人がいるならば、安倍自身が「祖国とは父のようなもの」と言ってはばからなかったとしてもそれはそれでいいんじゃないかと思うんですね。

問題は、社会としてバランスが取れているのかという点で、私は戦後の日本は偏っていたんじゃないかと思ってきましたが、そのおかげでいまは右傾化と言われる状況が出現。反動ですね。もしそれを問題視するなら「そうした人たちが出てきた土壌」を理解すべきで、そこを見ずに現象だけを頭から批判しても、さらなる右傾化を招くだけですよ、と右派の私としては思います。どんなに「愛国心は危ない!」と言ったって持っちゃう人はいるわけで、もっと言えば「危ない!」と言いすぎて逆張り的な論調も出てきたわけですから。

もちろん、総理という立場にいる人間の思想は政策に色濃く反映されるでしょうが、「一強」などと言われても憲法改正の発議すらできないのがこの日本の政治体系ですから、さまざまなレベルでのすり合わせや妥協が必要になるわけで、安倍自身が独立して「誰が見ても文句の付け所がない」ような国家観なり知性なりを備えている必要はないと思います。最低限の教養や判断能力が必要なのは言うまでもありませんが。

最後は全くの余談ですが……

最後に。本書の内容とは無関係ですが、私は本書を古本で購入したのですが、いわゆる「痕跡本」で、大事なところに線を引くだけでなく、前の持主のコメントも余白に書き込まれていました。安倍政権にはかなり辛辣で「安倍は子供」「何様だと思っているのか」「批判しきれないマスコミの怠惰!」「谷垣戦犯説」など鋭いツッコミで、これはこれで楽しんでしまいました。

古本を買うことは多いもののこれまで「痕跡本」は避けていましたが、今回は「筆者と、私と、前の持主」の3人で安倍発言を検証しているような気持ちになり、これはこれでアリかも、と思ったことを付記しておきます。


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梶井彩子
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