出産前日〜当日の記録 無痛の予定が普通分娩に…②【出産レポ】
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出産当日
AM2 :30 陣痛感覚は5−7分 夫と妻の温度差
2時過ぎ、朝8時の計画入院を待たず、産院へ向かうことが決まった。
取り急ぎ夫を起こし、すぐに向かいたい旨を伝える。
寝起きで頭が働かず、一旦目を覚ましたかったのだろう。
なんと、毎朝のルーティンよろしく徐に「シャワー浴びてくる」と言い、風呂へ向かおうとする夫。
いやいや、こちらは痛くて苦しんでるんだよ?!こちらの必死さ、緊急度が伝わらなかったのか?!
流石にのんびり待っている余裕はない。
努めて冷静に“今すぐ“産院へ向かいたい旨を伝え直し、無事(?)シャワーは諦めてもらった。
AM3:00 タクシーで産院へ向かう そしてすぐ分娩台へ
急いで着替え、夫が陣痛タクシーを呼ぶ。
痛みの合間にどうにか乗り込み、車内でも波が来る度に呻いて耐えながら、どうにか産院へ到着。
この時、夫は片手にスマホの三脚を持っていたのだが、助産師さんに会うなり早々、「安全上、使わせられないよ」と宣告されていた。
そして、やり取りの間にも襲ってくる痛みに耐えつつ「これ、まだ前駆陣痛ですかね」と尋ねる私に「いや、本陣痛でしょ」とバッサリ切り捨てる助産師さん。
そんなこんなで一旦私だけ分娩室へ入り、着替えなど準備を済ませ分娩台へ。
「子宮口6センチだね。これはもう朝までに生まれちゃうかもしれないよ」
この時の私は、
6センチにもなるまで一人で陣痛耐えてたんじゃん。すごい、私!と誇らしく思う気持ちと、
よかった、これが前駆陣痛だとしたら、本陣痛の痛みには耐えられそうにないもの、と安堵する気持ち、
え?!朝まで持たないということは、無痛分娩ができないってこと?それだけは嫌だ・・・!!と動揺する気持ち、
色々な思いがごちゃ混ぜになり混乱していた。
果てしないいきみ逃しの時間
いずれにせよ、どう喚いても訴えても、麻酔を入れられるのは朝9時以降。
本陣痛が来ている以上、もう後戻りもできない。
当面はただ繰り返しやってくる痛みにどうにか耐えるしか道はなかった。
一通りの処置を終えた後、夫も分娩室へやってきた。
助産師さんに、腰のさすり方や押し方など一通りポイントを伝授してもらい、早速いきみ逃しに参戦する。
最初こそ、ツボを押さえた助産師さんと比べ、要領を得ないサポートに却って集中力を削がれたりしたが、徐々にペースを掴み良い具合に助けてくれるようになった。
私も痛みの合間に必死で力加減やポイントを指示する。
私の姿勢に合わせ、無理な体勢で全力で押したりさすったりし続けるのは、相当大変だったと思う。
そして助産師さんは、新生児室や他の妊婦さんの対応などもあり、ずっとそばにいてくれる訳ではないので、辛い痛みにずっと付き添ってくれるのは夫だけ。
痛みを紛らわせる物理的サポートはもちろん、終わりの見えない苦しみにずっと伴走してくれることが何より心強く、精神的な支えになった。
どんなに体制を変えても必死で呼吸法をさらっても、逃れようのない激痛。
束の間の休間は、疲労と眠気で糸が切れたように意識が飛ぶ。
そしてその一瞬の安寧を断ち切るかのように、全速力で戻り迫ってくる痛み。
その威力を知っているからこそ募る恐怖・・・
その繰り返しが延々と、数分おきに、絶え間なく続く。
当然、ギブアップは許されない。
夫がいなければ、あの時間に耐えきれなかったと本気で思う。
気づいたら、いつの間にか空が白み始めていた。
そして分娩へ
AM7:00 無痛を待つか、諦めるか
子宮口6センチから始まった陣痛タイム、そこからなかなかスピードが上がらなかった。
数時間のいきみ逃しに耐え、そろそろかと思いきやまだ8センチにしかなっていない。
「この感じだとまだまだかかるね。麻酔間に合うかもよ」と、嬉しいんだかよく分からない励ましを受ける。
だが、その気になれば今からお産を早め、スピード重視で分娩を進めることもできるという。
そして究極の選択を迫られた。
ここでキッパリと無痛を諦め、普通分娩で臨む覚悟を決めるか。
それとも今のままあと数時間を耐え、麻酔を打ってもらい出産を迎えるか。
そんなの、すぐに決められる訳がない。
そもそもこのいきみ逃しの時間こそ、無痛で穏やかに過ごしたかったのに・・・。
一方で、今もこんなに辛いのに、麻酔なしで分娩なんてもっと耐えられる気がしない!
うじうじ、メソメソ煮え切らない私の様子を見て、助産師さんが今これ以上しんどくさせるのは厳しそうと判断し、一旦そのままいきみ逃しを続けることになった。
AM8:00 急展開 もう産むんだよ、諦めな!
少し前から、陣痛というより何かがお尻から出てきそうな、いきみたい欲が急激に高まってきていた。
夫に全力でお尻を押してもらわないと、本当に何かが出てきてしまいそうだ。
いよいよ子宮口は全開になっていた。
「もう赤ちゃんは外に出たがっているよ。このまま産んじゃおう!麻酔は諦めな!」
とうとう宣告された。
もはや腹を括るしかなかった。
私としても、あと1、2時間麻酔科医を待つよりも、早くこの状況から解放されたい気持ちの方が強くなっていた。
普通分娩で産むことが決まった瞬間だった。
その後、一気に周りが慌ただしくなる。
分娩に向けた準備が一気に進められた。
「あと数回のいきみで出すよ。お腹を押したり、皆でサポートするからね」
いきむのは陣痛とはまた違った感覚で、痛みの強さも確かに強い。
だが、終わりが見えただけで、消えかけていた気力が復活する気がするのは何故だろうか。
息をしっかり吸って、長く吐いて、握っているバーを思いきり引き上げて、目は開けたままで、首を持ち上げて、お尻から出すように全力で下向きに力を込めて・・・
たくさんの指示がとんでくる。
うまく応えられたのかどうなのか、それすらも分からず無我夢中で全力を尽くすこと数回。
AM9:01 誕生
重くて、あったかい
ほぼ9時きっかりに、娘は無事にこの世に出てきた。
麻酔させる気さらさらなかったんかい!と、冷静になった今ツッコミを入れてくなるくらい、きっちり麻酔時間“外“に事を済ませた娘。
産声が聞こえ、胸に取り上げられたばかりの娘が乗せられる。
最初の印象は、思ったより重い!だった。
そしてお腹から出たての娘はほかほかあったかく、胎脂でしっとり濡れている。
もぞもぞ手足を動かしているのも感じられた。
正直、この時はまだ痛みの余韻の方が強かったので、涙や嬉しいという感情が湧き出る余裕はなかった。
それよりも、無事にやり遂げたぞ、普通分娩を乗り越えたんだ、という達成感と疲労の方が強かった。
その後
諸々の処置を受けている間(結構痛かった)、夫は書類記入や検査、確認に追われた後、ようやく分娩台から降り、安静タイムに入る。
夫とお互いの奮闘を存分に労った。
あの長い陣痛を一緒に乗り越えたことで、また一段と絆が深まった気がする。
感謝と愛情もさらに増し、この人の子供を産むことができてよかったと心から思った。
想定外だらけのお産だったけど、夫のおかげでとっても幸せで一生の思い出にすることができた。
一週間経って
お産からあっという間に一週間。
蓋を開けてみれば分娩時間は7時間強、初産としては十分過ぎるくらい安産だった。
それでも、無痛のつもりが叶わなかった戸惑いと絶望感には想像以上にメンタルをやられたし、ある種苦い思い出として記憶に刻まれている。
そんなのすぐ忘れて、時が経てばまたすぐ産みたくなるよ、と経産婦さんからはよく言われるが。
あの痛みそのものはもう思い出せないが、それが迫ってくる恐怖と苦しさはまだ色濃く記憶に残っている。
もう出産は良いかな、少なくとももう二度と普通分娩はしたくない、というのが正直な今の気持ちだ。
そして出産を終えようと、女性の身体はどこかしらずっと痛い。
胸、会陰、子宮収縮、ホルモンバランスの崩れからくる頭痛などなど、、、。
そんなマイナートラブルに耐えながら、騙し騙し子の世話に励むのが出産後のリアルだ。
穏やかで幸せな育児なんて幻想だな、と痛感した。
目の前の子が本当にお腹にいた子なのか、間違いなく自分の子なのか、それも未だいまいち実感が湧かない。
どこか夢心地のような気もする。
それでも、娘の顔やしぐさに、ほんのかけらのような自分や夫の痕跡を見つけただけで、なんだかとってもほっこりした気分になるから不思議だ。
予定日を超過して産んだ子だから、母性や愛情も、私の場合はゆっくり時間をかけて湧いてくるのかもしれない。
もう一週間、されどまだたったの一週間。
陣痛の比じゃなく長い長い育児は、まだ始まったばかりだ。
“想定外“と“想像以上“の事態の連続なんだろうけど、その都度狼狽え戸惑いながら、少しずつ少しずつ、歩を進めていければと思う。
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