逝きざまは、生きざま
先日、父のお墓参りに行ってきた。
父がこの世界を卒業して、ちょうど4年の月日が経った日だった。
父との最後の日々は、
私に色々なことをもたらしてくれた。
今でも大きなギフトだと思っている。
父の最後の姿を見て、
人がこの世界を去り行くときの
「逝きざま」は、
まさにその人の「生き様」そのものだと思った。
あの頃、
父はガンを患っていた。
治療は順調だと思っていたのに、
その日はあまりにも突然やってきた。
ガンは予想していなかった場所に転移していて、
病状がかなり進行していただけでなく、
同時にお別れの時間がとても近いということも
医師から告げられたのだ。
父の病状は良くなっていると思っていたのに、だ。
本当に急転直下だった。
父には本当の余命は伝えられなかったのだが、
何かを悟っていたのだと思う。
「自宅に戻りたい」と父は言った。
その希望を叶えるべく、
地域医療やケースワーカーさん、
ヘルパーさんたちなどたくさんの方々のご協力をいただき、
環境を整え、
自宅での最後の日々が始まった。
自宅での父は
相変わらずマイペースで、
淡々と日々を過ごしていた。
私が様子を見に行くと、
片手を上げて、
「よう!」と嬉しそうにあいさつをしてくれた。
決して多弁ではない人だったけど、
時々にじみ出るユーモアで私たちを和ませてくれた。
そんな姿を見ると、
もっと生きてくれるのではないか?
そんな希望を私は勝手に持ってしまった。
しかし、巡回で来てくださるお医者様は
「本当は相当痛いはずなんですよ。お父様何もおっしゃいませんか?」と
いつも心配されていた。
そのくらい父の病状は進んでいたのだ。
しかし、
父は騒ぎもせず、
泣き言も一切言わず、
日々変化していく自分のカラダのことを
淡々と受け入れていた。
昨日食べられていたものが、
今日はもう受け付けなくなっても、
動いていた箇所が動かなくなっても、
本人はそれが当たり前のことのように静かに受け容れていた。
本当のことは父に聞いてみないとわからないけれど、
少なくとも私たちにはそう見えていた。
もし、自分が同じ立場だったら?
今でもそんなことを考える。
私だったらもっとじたばたするんじゃないだろうか?
もっと焦って周りにも当たってしまうかもしれない。
往生際がもっと悪いはずだ。
父の最後は、
それはそれは本当に美しい逝き方だった。
すっと眠るように、
木が枯れていくように、
最後の時を迎えたのだ。
その日は、
私も妹も実家に泊まっていた。
妹はいつも甥っ子や姪っ子を連れて来るのに、
その日は一人だった。
そんな風に、
久しぶりに、
父、母、妹、私だけの時間を過ごした後に、
父は旅立った。
その瞬間は、あまりにも静かで、
私たちは眠りについていて、
気づかなかったほどたった。
隣で眠っていた母すらも。
夜中にふと目覚めた母が気づき、
私たちは起こされて初めてそのことを知った。
まだ体はあたたかかったので、
そこまで時間は経っていなかったと思う。
家族で旅行に出かけても、
ふらりとどこかへ行って、
一人の時間を楽しんで、
しれっと戻ってくる父。
そんな姿を彷彿とさせた。
最後までなんて父らしいんだろう。
そんな父だけど、
生前は様々なやらかしや人生ドラマがあった。
家族で揉めにもめた日々もあったし、
母と激しく喧嘩する日もあった。
やけ酒して、泥酔して、
娘たちに呆れられる日もあったし、
だるがらみをして、
愛猫にひっかかれて流血している日もあった。
だけど、
最後の時を過ごしている父は
本当に見事だと思った。
刻一刻と変わっていく自分の意識や体の変化に
逃げることなく向き合っていた。
それは父の生き様ともリンクしているなと思った。
どんなに辛かったり、
大変だったりしても、
父は決して逃げなかった。
逃げ出そうとしたこともあったかもしれないけれど、
ちゃんと向き合って解決してきていた。
言葉少ない人だったから、
時には何を考えているのかわからなかったけど、
静かに向き合って自分なりに解決してきていた。
そして、その生き様は、
今も私の胸に焼き付いているし、
人生の指標の一つになっている。
誤解してほしくないのだが、
逝く時にじたばたするな、とか、
痛みを我慢しろと言っているのではない。
じたばたしても良いし、
周りを大いに巻き込んでもいいと思う。
大切なのは、
最後の瞬間まで、
いかに自分らしくいられるか?なのだ。
本当の自分でいられるか?
自分にウソをつかずにいられるか?
自分自身でいられるか? ということなのだと思う。
間違いなく、
父は父として
彼のやり方で、
最後の瞬間まで自分らしく生きていた。
だからこそ、
私の心をこんなにも揺さぶったのだと思う。
そしてそんな父はきっと、
魂のふるさとに還ったとき、
たくさんの祝福を受けたと思うのだ。
よくやった!!と。
私も自分が最後の時は、
どのように過ごせしているのだろうか?
後悔せずに日々を過ごしたいな。
そんな風に父の生きざま、逝きざまを見て、
今を生きている。