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《聖書-14》洗礼者ヨハネとサロメ
さて、前回取りあげたように、聖母マリアから生まれたイエスでしたが、宗教活動をはじめるまで、聖書には記述がありません。亡き父ヨセフと同じように、大工をしながら、母を養っていたと思われます。
そんなとき、イエスはある男の噂を聞きます。彼こそ、洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネ
洗礼者ヨハネは受胎告知でガブリエルが語っていたマリアの縁戚エリザベスの息子です。なので、イエスにとっても遠縁にあたります。
彼は成長すると厳しい修行を行って、神の国の到来を予告し、人々に悔い改めを求めるようになります。その悔い改めの証として、ヨルダン川に全身を浸す、いわゆる『洗礼』を行いました。この儀式自体はすでにユダヤ教でもあったものですが、彼は『洗礼者ヨハネ』と呼ばれるようになりました。これは後に登場するイエスの弟子のひとりヨハネと見分けるためです(こちらは福音記者ヨハネと呼ばれています)。
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『洗礼者ヨハネ』
レオナルドが死ぬまで手放さなかった作品のひとつ。同性の恋人にして弟子のサライをモデルとしたと言われている。
洗礼者ヨハネは伝統的にラクダの皮をきた人物として描かれている。
当時のユダヤ人社会では、"メシア(=救世主)"の出現が待望されていました。人々は彼こそそのメシアであろうと期待していましたが、彼は
わたしよりも優れた方が、後からこられる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。
と主張していました。
そんなある日、イエスがヨハネの洗礼を受けます。
ヨハネは勿論探し求めていた"メシア"であるとわかっていました。
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」
しかし、イエスはお答えになった。
「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」
こうしてヨハネはイエスに洗礼を授けます。
イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
残念なことに、この奇蹟は周りにいた普通の人間にはわかりませんでしたが、これがイエスが"メシア"としての第一歩だったのです。
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『キリストの洗礼』
右端の天使と後景は弟子のレオナルドが担当した。あまりの才能に、師のヴェロッキオは筆を折ったとヴァザーリは記している。
洗礼者ヨハネの死
こうして念願のイエスとの邂逅を果たしたヨハネでしたが、過激な説教で領主のヘロデ・アンティパスの恨みを買います。
このヘロデ・アンティパス、幼児虐殺を行ったヘロデ王の息子で、兄を殺しその妻ヘロディアを略奪婚していた過去がありました。この過去をヨハネは痛烈に批判したのです。うるさいということで、ヘロデ・アンティパスは彼を牢獄にぶち込みましたが、ヨハネの人気は侮れなかったので、なにもできていませんでした。
そんなある日、王の邸宅で宴が催されます。その余興として、へロディアと前夫の娘が舞を披露します。その舞は素晴らしく、ヘロデ・アンティパスは彼女の望むものをなんでも与えることにしました。娘は何を頼んでいいか分からず、母ヘロディアに尋ねます。ヘロディアは自分たちを声高に批判するヨハネの存在が疎ましかったので、娘に『ヨハネの首を求めなさい』と唆します。娘は母の示唆通りにヨハネの首を求めました。ヘロデ・アンティパスは後悔しましたが、人前で約束を破るわけにはいかず、ヨハネを処刑します。
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『ヨハネの処刑』
こうして命を落とした洗礼者ヨハネ。彼の弟子たちはのちのイエスの宗教活動に加わる者もいました(イエスの弟子ペトロとアンデレ兄弟はもともと彼の弟子だったとされています)が、独自に活動を継続する者もいて、バラバラになってしまいました。
彼の死はイエスが本格的に宗教活動に取り組み始めたきっかけのひとつだったでしょう。
"ファム・ファタール" サロメ
さて、ヨハネの首を所望したヘロディアの娘。聖書には彼女の名前もありませんが、サロメという名が与えられて、数多くの作品に描かれることとなります。
ヨハネの首を持ち、妖艶に微笑む美女ー前に取りあげたユーディトと同じく男を破滅させる"ファム・ファタール"の典型として好まれたのです。
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『サロメ』
男の生首をもつという点ではユーディトと同じだが、ユーディトは剣、サロメは皿という違いがある。
我々のイメージするサロメの最たるものが、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』でしょう。
義父の好色な目線に耐えきれなくなったサロメは、宴会場を逃げ出します。そこで囚われているヨナカーン(ヨハネ)に出会い、恋におちます。しかし、どんなに性的な言葉で誘惑しても、ヨナカーンは相手にしません。
そんなとき、義父が母ヘロディアら取り巻きを引き連れてやってきます。もともとサロメの美貌に虜になっていた義父は彼女にダンスを所望します。最初は拒否したサロメでしたが、義父の『望みのものをなんでもやろう』という言葉を引き出し、踊ります。踊りの内容はヴェールを次々と脱いでいくストリップもどきでしたが、観客を魅了しました。
踊りに満足した義父はサロメの所望を聞きます。彼女は迷わず『ヨナカーンの首』と答えます。ヨナカーンを嫌っていたヘロディアは大喜びでしたが、義父は国の半分をやるといってどうにか叛意させようとします。しかし、彼女の意思は変わりません。
こうしてヨナカーンは処刑され、首はサロメの前に引き出されます。彼女は狂喜のうちに首を持ち上げ、拒否された口付けをするのでした。
あまりの狂気の沙汰に義父は禍々しさを感じ、サロメを殺させました。
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ビアズリー『お前に口付けしたよ、ヨナカーン』
この戯曲にはビアズリーのペンが冴え渡った挿絵が添えられ、デカダンス文学の傑作とされるようになります。
義父の好色な目線にも耐えられなかった処女が、たった一回の出会いで売春婦も憚るような誘惑も辞さない妖女となるー。
義父がサロメに感じた禍々しさというのは、女性はいつまでも性的にウブのままでいてほしいという男性の願望を打ち壊したからではないでしょうか。
実際のヨハネ事件は仕組まれたものだったのかもしれません。影響力の強いヨハネをただ処刑するだけでは民心が離れてしまう、人前で約束を守ったという体にしたかったと考えられるからです。ちなみに問題のヘロディアの娘は二度結婚して子どもも生み天寿を全うしたようです。
しかし、現在でもファム・ファタールの代表格とされています。
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『サロメ』
洗礼者ヨハネとサロメ、以上です。
洗礼者ヨハネ、イエスの先駆者とされています。しかし、彼の唱えた神というのはあくまでもユダヤ教の"畏怖すべき存在"であり、のちにイエスが唱える"赦しの神"とは違うものでした。まぁイエスの神が特殊すぎたわけですが。
サロメといえば、ユーディトより有名なファム・ファタールですよね。やはりオスカー・ワイルドに取りあげられたのが影響力が強かったのでしょう。
次は《世界史》を更新する予定です。