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《無駄話》クリスマストリビア

こんにちは。
Ayaです。
今日12月25日はクリスマスですね!《聖書》マガジンで真面目に取り上げる予定なので、今日はトリビア的なことをまとめようと思います。

クリスマス=イエスの誕生日ではない?


フランチェスカさんの記事にもある通り、12月25日はイエスの誕生日というわけではありません。

この日はもともとローマ暦の冬至の日で、太陽神の祝日でした。ローマ帝国での国教化の後、布教しやすいように制定されたようです。ちなみに、東方正教会では使用している暦が違うので、1月7日に祝います。

なんで馬小屋で出産?

クリスマスといえば、馬小屋で出産ですが、これにも深い理由があります。
ヨセフとマリア夫妻はイスラエルでも僻地として知られるナザレ地方在住でした。しかし、旧約聖書には『メシアはベツレヘムで生まれる』という記述があるため、新約聖書記述者としてはイエスにはなんとしてもベツレヘムで生まれてもらわなくてはなりません。
そのために利用したのが、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスによる人口調査でした。

アウグストゥス(オクタヴィアヌス)


この調査は本籍地で登録する必要があったため、ヨセフは身重のマリアをつれてベツレヘムまで移動したのです。同じように人口調査に訪れた人々で宿は一杯で泊まることができず、身重のマリアに同情したひとが貸してくれた馬小屋で休むこととなりました。そのまま産気づいたマリアはイエスを出産したのです。

羊飼いの礼拝と東方三博士の礼拝

イエスの誕生を、天使がベツレヘム近郊で放牧していた羊飼いたちに伝えます。彼らは馬小屋を探し当て、生まれたばかりのイエスを礼拝しました。

ルーベンス『羊飼いの礼拝』

なぜ羊飼いの彼らが最初の礼拝者に選ばれたのでしょうか。のちにイエスは自分を『迷える羊(=人々)を導く羊飼い』と表現しています。このために羊飼いは聖職的な存在とされるので、その前例として彼らが選ばれたのではないでしょうか。
さて、羊飼いたちの礼拝後、占星術の学者たちが星の導きによって訪れます。占星術というと今では占いの一種というイメージですが、当時は最先端の科学でした。聖書の記述では何人かもわかりませんが、のちに三人とされ、『東方三博士』と呼ばれるようになります。
さて、この『東方三博士の礼拝』はイエスが生まれて初めて聖性を示したとされており、公現節という立派な祭日とされています。そのため、『羊飼いの礼拝』よりも画題として好まれました。

ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』
注文主がメディチ家におもねるために注文したので、メディチ家の面々が描かれている(聖母子の前に跪くコジモ、その後ろのピエロ、左端のロレンツォとその隣のジュリアーノ)。右端の人物は画家自身の自画像とされている。

この東方三博士の訪問によって、このあと一波乱あるのですが、そこは《聖書》マガジンでとりあげようと思います。

聖書についてはこのへんにして、クリスマスの風物詩についてを少しだけ取り上げようと思います。

サンタさんの元祖

クリスマスといえば、子どもたちにプレゼントを持って来てくれるサンタさんですね。

サンタクロース(Wikipediaより)

サンタさんのモデルはニコラウスという聖人だとされています。
このニコラウス、貧しさゆえに娘3人を身売りさせようとしている家族に出会いました。ニコラウスは娘たちを哀れに思い、ある夜煙突から金貨をその家に投げ入れました。この金貨のおかげで、娘たちは身売りせずにすんだというエピソードです。
このエピソードが広がり、子どもたちにプレゼントを配るサンタさんのお話しになったようです。

クリスマスツリー

クリスマスツリーが飾られると、一気にクリスマスらしくなりますよね。私はKITTAのクリスマスツリーが大好きです!

KITTAのクリスマスツリー

このクリスマスツリーはドイツ発祥です。広まったきっかけはヴィクトリア女王の夫アルバート公がイギリスに持ち込んだからといわれています。

ヴィクトリア女王一家

それまでのクリスマスは『降誕祭』という祭日で、必ず家族全員で教会へ行くというのが定番でした。しかし、ヴィクトリア女王ぐらいの時代になると、クリスマスは家で団欒を楽しむものとなっていきます。そこにアルバート公がクリスマスツリーを持ち込み、女王一家への憧れもあって、広まったようです。

以上、クリスマストリビアでした!
楽しいクリスマスをお過ごしください。


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