《ドラマ》光る君へ第41回感想
こんばんは。
Ayaです。
光る君へ第42回を視聴しました。
・双寿丸に礼をいうまひろ。いとは嫌そうにしている。
→まひろの彼氏は道長だったけれども、随分見劣りするもんねぇ‥。あとでも描かれているが、当時の武士は今でいうチンピラ、ヤクザの類。『平清盛』や『鎌倉殿の13人』までそうだった。
史実では、紫式部より娘の大弐三位のほうが恋愛に慣れていたようで、華やかな父(宣孝)に性格が似ていたのだろうな。
・敦成親王のあどけない姿を見て、亡き夫に思いをはせる彰子。
→てっきりすでに出家していると思っていたが、まだしていないようだ。
皇族ともなれば会うのも少なかっただろうし、成人した敦康親王はともかく、敦成親王・敦良親王は父の顔を覚えていなかっただろう。
・新しい帝(三条天皇)が清涼殿へ移る儀式は公任が担当することになった。日程が亡き一条院の四十九日に被ったが、強行する帝。
→公任に『帝は我々を離間しようとしている、警戒しろ』と言われても、どこか他人事の道長。先週までと人格違いすぎだろ、また戻るんだろうが、一貫性をもたせてくれ。
・帝の声がかりで異例の出世を果たした次男教通。あせる頼通を道長は東宮の時代になればお前の時代だからとなだめるのだった。
→次男の教通、明らかに欲深そうな表情。
そういえば、藤原氏ってなぜか次男のほうが権勢欲が強い人物が多い。始祖不比等からして次男だし、四子でも一番力があったと言われる房前も、仲麻呂も、勿論道兼も。やっぱり次男だと捻くれるのかな。
史実の教通は道長から嫡子扱いされて調子に乗ったと思われる。この兄弟の対立が摂関政治の行き詰まりのきっかけだった。
・帝は姸子だけでなく、糟糠の妻娍子も女御とすることを望んだ。道長は娍子は大納言の娘だからと反対しようとするが、押し切られてしまう。
→たしか東三条院も兼家パパが中納言のときに入内していたのに女御としての入内したはず。道長が娍子の父の官位を盾に反対するのは、皇后冊立のときでは??
・道長からに『まだ物語を書いているのか』と聞かれ、『あなたが書けと仰ったんでしょう』と呆れるまひろ。敦康親王の件を責めるまひろだが、『お前との約束を守るためだ』とぬかす道長。
→まひろの『紫の上は死にました』発言にびっくりする道長。もしかして読んでないんかい‥。かりにもスポンサー?なんだから、ブームは去ったとはいえ、読まないとまずいのでは‥。
『お前との約束を守るためだ』とかぬかす道長さ、己の権勢欲のためだろ‥、正当化するなや。
・亡き一条院の喪も明け、歌会が催される。ききょうが訪れ、彰子に恨み言を吐き捨てていった。ききょうのことを『変わってしまった』と日記に書くまひろ。
→ききょうねぇさん、もはや伊周の怨念が乗り移っているようにしかみえない。定子への思いはいずこに。
彼女のことを『変わってしまった』と書くまひろ。もっと変わってしまったひと(道長)がそばにいるやん‥。辛辣な清少納言評(知ったかぶりをしているが漢字間違ってる)を切り取るのもいかがなものか‥。
・ひさしぶりに彰子との対面を果たした敦康親王。御簾を乗り越えたと聞いて激怒する道長は敦康親王を参内停止にしろと行成に命じる。さすがに道長の横暴さを諌める行成。
→やっとイエスマンじゃない行成と思ったのに、言葉遣いが変だぞ。『おかしくおわします』ってww。
実際即位の目がない敦康親王に尽くし続けたわけだから、亡き定子や一条天皇への想いが行成もあったんだと思うんだよね‥。その面でも清少納言ともお似合いだと思うんだけどね、このドラマでは道長崇拝だからなぁ‥。
この際、敦康親王に結婚させればいいのに。史実でも籠絡するため、結婚させているし。
・父を牽制するためにも力がほしいという彰子。まひろは双寿丸から聞いた話を思い出し、弟たち(頼通・教通・頼宗・顕信)と強力するよう、助言する。
→後世には対立した実弟たち(頼通・教通)の仲介をしたことで、実権を握った彰子。彼女の例はのちに白河法皇も活用し、院政のもととなった。
・敦明親王に姸子が媚態を送っていると、娍子が阻止する。ふてくされる姸子。
→さすがに娍子が姸子のもとを訪れることはないだろう。殿舎が違うし、参内している時期もわざとずらしていたはず。
予告で三条天皇が『姸子のもとには通わぬ』と言っていたが、それでは禎子内親王の父は誰??まさか敦明親王‥??
・同母兄・頼宗よりも出世欲が強い顕信。それを知ってか知らずか、三条天皇は通任(娍子の弟)の代わりに顕信の蔵人頭就任を打診する。しかし、道長は断ってしまう。失望した顕信は比叡山へ入り、出家。明子から『人殺し』となじられる。
→通任は道兼の娘で一条天皇の女御尊子の再婚相手でもある。そういえば、尊子、幼少期は出てたけれど、存在に触れられなかったな。
当時は出家と死は同じような意味があったけれども‥(花山法王みたいな別例はあるけどね)、さすがに妻が夫を『人殺し』となじるのはないのでは‥??。顕信はこの15年後世をさった。
とうとう11月になりまして、光る君へも佳境に入りつつあります。
クランクアップの画像で道長が剃髪姿だったので、この世をば→数年後道長の死という流れなのかなと思っております。
ここまで継続してみたのはひさしぶり(鎌倉殿は頼朝死んだあとからだった)なので、ちゃんと見届けたいな。