《ドラマ》光る君へ第44回感想
こんにちは。
Ayaです。
光る君へ第44回を視聴しました。
・公任ら道長以外の公卿からも退位を促される三条天皇。最終手段として、頼通と禔子内親王の縁談を持ちかける。頼通は仮病まで使って拒否する。
→前回書いた頼通と禔子内親王の縁談。仮に受けたとしても、彰子の言う通り、女三の宮のような飾り物の妻となっていただろう。
禔子内親王はこの後頼通の弟教通と結婚。こどもは生まれなかったものの、夫の娘の養母として入内に付き添うなどわりかし幸せであったようだ。一方、彼女の姉当子内親王は伊周の嫡男道雅との恋を引き裂かれたののち、若くして亡くなってしまい、道雅の素行の悪化を招いた。
・姸子のもとを訪れる道長。姸子は娘禎子内親王が生まれたとき落胆した父を恨んでいる。
→禎子内親王は生まれたとき、誰にも喜ばれなかった。まるでエリザベス1世のようだ(彼女のほうが先に生まれているが)。だが、嬉子の死後、後冷泉天皇に入内し、後三条天皇を生んで国母となる。
・ついに退位を決意した三条天皇。実資の勧めで、第一皇子敦明親王を東宮とする。
→敦明親王を東宮とすることの道長とのやりとりはないんかい。一番重要だと思うが。
・敦成親王、即位ー(後一条天皇)
・『まさか我が家から帝が出るとは』と喜ぶ倫子ママ。『私の目に狂いはなかった』と自慢げ。
→実際に五男にすぎなかった道長がここまで出世できたのは、倫子の実家の財力のおかげ。生涯、道長はこの義母に頭が上がらなかったという。
また親子三代(倫子ママ・倫子・彰子)が健康で長寿なのも、彼女のおかげかもしれない。
・為時パパ、出家を決意。残すことになる賢子に、宮仕えをすすめる。
・やっと自分の思うがままにできる!とはりきる道長だが、公卿たちには急激な改革は理解できない。陣定めにでるため、左大臣も兼任しているが、独裁しているようにしかみえないと公任から辞めるように諫言される。
→公成、初登場。彼は兼家の異母弟公季の孫で、この時代は傍流に近い。しかし、彼の娘が能信(道長と明子の子)の養女として後三条天皇に入内、白河天皇らを生む。彼の血筋はその後も待賢門院などを輩出する。
・『先の帝(三条天皇)に譲位を促したが、今度は自分がやめろと言われるとは』
→自業自得ってやつですよ、道長。
・最愛のソウルメイト(まひろ)に慰めてもらっていると、倫子がやってくる。
→『殿は藤式部には政も相談なさるのねぇ』といわれ、とっさに誤魔化したつもりの道長。バレてるよ‥。
・道長が摂政をやめ、頼通が跡を継いだ。頼通はさっそく後一条天皇に妹の威子を入内させようとする。あまりにも不釣り合いな結婚を嫌がる威子だが、押し通されてしまう。
→実際は院政のように道長が実権を握っており、頼通を公卿たちの面前で叱り飛ばすこともあったという。
彰子を入内させたときはあんなに嫌がっていたのに、倫子の変わり様。権力を得るとこんなに変わってしまうのか。
実際に甥で9歳も年下の後一条天皇に入内することを威子は恥ずかしがったという。年上の妻を守るため、彼には他の妃はいなかったが、内親王ふたりしか儲けることができなかった。夫の急死の半年後、亡くなる。
『姉上のかわりに私が』と申し出た嬉子。敦良親王(後一条天皇の弟)へ入内、待望の男子(後冷泉天皇)を生むが、頓死してしまう。彼女の死から道長の権勢は衰え始める。
・三条法皇、崩御。愛妻・娍子に手を取られて息を引き取った。後ろ盾を失った敦明親王は自ら東宮の位をおり、敦良親王が立太子した。
→やっぱり敦明親王辞退事件はやらなかったか。
何度か書いているが、この事件には兼隆(道兼の長男)が関わっていたとされている。たとえば、賢子とすでに恋仲で、道長に『お前のことは頼通と同じと思っている。あのような良き女子を娶るにはもっと出世しないとな』とか唆されたとかだったら、亡き父と同じ道を歩んでしまう彼のいいドラマになるのに。
また、この後敦明親王は顕光の娘・延子を捨てて、道長と明子の娘・寛子を妻に迎えている。これを恨んで顕光親子は道長親子を呪ったと言われいるし、このドラマの明子なら、『土御門殿の娘の夫は全員帝か東宮なのに、なぜ私の娘の夫は帝か東宮ではないの!!』と怒りそうだから、ドラマ的に面白そうなのに。尺の問題ですね。
・それから一年後、威子が後一条天皇の中宮に冊立された。彰子は太皇太后、姸子は皇太后となり、道長の娘たちがすべての后の位を独占するかととなった。それを祝う宴が催されるが、主役たちの表情は険しいまま。
・宴を盛り上げようと、歌を詠む道長。
返歌を頼まれたロバート実資は『素晴らしすぎてお返しできない。みなで唱和しましょう』と提案し、みなで唱和した。
→道長キラキラ⭐️って少女マンガか。
ロバート実資、内心『うわ、へたくそ笑。返すのダルいわww』って思ってたんだろうな笑。
現代の私たちには太閤とは豊臣秀吉の固有名詞のようになっているが、引退した摂政・関白の呼び方。この時代からすでにあったのだろうか?
ついに道長が『望月』を詠いました。
彼の権勢が頂点に達したときでした。しかし、娘たちの幸せを無視した身勝手なもので、この幸せは長くは続きませんでした。
次回はソウルメイト・まひろもとうとう道長を見限る??ようです。