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心の音楽 ピアニスト リリー・クラウス 日本公演1978年より
ハンガリー出身の天才ピアニスト リリー・クラウスはコダーイやバルトークに師事し、後にモーツァルトの演奏でその実績を築き「モーツァルト弾き」として一世を風靡し、その才能はヨーロッパやアメリカで高い評価を受けた世界有数の女流ピアニスト。
1978年、彼女は丁度70歳。日本に一ヶ月間滞在中に15回の演奏会、3つの違うプログラムを抱えて来日しました。
モーツアルト、シューベルト 、ベートーヴェン、バルトーク、それぞれの混ざったプログラム2つと、モーツァルトのみのプログラム。
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舞台の上でも楽屋でも、どの写真を見ても・・
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私が4歳からついていたピアノの先生、岡本美智子教授は桐朋音楽大学を卒業後、アメリカのテキサス州に留学してリリー・クラウスに師事しました。
リリー・クラウスはテキサス州で大学教授として指導していた以外に、毎年バン・クライバーン国際コンクールの審査員もされていました。
私の師 岡本美智子先生は1969年、野島稔さんと同様バン・クライバーン国際コンクールに入賞しました。
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東京公演では、岡本先生ご家族がお世話をしていたらしく、私も東京公演に誘われました。
掲載したパンフレットは分厚く立派で、曲目解説は寺西春雄教授。
(寺西先生には桐朋の高校時代に授業を受けており、大変お世話になりました。)
当時小さかった私は、残念ながら演奏の詳細は覚えていないのですが、全曲モーツアルトのプログラムの日で、舞台に登場したリリー・クラウスは、鮮やかなフクシアピンクのドレスに身を包み、髪を結い上げ(写真の様に)高貴な貴婦人のようでした。
彼女は溢れんばかりの笑顔でさっそうと会場に現れ、演奏が始まる前からすでに熱気に包まれ、素晴らしい雰囲気が広がっていました。
演奏後ご挨拶をするため・・サインを貰いに楽屋に行きました。
丁寧にパンフレットにサインして下さり、終始温かい笑顔でした。
(今だったら図うずうしくも、レッスンを申し出たと思います・・残念)
実は、このコンサートにはピアニストの中村紘子さんもご来場していて、楽屋を訪れた際、マネージャーらしき何人もの取り巻きを連れて狭い廊下をゴリ押して先頭に。列に並んでいた多くの方に「通してくださーい」と。
その態度から、列に並んでいた人々からは相当不評で、不満を述べる方も何人もいらっしゃいました。
(大事な演奏の詳細よりも、こんなどうでも良い事をよく覚えている)
ちなみに、リリー・クラウスはウィーンコンセルバトワールに留学しており、後に教鞭をとっています。
コンセルの学長室には、彼女の大きな写真が壁にかけてありました。
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審査員を努めたリリー・クラウス
長い間忘れていた記憶と古いパンフレット・・懐かしい思い出に浸りました。
偉大なピアニストの思い出に感謝
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