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発達障がいイラストレーター兼Vtuberの人生と毎日の歩き方
31歳、発達障害者のイラストレーター兼Vtuberの綵姫です。
この自己紹介を聞いて、どう感じますか?
色んな事を思う人が居ると思いますが
私には、【どんな風に思われているか】が全くわかりません。
もっとわかりやすく言うと、相手の気持ちがわかりません。
日本人は行間を読み取ることが得意な人類らしいですが
私には行間どころか、相手が何故怒っているのかすらわからないのです。
改めまして、私は発達障害と併発する躁うつ病と睡眠障害を患っている
障害者手帳2級の障がい者です。
発達障害は個性だからと多くの人が口にします。
ですが私は発達障害のせいで生活に害がある(生きづらい)ので
発達障害はやはり"障がい"であると考えています。
そこで今回は、発達障害がどんな病気でどんな生活をしているのか
どうやって発達障害と向き合っているのかを紹介します。
発達障害といっても症状は様々なので、今回お話しするのはあくまで
私個人のことになりますが、少しでも参考になれば幸いです。
とはいっても、変人の自分語りのようなものですが。
さて、私が発達障害だと診断を受けたのは
20代も後半に差し掛かった頃でした。
それまでは18歳ごろから躁うつ病と睡眠障害という診断を受け通院していました。
引っ越しに伴い病院が変わり、WISC検査(IQテストのようなもの)を受けることになり、発達障害だと判明しました。
発達障害というのは先天性の脳の病気であり、後天的なものではありません
つまり、脳の病気をもって生まれたわけですね。
なのでやはり子供の頃から、健常者とはどこか違う違和感を感じていました。
私が初めて感じた違和感というのが九九が覚えれない事でした。
小学校2,3年の頃、九九のテストがあり、そのテストの方法というのが
クラスの前で一の段から答えていき正解したところまで先生にシールを貼ってもらい、不正解になった段を次の授業までに復習し、それを繰り返していき九の段まで覚えるというものでした。
私がシールをもらえたのは卒業まで頑張ったのですが一の段だけでした。
そして大人になって随分たった31歳の今でも九九も出来なければ簡単な計算すら困難です。
想像がつくと思いますが、先生や同級生から向けられた私への認識は
【勉強が出来ない馬鹿な子】だったわけです。
ではなぜ、九九が出来なかったのか。
発達障害だったと言えば完結するのですが、さらに掘り下げて私の脳の中を紹介します。
まず、そもそも文字の読み書きがとにかく苦手なのです。
何故苦手なのかというと、私の目には文字や数字は踊っています。
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こんな感じです。
私はさらに文字が反転したり、動いたりします。
ディスレクシアと言い、発達障害の中の学習障害という分類の症状です。
そもそも自分が見てる世界が偽物だなんて気が付かなかったし
みんなこう見えているものだと思っていました。
文字が下手だったり反転して書いてたり、書き順がおかしかったり
それはあくまでも勉強不足だと学校で言われ、自分もそうなんだと思っていました。
けれど何度やってもどれだけ勉強しても、上達はしませんでした。
そもそも見えてるものが違うのだから、そりゃ出来なくて当然なのですが
そのことを知るすべが全くなかったのです。
それに加えて、発達障害には記憶の困難さがあります。
よく聞く話で言えば、忘れ物をしょっちゅうしてしまったり
次々と目移りしてしまい本来の目的を忘れてしまうなど
周りの人から見たら、ドジな子や落ち着きがない人と見えてしまいます。
そんな状態ですから、九九なんて覚えれるわけがありません。
優しい先生から九九が書かれたシートを渡され順番に声に出して言ってみよう!大丈夫だよ!と言われても、動いて読みずらいし今何の段まで言ったかすら忘れてしまうのだから、その優しさは余計に苦しいだけなのです。
また、忘れ物をしたところで
「誰だって忘れることぐらいあるよ」とさんざん言われてきました。
それは、その人からすれば励ましの言葉なのかもしれないですが
当事者の私には重くのしかかり続けることになります。
確かに、誰だって忘れ物もするし、苦手な事があるのはわかっています。
でもベクトルが違うのです。
これを読んでいる健常者の方も忘れ物はしたことがあるはずですが
数日に1回程度の事ではないのでしょうか?
私は小さい事も含めると一日に何十回と忘れます。
トイレに行こうと席を立ったはずなのに、違う事に目移りしてトイレに行くことを忘れる。
今さっき持っていたはずのコップをどこに置いたか忘れる。
ドアを開けようとしても鍵をどこに入れたか忘れる上に、やっとの思いで見つけてドアを開けると、鍵をさした事を忘れドアにぶら下がったまま放置される鍵。
注意散漫で、二つの事を同時にできないし一つすれば一つ忘れる。
それが私の日常なのです。
しかし小学生の頃は、幸か不幸か私の親は勉強しなさいと言う親ではなく
テストの点がいくら悪くても、健康で元気ならそれでいいという考えの人だったので、そこまで思いつめる事もなく、若干の違和感を感じながらも
ちょっと変わった馬鹿な子というレッテルではありましたが、案外なんとかなって日々を過ごしていました。
それが中学生になると、ちょっと変わった馬鹿な子から、頭のおかしな奴にジョブチェンジを遂げ、私はまんまといじめの対象に抜擢されました。
冒頭にお伝えした通り、私は相手の気持ちがわからないので、何を求められているのかさっぱりわからないし、相変わらず勉強は出来ないし、空気が読めないので、いじめる対象としては完璧な人材だったと思います。
私の中学校では、協調性に重きを置く先生が多く
【普通ではない】生徒は、先生からも異端児扱いを受けました。
いじめを認識していても、その対象が異端児なのであれば
それは"致し方ない事"なのです。
今のご時世では大問題になりそうですが、、、
この頃から自分はおかしい人間なのだと思うようになりました。
いや、思わざるを得なかったんです。
軽度の自閉症でもある私は、いわゆるコミュ障で相手の気持ちがわからない上に、コミュニケーション能力が欠如して、人間関係の構築がかなり困難なので、思春期の中学生からすれば、私は当時言われた言葉をそのまま引用するのであれば【キ〇ガイ】だったのでしょう。
また、私は音の距離感がわからなかったり、時計が読めなかったり、人が多い所が苦手だったり
沢山の出来ない事や苦手なことがあるので、そんな所も含め、発達障害を知らない健常者からすれば異常者に見えてしまうのでしょう。
さてここで、何度も出てくる【相手の気持ちがわからない】という部分について話させてください。
通常の人は言葉にせずとも喜怒哀楽や空気を読み取れるそうなのですが
私にはそれはとても難しいことなのです。
たとえば
「告白したけど振られちゃった」と聞くと、悲しいんだなと普通の人は理解するのに対して、私は「告白したけど振られちゃって"悲しい"」と言ってくれないとわからないのです。
悲しいとはわからない私は、面白い話だと誤認して笑ってしまったりしてしまうのです。
表情とかでわかるでしょと思う人もいると思いますが、わからないんです。
今は経験や訓練を経て、例えば相手が怒っている場合、”怒っている”というのは少しはわかるようにはなったのですが"何故怒っているか"は言葉にしてくれないと、わからないままです。
俗に言う、空気が読めない奴というわけですね。
家族が私への違和感を感じ始めたきっかけの出来事がありました。
私は洗濯物を回しておいてと頼まれたので、回しました。
私からすれば、言われた通りにちゃんとやったのですが、違ったんです。
洗濯物を回しておいてというのは、洗濯物を回し止まったら干すという意味だったのです。
ですが私は、洗濯物を回しておいてとしか聞いてないので、言われた通りしたまでなのです。
この時に家族は、1~10全て伝えないとわからない子だと思ったそうですが、発達障害と結び付くことはありませんでした。
この言葉にされないとわからないという足枷が今も私を苦しめ続けています。
こういった生きずらさを強く感じたり、自己否定をひどくするようになったのは、高校生になってアルバイトを始めた頃でした。
家庭環境の悪さから、軽い鬱病になってはいたのですが、高校がやりたかった専門の学校だったのと、人間関係が良かったおかげで相殺できていたので、ときたまリスカしたりぐらいで割と楽しい学校生活を送っていました。
始めにアルバイトをしたのは店長が一人でやっている小さい居酒屋で、学校の近くにあったので働き始めました。
お昼のランチタイムだけにシフトを入れていたので、メニューは3種類のみ。なのに注文すらまともに取れない。
何度も聞き返してしまいお客さんをイライラさせてしまっていました。
そしてお会計の時が特に大変で、数名で来たお客さん達は伝票には合計の金額のみ書く仕様だったので、お会計を分けてくれと言われた時にはパニックになりました。
電卓もないし、レジも料金を手打ちするだけのものだったので、頭でぱっと計算できない私はお客さんを待たせてしまい、毎日店長に怒鳴られる日々。
自分でも何故こんな簡単な事も出来ないのかわからなくて泣いてばかりでした。
計算しないでいい、一人で出来るバイトも何個かやってみたのですが
簡単な所でつまずくばかり、、
そんなこんなでどんなバイトをしても全く続かず、バイトを楽しいといってやっている友達たちが不思議で羨ましくもありました。
そんな私ですから、もちろん高校卒業しても就職はせずに、アルバイトをやってはすぐやめるという生活を数年続けてなんとか生活していました。
さて、ここまで長々と過去の話をしてきましたが
では、発達障害とわかってからはどうやって生活をしているのか
どうやって向き合っているのかの話です。
まず、働くことをやめました。
正確に言うと、誰かのもとで働くのを辞めました。
こんな私でも音楽の専門学校に通っていたり、絵が得意だったりと好きな事はありましたので、それを伸ばせないかと考えました。
まず、絵は書けない人よりは書ける程度でしたので、練習する必要がありました。
なので音楽提供でお金を稼ぎながら絵の勉強をすることにしました。
音楽提供といっても後輩バンドや身近な人からの依頼をやり、依頼が無いときはドラムの講師やMIX依頼などもやっていました。
イラストは練習しながらも成人向けイラストでお金を少しではあるものの稼げるようにもなっていました。また、アクリル画も練習していて、公募展で入賞できたこともありました。
この頃には一人暮らしを始め、その日暮らしでしたが、今までで一番楽しいとを思える日々を過ごしていました
そんな生活を数年続け、前々から興味があったVtuberを開始します。
最初は楽しかったんですが、やはり人間関係に悩み、上手くいかず
数年で、転生することになりました。
私生活もうまくいかず、病状が悪化し、この辺りで発達障害と診断されました。
転生後は発達障害と共に生きていくことを決意し、実家に戻り
主軸はあくまでもイラストレーター、Vtuberはおまけと考えを改め、今の活動を自分の中で確率できました。
イラストレーター兼Vtuberになってからは、音楽よりイラストの仕事が忙しくなりIRIAMやLive2Dのモデル制作やロゴの制作や成人向けイラスト制作等の仕事をやりつつ、広告代理店からの依頼でCMを作ったり、今までの自分では考えられないぐらい仕事を楽しんで、できるようになりました。
私がやったことは、苦手な事や出来ない事からはなるべく逃げるということです。
簡単そうで案外難しいこの逃げるという行動は甘えでもなまけでもありません。自己防衛なのです。
人間関係の構築が苦手なら最小限でいいんですよね。
私は心からの友達と思えるのは幼馴染の一人なんですが、別にそれを不自由でも不幸だとも思いません。
幼馴染は私の全てを受け入れて、発達障害と分かった時も、特に何も言わず今までと変わらず接してくれたんですよね。
仕事も別に誰かの下で働かなければいけないなんてルールないんですよね。
もちろんフリーランス、自営業は難易度高いですが
私にとっては、誰かの下で働くよりは断然楽で幸せなんですよね。それでいいんですよ。
それに今は文明の利器が山ほどあるので
計算出来なくてもスマホで電卓あるし、文字が読みにくくても読み上げ機能があるし、忘れ物しても死ぬわけじゃないし
【なんとかなる】と思えるようになったら、生きやすくなりました。
なんとかなると思えるまでは、ほんと生きづらくて毎日死にたいって思ってたし、やっぱり今でも死にたくなるほど苦しくなる時もあるけど、それでも昔よりは大丈夫、大丈夫なんとかなる、どうにもならなかったら逃げようと自分に言い聞かせれるので、楽ですね。
あと、発達障害と診断されてからは、はじめましての人には出来るだけ先に伝えるようにしています。
発達障害なので、マルチタスクが苦手で文字の読み書きが苦手で、計算も苦手で、人の気持ちもわかりずらいです。って
ちゃんと説明するとわかってくれる人が案外多いんですよね。
私は過去が原因で、全員が敵だと勝手に思い込んでたんです。
もちろん受け入れてくれない人はいますが、そんな人とは関わるのを辞めればいい、受け入れてくれる人と接すればいいって言うのは主治医を教えてくれたことなんですけどね。
好きな事を仕事に出来て、否定せずに受け入れてくれる人とだけ付き合えてる今は、発達障害も案外悪くないなって少し思えています。