母の行きつけのスナックになりたい
今年の夏、母の涙を見た。
幼い頃から抱いていた母への印象といえば、
器用で何でもそつなく出来て、堂々として、些細なことでは動じない強さと頑固さ、辛抱強さを持ち、いつでも明るい人。
若干誉めすぎた気がするのでもうすこし補足すると、
大雑把で一年中断捨離していたり、ダイエットプロテインを飲みながらお菓子を食べたり、もらった相手が反応に困るであろうLINEスタンプに何故か課金したり、写真撮影を頼むとほぼ100%の確率で手ブレするような私の母です。
昔からひとたび怒らせるとそれはそれは怖く、私が小学生の頃は何か悪さをするとこっぴどく叱られ、反省のために外に締め出されたことも何度もあるし(そのたび祖母が助けにすっ飛んできて、祖母まで怒られていた笑)、
ほぼジャイアンのような体格と性格を併せ持つ弟の長い反抗期にも屈せず、へとへとになりながらも全身全霊で向き合っていたのをよく覚えている。
母の親しい友人たちからは「姉御」と、どこぞで番を張っていたかのような愛称で呼ばれ、様々なコミュニティにおいて何かと頼りにされているようだったし、
私も人生の様々なターニングポイントで、母の歯に衣着せぬ率直なアドバイスと、明朗快活な性格に救われた。
振り返ってみても、ドラマや映画で感動する以外、母が涙したり辛そうだった姿は、ほとんど記憶にない。
バリバリ働いていたものの結婚を機に専業主婦になり、何年も私たち家族の支えであり続ける強く逞しい母は、
私も結婚して別々に暮らすようになった今、ますますかなわない存在だと思っている。
これまで私にとって母はずっと揺らがずに、
誰よりも強い人だった。
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1年ほど前から、祖父母が次々と身体を悪くして、介護や看病が急を要し、母の毎日は見る見るうちにいそがしくなった。
毎朝4時に起きて、ひたすらに動き回っていても時間がまったく足りず、最近は疲れ果てて倒れるように眠るのだという。
本来なら、私も弟も社会人になった今、母にはセカンドライフを存分に楽しんで欲しいし、好奇心旺盛な性格を活かして習い事や旅行などにも自由に行ってほしいものだが、
実際には私たちの子育てをしていた頃よりもはるかにハードなスケジュールを送り、息つく暇もなく、プライベートの時間はほぼ無いに等しい様子。
そして最近、母とずっと仲の良かった優しく聡明な祖母が、めっきりと元気がなくなり、寝込むことが増えた。
そんな色々が積み重なった今年の夏。
ひとりで実家に帰り泊まった夜、
母とふたりで晩酌をしていたときのこと。
ふいに、母が泣いた。
きっと毎日、気丈に振る舞いながら、
先の見えない不安や蓄積した疲労、
祖母のことなどで精神的に堪えているのだと思うが、
あの強い母が、知る限り誰にも弱さを見せない母が、
ぽつりぽつりと近況を話しながら、
私の前でこらえきれず泣いていた。
これまで私がひどい失恋をしても、どんなに仕事で失敗して凹んでいても、調子外れの歌で笑わせてきた母が。
歳もあり涙脆くなったのかもしれないが、いずれにしろ一大事である。
私はとても驚いたが、咄嗟になんでもないふりをした。
私がそこで狼狽えたら、母は二度と泣かなくなると思ったから。
すこしのあいだ戸惑ったのち、ふと気づいた。
母はもしかすると、
強くて、真っすぐで、そして脆いのだ。
思えば一緒に暮らしていた頃は、仕事から帰ると毎晩、
ご飯を食べながら私がほぼ一方的にその日あったことを話して、たまに愚痴も吐いて、母はそれを聞きながら、一緒に笑ったり憤ったり喜んだりしていた。私にとってそれは、欠かせない気分転換だった。
正直なところ毎晩そんなに何を話すことがあったのかも思い出せないし、
思い出せないほど取り留めのない話だったのだろうとも思うけれど、
ひょっとしたらあの毎晩の小1時間が、「娘の話をただ聞いている」ようで、母にとっても、リセットになっていたのではないかと、思いを巡らせた。
きっと今、母にとっての「リセット」も「ひと休み」も、なくなってしまっている。
小休憩なく、ずっと走り続けているのだ。
離れてみて初めて、
あのなにげない晩酌の習慣が実はちゃんと意味をもっていたのだとわかった。
誰よりも強いと思っていた母は、
私のために、強くあろうとしてくれただけだったのかもしれない。
母がふいに流した涙と、それを悟られないように堪えた表情を見て、
いつだって強く、支えてくれた母に、初めて“頼られたい”と思った。
31年もかかってしまったけど。
今度は私が強くなる番だと思った。
あるときには休憩所のように水を差し出し、あるときは気心知れたスナックのママのようになんでも吐き出せる。
母にとってのそういう、「ひと休み」になりたい。
今年の夏の、私のひそかな決心をここに記します。
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