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思考を止めるな!

「なんとなく苦手だから」と、避けてきたテレビ番組がある。

あえて番組名を挙げることはしないが、ジャンルでいうならば

恋愛リアリティショー、人の不幸をネタにするワイドショー、愛憎劇。

物心ついた時から平和を好み、事なかれ主義な性格なので、自分の心のベクトルが少しでもマイナスに振れそうなサインを感じ取ると途端に目を背けたくなり、わざわざ観ようとはしてこなかった。

このほかにも、世間一般的に話題になっていても、「なんとなく興味が湧かないから」と、スルーしてきたコンテンツが、いくつもある。

逆にいえば好きなものも非常にわかりやすく、

ハッピーエンドや勧善懲悪もののドラマ、底抜けに明るいバラエティ、人物フォーカスのドキュメンタリー、音楽番組。

主人公が苦労の末に報われれば自分のことかのように涙し、理不尽が解消されればガッツポーズし、くだらなさの極みのようなネタでひっくり返るほど笑う。非常にわかりやすい人間だと自覚がある。好きなものに囲まれていることは幸せだし、こんなふうに好きと苦手が明確なことは、生きやすいとすら思っていた。


ところが先日「言葉の企画」の講義の2回目で、テレビ朝日のプロデューサー、芦田太郎さんがゲスト講師としてお越しくださり、私はこの講義が終わる頃これまでの自分の選択を少し反省し、恥じることとなった。

芦田さんは、「あいつ今何してる?」「あざとくて何が悪いの?」「探シタラTV」などを手がける、まさにテレビの新時代を担うプロデューサー。

今回の講義で芦田さんから出された課題は、「バナナマンorフワちゃんをメインに据えたゴールデンの番組を企画せよ」というものだった。


最初は「よっしゃ!キタコレ!私のための企画!」と思った。

なぜなら私はバナナマンのファンだからだ。自分の結婚式のオープニングムービーを、バナナマンライブ 2011のオープニングテーマ(曲はSAKEROCKのEmerald Music)のパロディーにしたり、バナナマンのドライブスリー(現バナナドライ部)でふたりがおもむろにロンハーマンに立ち寄り買っていたリュックをその週末買いに出向くほどだから。

こんなに嬉しい課題はないと思った。


なのに。

いざ取り組んでみたら、こんなに好きなはずのバナナマンの企画を、考えるのがどんどん苦しくなった。

何を思いついても、「これは私だけが面白いのであって、他の人は特になんとも思わないのではないか」

「ふたりは特にこの企画はやりたくないのではないか」と

消極的思考のループにはまり、スマホに思いついた企画メモを書いては消し、書いては消し。

散々唸った結果、自分が一番観たいと思う企画を捻り出し、ふたりの姿を想像しながら書き起こしてはみたものの、「企画書」の体裁を気にしすぎて結局小さくまとまってしまった。

好きなものや好きな人が企画のテーマになることは、楽しくて、しんどいことだと知った。


若干のもやもやが残るまま講義の日を迎え、芦田さんの話を無我夢中で聞いて思ったこと。


「人の心を動かす」企画は、天才的ひらめきでも奇を衒ってインパクトを狙うものでもなく、 圧倒的インプット量と多様なアンテナ、そしてなにより思考を止めない努力が成すものだということ。

たとえば若い人に共感され支持されるテレビをつくるなら、まず今のテレビを知っておくというのは大前提として、若い人のカルチャーを知り、若い人の趣味嗜好を知ることがスタートライン。 

話題のコンテンツになんとなくついていけずシャッターを下ろしたり、「最近の流行りにはついていけない、この人には興味が湧かない」と評論家然とするのは簡単。そして、そこで思考は止まってしまう。 

面白いと思っても、思わなくても、とにかく知る努力。 

人気の理由を、人がその番組やコンテンツを好きになる理由を、自分なりの軸で考えてみる努力。

面白くない、合わないと仮に思ったとしたなら、

なぜ「私にとっては面白くない」のか、なぜ自分には合わないと思うのか、考えを巡らせる。

逆も同じ。「面白い」と没頭できる何かに出会ったなら、

沸き起こる「面白い」感情の理由をとことん追求する。


芦田さんはそれをもう何年も繰り返してきた人で、

私はそれを、してこなかった人だ。

好きなものに囲まれて、ぷかぷか気持ちいいぬるま湯に浸かって、

苦手なものは避けて、それでいいと思っていた。


ただ、これからは違う。

せっかく企画生になったのだから。ことばを使い、企画をする、一歩を踏み出したのだから。

届けたい誰かがいるなら、その誰かを知らなくちゃ。

自分から、知りにいかなくちゃ。話はそれからだ。


芦田さんは普段から積極的に、様々な世代と話をするようにしているそうで、それは「普遍的な目線を養い、自分の感覚を確かめるため」だと言っていた。

バナナマンの企画を考えるとき、“私の感じた「面白い」「楽しい」の感覚は一体合っているのか”と何度も自問自答し、自分を客観視しようとしたことは、企画にとっては必要なことだったのだと知り、少しばかり救われた。


芦田さんの血の滲むような努力や並々ならぬテレビへの想いは、同じ社会人、同じ30代としては終始「参りました」という感じだったけれど、


テクニックや才能はなくても、思考を止めないことならすぐに出来る。

知ろうとする努力は、明日からでも出来る。


この週末は、最近多くの人を魅了している、かのオーディション番組を、観てみようと思う。






















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