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過去のおはなしを振り返って伝えたい事
どれからでも視聴出来る様に3つ貼ります。
うーん、今日は体調悪いね。寝込みの煮込みだわ。そんな時こそ「振り返りTime」だよね。
はい、絶賛自分の過去に話した話しを聴いていました。そしたらね、お!これは割とわかりやすいのでは?と思いここにシェア。良かったら聴いてみてね。
わたしもね、ずっと考えていたよね
自分らしい人生...自分らしく生きるって何?
正直わからなかったねぇ
ああ、そうかも知れないな。うん、今ならそう
思うな。そんな自分になって、その自分の考え
を発信するってさ、誰かを否定するって事では
ないのよね。(よく勘違い&誤解する方いるよ)
自分の意見や考えは自分のもので
誰かと違ってもそれも「当たり前」
ではないですか?
なぜ多くの人々は「同じ」でないと納得しないのか?なぜ「共感」出来ない事を批判やバカにしていると捉えるのか?その辺も物凄く毎日考える人間の心理についての1つだね(わたしにとって)
今、多くの人は「人と違うヤツ」を弾きがち
嫌悪感を抱いたり、反発心から怒りの感情が生まれるのも「自分自身の中に答え」があると齋藤綾嘉は思います。
自由に、囚われず、生きる事
難しいよね?
それを実際にやってる人を見ると
腹立たちませんか?
一種の嫉妬と「自分に出来ない事」をしているから
だなとわたしは思ったかな。凄い!わたしも!と言う気持ちとは裏腹に羨ましい、いいよね「そうできたらさぁ」と言う嫌ーな感情。それがもれなく過去のわたしの中にはありました。
諦めたくないけれど諦めそう(もういいや)と思っている自分や自分に言い訳をして現実逃避する自分も当たり前にいました。
そんなわたしが嫌いだった。
じゃあ、どうしたら嫌じゃない自分になれるのよ?どうしたら自分は変われるのよ?
考えたし、わからないが🌀ループ
それでも今、ここにいるわたしは
「わたしの考えを発信している」
自分を知る。嫌な自分を認める。自分の弱さを認める。なりたい自分を考える。そこに向かう方法を考える。やってみる。(実践・挑戦)失敗、落ち込む。泣く、嫌になる。から回る。それでも自分を信じる。人を観察してみる。人の話を聴いてみる。自分の感情を書き出してみる。言葉にならない言葉は何?
そうやって日々様々な事を積み重ねて
今、わたしはここにいる。
自由に、囚われず、生きる事
を実践しながら毎日想定外と言う想定内に
立ち向かう。簡単じゃない。難しいの極みです。
それでも「諦めたくない」なら人間はやるよ。
踏み出す勇気は死ぬほど無理だ!それも当たり前!
自分を理解して欲しい、人間誰しも思う事
けれど理解は出来ません。
(そしてわたしは理解する必要性はなし)
と今は思ってる。
人に必要なのって理解なのだろうか?
そもそも理解って何?
人間に必要なものって「今、多くの人が必要ない」
と思っているもので人間に必要だ!と「今、多くの人が思ってる事」はそうでもないと齋藤綾嘉は思うんだ。
考え方・捉え方の違い、コミニュケーション、
一般、概念、その他の全て
歴史はずっと今日まで続いていて変化しているし
技術の発展は目覚ましい。それにより生活もより
変化し人間も変化している...
のに変化しないもの
何?とは考えないのだろうか?
変化したなら人間もその変化に適応しないと
当たり前に生きれないし生きていられない
生きづらい
その生きづらさを加速させているのは
わたし達「人間」でしかない。
思考は何のためにある?
気づきは人に何を与える?
知るとは何か?...
答えは一人一人の中にしかないとも思う。
それぞれ違うとも思う。
それが人間ではないのか?と今日も人間について
考えるし、自分自身に向き合う。
誰がなんと言おうとわたしは人間研究者だ。
伝わり切るなんてないよ。
だから死ぬまで「全て」で伝え続けると決めた
わたし、齋藤綾嘉と言う人間はどんな時も全力
で何かをしてる。そして何かをしない。
しない事も生きる上では必要だ。
なんでもかんでもしていたら死んでしまう。
良い人にならなくてもいいし
嘘ついて人を欺くのも違うだろうし
何者かになりたいんだ!と人はよく言うけれど
その何者かになりたい自分がそれらをつくり出し
ているのでは?とも思う。
何者か?人間だよ。わたしもあなたも人間は皆人間である。それ以上でもそれ以下でもない。そしてわたしは齋藤綾嘉と言う人間なんだ。
人はもうすでにその「何者か?」にはなっている。
それを知る事がないのもそれに気がつかないのも
見ている所や方向が違うからではないだろうか?
あなたはあなたで、わたはしはわたし
違うものは違うし、似ているものも当然ある。
ない、ない、ない、ある、ある、ある
何がないで何があるかは人それぞれでしょう?
人はわたしの事を意味不明扱いするけれども
意味不明なのは余程この世界で何も感じず
生きれる人ではないか?そう思うわたしも
いるよ。
人の話は生きている知識だ。
話し聴いて損する事はない(騙されるは論外)
とりあえず話しは聴いてみようぜ!とわたしは
皆さんにお勧めする。
長い話しは(おそらく皆さん)好きではないし
聴こうとすら思わないはずだ。何故なら手軽に
自分の欲しい情報だけをまとめて簡単に短く
手に入れられるから。
そこに落とし穴はあるよ。
自身が「要らない情報」と弾いたものの中に
あなたにとって超重要な気づきのもとなる
情報があったらどうするの?
まぁ、わたしの長い話しをむりくり
全部聴いてよ!なんては言わないさ
けれど、もしもこれを読んで
「そうかもな」と思った人がいるなら
良かったじゃないか?「そうかもな」は
1つの気づきで「今、自分の中にはない考え」
だったと言う事になる。
みるもきくも自由だ。
全ての選択は自分自身にある。
人間は死ぬまで変化し続ける(そして人格は形成されても変化し続ける)理論をわたしは1つ提唱したいんだ。この理論の先にわたしが生涯をもって提唱したいBOR理論が存在する。この理論を提唱する事により救える可能性のある命がある。だからわたしは自分の人生と命を賭けてそこに挑み続ける。
殆どの方にとってはどうでもいい理論でしかないだろう。どちらかと言うと人格心理学におけるはじめの理論の方が重要性は高い。
しかし、その先にあるBOR理論が提唱されなければ救える可能性のある命が救えない。(それは死を意味する)だからこそわたしは本気なんだ。
救う救わないと言う言葉じりだけ聞いたら
なんだ、傲慢だなと思うかも知れない。
理論と言うものはある意味副産物でしかない。
気がついた人間がそれを追求し提唱しなければ
何もはじまらない、そんな切ないものでもある。
研究者とはツラい。特に人間に関わる研究は
とてもツラいのだ。対象が人間である限り...
とこんなマジ話しをしたところでわたしの何を
知れたか?わたしを信じるか?なんてたかが知れているのも百も承知の上で話しています。
伝えたいのは齋藤綾嘉と言う人間が本気だと
言う事。ただそれだけ。
Human researcher, psychologist,
creator, digital artist: Ayaka Saitou
2024.12.11