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政治に関心がなくなった日本人とアメリカ人

今はアメリカ人も、政治に関心がなくなった?



【あやかんジャーナル 配信15】

日本では昔から、政治に関心がない人が多いと言われてきた。若者に限らず中高年もそうだ。喫茶店などで政治について熱く語っている人を見かけることはあまりないし、抗議デモなどに参加するのは高齢者が多く、デモに参加することそれ自体が、特殊なことのように思われている。アメリカのようにカジュアルにデモに行くといった風潮はない。

強く印象に残っていることがある。あれは確か2019年で、私が中学生の頃のことだった。衆議院選挙だったか参議院選挙だったか忘れてしまったが、新橋駅の前で、政治家が演説をしていた。当時注目され始めた政党で、駅前にステージを出し、代わるがわる支持者が登壇しては、日本を変えるのだと演説していた。テレビでよく見かけるミュージシャンやお笑い芸人なども、応援演説に来ていて、駅前は大勢の見物人と、その新しい政党の支持者でごった返していた。
私は兄と二人で、駅前のカフェ(それもProntoだったか椿屋珈琲店だったか忘れてしまった)でケーキを食べながら、政治家の演説を聞いていた。厳密には、聞いていたというよりも、マイクの声が大きいので聞こえてきたという方が正しい。
当時、兄は高校をやめて、ずっと家にいるような暮らしをしていた。両親はそのことで困っていたけれど、私と兄は仲が良く、たまに二人で東京都内の喫茶店やファミレスに行った。中高生だけで店に入るのは、初めのうちは周りから変に思われないだろうかと気になったが、私たちは実年齢よりも大人びて見えるので、店の人から注意されるようなことはなかった。
その日、街頭演説はマイクの音量が大きく、店の中にいても目の前で聞いているかのように、一字一句はっきりと耳に届いた。

日本は今のままでは確実に滅びる。
死を選ばざるを得ないほど、追い詰められた暮らしをしている人が、この国には多くいる。
国に殺されるくらいなら、立ちあがろう。僕に力を貸してください。

演説を聞いていると、なんだか心がざわついてきた。
理由もなく、とても不安な気持ちになった。

店は満席で、多くの客たちが談笑したり、ラップトップを開いて仕事をしていたりした。私と兄が向かいあうテーブルの隣では、3人のお兄さんがラップトップと書類を挟んで真剣に話をしていた。話の途中で何度か、うるさそうな顔をして、街頭演説がヒートアップする窓の外をにらんでいた。
聞き耳を立てるつもりはなかったが、私は隣の3人が気になって、何の仕事をしているのだろうとテーブルに目をやった。ぜんぶは理解できなかったが、アパレル・ブランドのベンチャーがどうのと言っていて、ようは、ファッション関係の仕事なのだと分かった。
「日本は今のままでは確実に滅びる」
政治家の声が聞こえてきた。
すると、お兄さんのひとりが、街頭演説の大ボリュームに観念したような顔で、「おまえ、政治についてどう思う?」と仲間に訊ねた。
訊ねられたお兄さんは、
「俺は、政治には興味ないね。政治なんかに頼らないで生きることが、大事なことだと思うよ」
と、はっきり答えると、ラップトップに目線を移した。
周りの仲間たちも口々に「そうだよな。国に何かしてもらおうなんて、ダメな考えだよな」と言って頷きあっていた。
隣で聞いていた当時の私は、特に何か感想を抱いたわけではなく、ただ、そんなものかと、3人の話を聞いていた。


あれから私は高校生になり、卒業して、アメリカで大学生になった。ニューパルツの日々において、日本人とアメリカ人の政治への向きあい方の違いに、驚かされることが多い。180度違うといってもいい。
アメリカでは、「政治とは、こちらが頼ろうと頼るまいと、政治の方からこちらにやってくるもの」だと捉えられている。だから政治について考えることは、生きること。政治が一人ひとりの日常に溶け込んでいると、考える人も多い。
カフェやレストランで政治について熱く議論する人をよく見かけるし、大統領選挙が近づく頃になれば、みんな政治にしか興味がないんじゃないかと思うほど、若者から高齢者まで、それ一色の話題になる。

ただ、窮屈さもある。
「政治についてどう思う?」と訊ねられた時に、うまく答えられないと、あからさまにバカにされるのだ。
どんな意見でも自分なりの考えを、たとえそれが稚拙なものであっても、即答することが暗に求められる。しかし政治は難しい問題で、真剣に考えれば考えるほど、即答できなくなるものだ。にもかかわらず即答できないと、即座にバカの烙印を押されてしまう。
それが私が体験した、この前までのアメリカだった。

しかし、今年になってから、変わってきている。
政治に関心を持たない人が増えてきたのだ。
正確にいうと、彼らはあえて関心を持たないように、つとめている。
アメリカの「分断」は深刻で、政治の話が盛りあがると、たびたび険悪なムードになる。親しかった人と仲違いすることもあるし、見知らぬ人と喧嘩になることもある。政治に関連するデモは年々、過激になっていき、暴力事件にまで発展することも、まったく珍しくない。
そうした「分断」が引き起こす社会の不調和に、多くの人が疲れてきた。
だからもうこれからは、メディアからなるべく遠ざかることに決めたらしいのだ。
政治について、語るのをやめるのではなく、関心を持たない。
ここがポイントだ。
多くのアメリカ人は基本的に、政治について考えている。だから一度ニュースを見てしまったら、語らざるを得なくなる。知ってしまったら、意見を持ってしまう。だから知らないでおこう。
こうして、意識的に無関心になることで、穏やかに生きようとしているらしい。
それは今年に入って、色々な物事が急激に変わり、これまでの法律が強引に廃止されたり、新しい法案が急に作られたりしたことと、大きく関係がある。そうした日々のニュースに心をかき乱されたくないという、防衛本能もあるのだろうと、私は見ている。
先日、大学の社会学の授業で、先生がこうした傾向を嘆いていた。
「このまま『分断』が続けば、アメリカは滅んでしまうでしょう」
先生は暗い表情でそう言った。
「熟議を重ねることや、とことんまで話しあうことで互いに妥協点を見つけるのではなく、無関心になることで身を守っていったら、どんな国になるでしょうか? 皆さんはどう思う?」
先生は学生たちにそう問題提起したが、私は答えることができなかった。
中学生の頃に兄と一緒に行った、新橋のことを思い出した。
「政治なんかに頼らないで生きることが、大事なことだと思うよ」
あの時、隣にいたお兄さんの言葉を思い返し、どちらが正しいのだろうと考えた。
答えは出せそうもない。
しかし、考えることを止めてはいけないと思った。

(岡本アヤカ)


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