自然の中に生きることを思惟する2024夏
今年の夏、私の生活に一気に静寂が訪れた。
8月下旬
九州に訪れた大型台風10号
わたしは離島で過ごしていた
今年の夏、わたしは離島で暮らした。
毎日泳ぐ。
毎日暑くて毎日海に揺蕩う。
台風後の海、土砂で崩れ流れてきた流木や漂流物で溢れた。
「綺麗な海が汚くなってしまった」
そう思ったが、すぐに違う考えが頭をよぎった。
これは自然のあるがままな姿なのではないかと。
海にとっては、自然災害における漂流物も人間も同等なのではないかと、ふと思惟した。
人間の視点だけで見れば、漂流物は邪魔なものなのかもしれない。だけど、海や地球の視点に立つと、漂流物も人間も同じように異物で、異物であると同時に自然の一部なのではないかと。
今の便利な世の中、
面倒臭いものや扱いづらいものはすべて自分でコントロールして排除することができる。
そう勘違いさせてくれるスマートなテクノロジーがある。
果たしてそれは人間の自然な営みなのであろうか。
日々の生活の中。
目にしたくないものや排除したいものはたくさんあるのがこの世界の事実である。
だけど、それら全てをコントロールできることは不可能であることもまた事実。
この便利な世の中、少し勘違いしすぎてしまっているのかもしれない、そう思った。
すべて、自然の営みであるという視点もある。
わたしたちは、何に抗って生きているのだろう。
目の前の事実を一度、ただの波だと捉える冒険もある
そう考えた2024年夏
世界は曼荼羅なのである。キラキラ
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