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シェアしたがりの私の理由。ポケモン工芸展の感想とか

過去日記のことを振り返りたかったのに、結局個人的に振り返って、ここに書くまでに至らないまま11月になってしまった。
まあまたいつか書きたくなるかもしれない。

わたしはシェアしたがり人間

私は人よりも「シェアしたがり」人間だってことに、ここ一年で気づき始めてきた。
どこかへ行けばインスタに投稿し、お菓子を作ればインスタストーリーズに上げ、子供の成長が見られたらブログに書き、出先で自分の思うことがあったらスマホの日記アプリにこうして書き、仕事の休憩時間にも手帳で何かしら思うことを書いたりスマホに打っている。あとぼんやり頭に浮かんだことはTwitter投稿。
友達に会えば良かった映画や今ハマっている占いやポッドキャストの話をするし、映画を家で見たら夫には感想を言わずにはいられない。Twitterにも映画の感想も上げるし、インスタにもしたくなったらする。

そんな営みは皆していることなんだろうと思って今まで生きてきたのだが、私の周りのSNSで繋がる知人はそれほど映画や美術展を勧めないことに最近気づいた。美術展に関心のない人だけでなく、そもそもSNSを見る専の知り合いが多い。
40歳を過ぎ、よくよく年の近い人のSNS更新を見ていたら、そこまで自分のようにまめに日常を人に見せていないようなのである。

(当然このnoteのサイトも、会った友達に当然のように話していたら存在すら知らなくてこちらがびっくりした。みんなそうなの?)

身近な人もあまりシェアしないことに気づく

一番身近にいる他人、夫は漫画をスマホでよく読んでいる。読んだあとに私に紹介はしてくれない。「現物を読め」ってさ。私はあなたの感想を聞いて読むか読まないか判断したいのになあ!
新聞を夫が朝に読んでいても、その後は無言だ。私だったらちょっと記事を読んだだけでああだこうだ言ってしまうのに…。

映画を割と見ている実家の弟と母に会った時も、「○○が良かった。」と映画の感想を聞いても、「それのどこがよかったの?」と聞くと「えー?」でおしまいか、見なきゃわからないよ!」「とにかく見て!」と言われるだけだ。良かったことは具体的に何なのかを言い合いたいのが私なのだが、なかなかそういう「映画感想おしゃべり会」は自分の周りではできなさそうである。なんだろう、みんなトシでめんどくさくなっている?

シェアしたがりの私は注目を集めたいのではなく、シェアし合いたい。

シェアしたがりの私は、なぜシェアしたがるのかというと、俗にいう「インフルエンサー」的な注目を集めたいのではなく、「こっちがシェアしたから、あなたもシェアしてね。」とその人の本当に思ったことを聞きたい方だ。
私がシェアしたものについてもこれが良かった、あれが良かったと誰かと言い合いたい。別に難しい言葉でなくて良いし、単に「○○なところがびっくりした」って言うだけで良い。
なんていうか、人の感想を聞いてああそうなんだと新たな視点とか、自分の納得を深めたい。解説者とか、評論者の言ってるような答えじゃなくて、何でも良いから「あれが良かった」「あれも良かった」とただ言い合いたいだけなのだ。

昔から感受性が高いと言われていたこと

私は親や学校の先生から「感受性が高い」と子供の頃からよく言われていた。
当時は「カンジュセイ」の意味がよくわからず、特に学校では「泣き虫」だったから、「カンジュセイ」はすぐ泣いてしまうことなんだとずっと思っていた。とすると、ネガティブで受け入れ難い言葉で、言われても何も喜べなかった。(むしろ軽く落ち込んだ。)

手短にGoogleで調べると、感受性とは「外界の刺激・印象を受けいれる能力。物を感じとる能力。」だそう。

私は小学校の体育の授業が出来なさ過ぎて泣いたし、男子同級生に揶揄われただけで怒っていたし、親にちょっと怒られただけで大泣きしていた。人前に出たら顔が真っ赤になって外に発現してさらに恥ずかしくなるなど、子供の頃においての感受性の高さは自分にとって外側だけ見ると何の得にもならなかった気がする。

それが大人になって沸いた感情を外に出すことがマイルドに弱くなってくると、私は感受性の高さを弄べるようになった。SNSという写真と文章を簡単に人に広める機構ができたおかげで、私は何にでも感じたことを言葉にして人に見てもらうことができるようになった。
もし自分の生きている時代にSNSがなかったら私の感受性はどこへ行っていただろう。毎日紙の方の日記に映画の感想を書いていたかもしれないし、全く書かないまま情報集めていただけかもしれない。

何にせよ、SNSが産んだ「インターネットでシェアする行為」が、感受性人間のためにもあって良かったなぁ。と思う。

ここでいきなりポケモン工芸展の感想

今日は子供とポケモン工芸展に行ってきた。小学校一年生の子が楽しめそう、尚且つ私も楽しめるものを探すのは毎週至難の業なのだが、子供騙しみたいな施設は虚無感漂って変にダメージを喰らうので、それよりは必死に調べては行っている。

着くといきなり息子の見たかったイーブイとその進化系達がお出迎えしていた。実物大くらいのそれは現物を見に行かないとわからないくらいのスケール感で、まるで本当にポケモンがいるような感じ。
壺や着物、木製細工の置物など、一つ一つ挙げたらいくらも見足りないくらい素晴らしかったのだが、息子がイーブイを見た途端に「飽き」だし、私に「帰りたい…。」と小声で言い続けるのできて早々、とても良く無い鑑賞状態になってしまった。

感受性の高さをここでも発してしまう私は、自分のゆっくり見たい欲求よりも目の前の子供が飽きていることに気がいってしまいがちなので、ストレスの溜まる美術鑑賞になってしまいちょっと残念だった。まあしょうがない。
飽きてグダグダしている息子をなだめつつ、全品一応見ることができた。
ポケモンは小中学生くらいの時まではやっていたのだけれど、最近は子供しか遊んでないので最近のポケモンは一切分からず見ていた。それでも、伝統工芸品にあのぬるっとした生き物(ポケモン)たちが表現されているのは見ていて楽しい。自然の属性やら動物がそのままポケモンになっているので、日本伝統工芸とも親和性が高そうだった。あと、「打倒村上隆」な感じもした。(皆さん仲が良かったらすみません。)

と、まあ語ればたくさんあるけれど、だらだら書くのが苦手なので感想ここまで。


この作品、そして展示の仕方に村上隆を
思い出してしまうのは私だけか…。
知らないポケモンは息子にたくさん解説してもらいながら見ていました。
どれが目なんだろうって思ったら黒い点らしい?


ここまで読んでくれた方はきっとシェアの楽しさを知っている方々なのでしょうから、今更言うこともないのですが…
難しいことは言わなくていいから、美術とか芸術とか創作物など、どんどん見たもの作ったものの感想を軽い言葉で「ちょっとだけ具体的に」表してくれたら嬉しいな、と思うばかりです。ただ私の周りに興味がない人がいるだけの話かもしれませんが…ね。


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