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家族旅行も嫌いじゃないけど

半年ぶりに箱根へ旅行に行った。
我が家は夫と娘と息子で出かけること自体があまりない。なので私は嬉しかった。久しぶりに行動を共にする夫とは衝突することが少なくなかったが、大半は私が行きたい旅程に付き合ってくれていた。
娘が行きたいというティラミスやら温泉まんじゅうのお店に食べに行き、息子がホテルでしたい卓球にも付き合い、私も行きたかった観光スポットの箱根ガラスの森美術館にも行ける。夫はそれに付き合いつつ、たまに勝手に道を外れてどこかへ行ってしまうこともある。でも私たちが行きたいところは反対しなかった。

好きなところへ行けて、皆が楽しめるようにしている旅行。
でも私は、「もっと一人で自由に行動したいな。」と思ってしまう。

なんだかんだ子供のしたいことは最優先してしまうし、
それが窮屈とか何とかっていう感情が出る前に、自然と私は人の意見を掬い上げてしまう。
なぜ人の意見ばかり聞くかという問いすらなく、「子供が大事だから。」とか、言葉で理由を考える以前に、一緒にいる人のやりたいことには最優先で付き合う。旅行でなくても職場でも友人関係でも、常にそういう生き方をしてしまっているからである。

子供と夫が遊んでいる間にせっせと電車の時間を調べまくったり、子供が食べたいものが買えるスポットをスマホで必死にその場で探す。
本当はもっとゆっくりその場の雰囲気を楽しみたいのに、人を連れているが故に柄にも無く「情報探し魔」になってしまう。

なんでこう、もっと、ゆっくりできないんだろう。

おかげで昨晩は早朝から起きて出かけたにも関わらず、温泉に茹だるほど入って卓球も子供としていたのにあまりよく寝られなかった。
たぶん「この家族を動かさないと…。」という切迫した気持ちで動いてしまっている緊張感かもしれない。旅行で日々の疲れを取りに行ったにも関わらず、日常生活とは違う別の筋肉を使い過ぎている感じ。これが家族旅行というものなのだろうか…。

昨日は夜12時までには寝付けたものの、変な緊張感で早朝4時に眠気が覚めてしまい、なんだかんだで目にクマができたまま朝のバイキングを食べることになってしまった。「目にクマできてる。」と娘に言われた。
寝てはいるが、頭は興奮状態冷めやらずなのか変に力みが入っていて変な感じでバイキングを爆食した。頭がこんがらがるのか、納豆ご飯とパンという和洋ごちゃ混ぜバイキングになっていた。

そして翌日の今日も、ぼんやりしている暇はなく、朝からどこへ行くかを電車の乗り換えアプリを睨めっこしながら探す。子供がホテルの卓球を今朝もしたいと言うので、昨日考えていた電車の発車及びホテル出発時間は練り直しだ。

私は色んな工程から一つを選ぶのが苦手なので、一度パッと決めてからのそれ以外はあまり変えたくないほうだ。だが、子供のいる旅行は日常的に変更が付きもの。全く私の性格と合っていないと思った。

他にも家族旅行には「目の前のことを柔軟にこなす」技術と、「予定立てて行動する」用意周到さと、「周りの意見を聞く」ことが必要なんだと思う。
考えてみるとどれを取っても、私にはその能力が低いような気がする。
予定なんて、私はもともと「カン」で動く方なので、私一人がそれで行き方などを失敗したら自分で尻拭いすれば良い。しかし家族旅行になると家族全員に影響を及ぼすので、添乗員的用意周到さが無いと子供が無駄に疲れて行動が遅くなってしまうなど、より状態が悪化してしまう。夫の機嫌も悪くなるだろう。

こんなことを考えていたら、より家族旅行って私には合ってないイベントだったのだな、なんて思ってしまう。
独身時代はどこでも行くぞ精神で旅行は好きだったのだけれど、結婚して「安全で低コストな旅」が好きな夫に付き合い、出産して更に守りに入るような行動をするようになってからか、いつの間にか「疲れるイベント」になって億劫になってしまった。子供が産まれて自然と家族ができていくのと同じ馴染み方で、私には家族旅行への葛藤が身に付いてしまった。

20代くらいの若者が旅行に行っている写真をよくインスタなどで目にするのだが、「なんでこんなに疲れるのにたくさん出かけるのだろう。」なんて思っていた。歳のせいもあるだろうが、若者はただ行きたいところに素直に行って、好きなものだけ食べて自分の行動を取捨選択できるから旅行が好きなんだよね。

私は家族で揃って出かけられない時期は家族旅行を希望し、それが叶うと私は一人で旅行したいとも思う。
でもわがままかもしれないが、自分にとっての「本当に楽しいだけの旅行」を取り戻したいと思っている。
時間を気にせず好きな場所でぼーっと長居し、温泉も好きなだけ入るだけの、人の事とか一切考えなくても良い行動しかしない旅行。ただ山や緑のある場所で自然を眺め、歴史ある場所ならその時代に思いを馳せたり、美術館に行くならぼんわりと作品を眺める。思うことがあればお茶を飲みながらメモに書き留めたり、美味しいものを探して適当に食べる。そんなマイペースな旅行に憧れる。

今回の家族旅行でも私の行きたい場所には行けた。しかし、その場所に飽きてしまった小学生の息子はずっと「早く出たい〜。ホテルで休みたい〜。」ばかり言って急かされてしまうし、夫も「ここは大したことないな!」と言って出口に行きたそうにしているので、他人に影響されやすい私には大好きな「好きな空間で好きなだけぼーっとする時間」はほとんどなかった。

家族がいる人は皆、私のような葛藤はないのだろうか。
決して家族が邪魔という訳ではなくて、家族とも旅行したいけれど、自分の性格的に合わなくて苦労心労重ねてしまうこと。よくわかんないけど、あともう一泊、自分の為に一人で泊まってしまいたいと思うこと。

わたしの友人も会えば必ず「大人だけで旅行したい。」とは言う。でも私ほど「これが嫌」とか「あれが苦手」とか考え込んでいないようだった。性格の違いなのだろうが。

そんなこんなを論いつつ、帰りの電車ではスマホで撮った子供たちの写真を見返し、初めて食べに行ったソフトクリームが美味しかったことや、温泉まんじゅうを作る機械に夢中だった息子の写真を見てはほっこりしている。そしてSNSでは「疲れたけれど、旅行楽しかった。」と更新している。

夫は今回の旅で次回行きたい場所を見つけたようで、「次回行くなら山登りね!」なんて、体力勝負な旅行を勝手に脳内で計画していた。山登りが大のつくほど嫌いな私にとってはどうしようもない試練になりそうだ。
子供達は旅行でしたいことができて満足そう。早速家に帰るなり、日常のしたいこと(ゲームや動画)の方に戻っている。
私は旅行前から溜まっていた洗濯物を洗濯機にかけ、リュックを片付けていたらすぐにも寝たいくらい眠たくなってきた。夫の提案で電車を特急にしないでいたせいで余計に疲れてしまった。


「家族旅行は疲れたけれど楽しかった。」
も本音だし、
「今度は一人で旅行したい。」
も本音。

自分のしたいことと家族と波長を合わせるバランス。それがはっきり定まらないまま、私はなんとなくも次の家族旅行をするのだろう。そしてまたモヤモヤするに違いない。

しかし、私がお土産に持ち帰ったパンを娘が食べようとしているのを夫が私の為に止めてくれたとう滅多にない思いやりを感じられた時や、
娘とホテルのカラオケでサビしか分からないモアナ2の曲をサビだけとにかく歌ったこと、
息子がホテルの夕食時に「みんなで時間に遅れないで旅行できてよかったねぇ!」と言っているのをしみじみ日本酒を飲みながら聞いたのを思い出すと、
「ああ、みんなで旅行行ってよかったなぁ。」
なんて安堵した気持ちでやっと安らかに眠れるような気がするのだ。


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