自分の音を聴く
気づいたこと、私はかなりこだわりが強い。
世間一般でいう自閉症ぎみなのかもしれないのだが、
自分がいま心身に異常をきたしていない以上
病院などでそれを証明してもらっても何も意味はないと思う。
要は、この自分とこれからどう付き合うかなんじゃないだろうか。
どんな風にこだわりが強いか、これまで明確に考えた事はなかった…
36歳人生ど真ん中で、おそらくこれが私のタイミングなのだろう。
・自分のやり方でないと落ち着かない
・他人の言葉の原因が自分にあると考える→批判・指摘と取りやすい
・仕事で使用するモノ空間が自分仕様になっていないと落ち着かない
・インスタよりX(エックス)派→「いいね」はいらない
・イメージが見えないと動けない
・対人関係、相手の言葉の裏の意図を常に考えている
→利己的に感じる人は信用できない。嫌い。
・細かい事が気になるため、なるべくシンプルが良い
・・・ここまで見たときに、こんな自分は
少々病み気味なのだろうか、陰気で閉鎖的なのだろうか。
しかし、これが一番自分が自然な状態で居られて効率があがるのだから
もしこの生活様式をすることで、まわりに迷惑がないのであれば
何も自分を下げて見る必要はないと思って生きることにした。
ここまでに来るには、なかなか時間がかかったとおもう。
自分の性質に気付いて、良い意味で自分の妄想していた自分像を捨てる。
ありのままの自分像を愛する。何も焦りはない。
現段階の自分でも、十分に良いものは持っている。
心からそう思えることだ。
とことん気が済むまでやってみる
私はこだわりが強い。これまで生活のなかで理想を描いては諦めてきたことは多い。次第にその気持ちは麻痺し、じわじわと感じる心を蝕む。
だから、これまで優先度が低いと思いながら、無視してきた自分の心を
無視せず最重要として、心ゆくまで付き合うことにした。
遠回りに見えて、現実逃避にも見えて、
でもこれが自分の理想に近づく最短ルートだと感じている。
乞うご期待
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?