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自分軸で生きるってこんな感じ

生きてると、いろいろ起きてくる。当たり前か。

自分軸で生きることを意識するようになっても当然、変わらずにいろいろ起きるけど、最近、それらをおもしろいと感じられるときも出てきた。ちょっと自分を引きで見ることができている感じ。

そうしてたら、起きることに振り回されている感じが減った。

この【おもしろい】という感覚は、必ずしも楽しいこと、ワクワクすること、テンション上がる~、といった、ポジティブ思考な生き方のことを言ってるのではない。


「自分軸で生きる」というのを、わたしは【自分の感じていることに耳を傾け、自分で決めて行動すること】と捉えている。

そのように行動するようになったら、まず自分の中の不満が減った。不安、葛藤はいまだにときどき味わうのだけれど、以前よりも、自分の中で平和な感覚に変換しやすくなった。

すると同時に、望みや願いなどの欲望が、どんどん叶っていく感覚を味わうようになった。

その一方で、、、

自分の意志や行動だけではどうにもならないこと、願っているけど叶わないこと、というのもやっぱりある。

そこを昔は、努力不足とかやり方が悪いのだと捉え、自分を責めたりダメ出ししたりしていた。そして、行動を増すこと(パワー)で何とかしようとしていたけど、今はそのやり方は採用していない。

今、採用しているのは【委ねる】というやり方。

余計なことはせずに、必要と感じることだけをするのだけど、そのときに歪んた思考を入れないようにするのがコツのような気がしている。歪んだ思考が入ると不調和な行動をしてしまいやすいから。わたしのジャッジが入ることでそれが邪魔となり、事実から勝手に離れていってしまう。

邪魔はなるべく入らないように工夫している。

そしたら、あとは【待つ】。ポイントは、穏やかな気持ちで待つこと。


わたしの中の感情のゆらぎってこんな感じ

おもしろいと感じられたり、振り回されている感じが減っても、目の前にはいろいろ起こってくるので、それにより感情はゆらぐ。

ある日はポジティブに過ごせた、かと思えば

ある日は、目覚めたら不安な気持ちがモヤっとあるのに気づいて朝から悶々とした1日を送ったり

また、ある時は、もうムリなんじゃないかと意志が折れそうになるような思考に占領され、涙がボロボロと溢れ出す。涙のあとは、とても癒された感覚を味わえるので泣くのは好き。

そうかと思えば、また、ポジティブな日がやってくる。。。

私の場合はこんな感じで、毎日コロコロ変わる自分が正直、めんどくさい(笑)


自分の感情の世話をするのが日常

なんだかわからないがモヤモヤするときや、不安や切なさが襲ってきたときには、自分との対話の時間を持つことにしている。

自分(エゴ)の話を聞き、思考と感情、事実と想像をそれぞれ整理して、感情を受け留め、思考を正しい方に向かわせられるように、自分で自分をいざなう。

また前を向いていけるように。

小さな一歩でも、歩みを進められるように。

さっきまで笑っていたのに、小さなことに影響を受け、あっという間に落ち込んだりくじけそうになる弱い自分をお世話しながら、わたしは日々を過ごしている。

不安や寂しさから、所有欲や依存心がいまだに出てくることもあって、そんなときは苦しさを味わう。

けれど、どんな気分を味わうことになるかは、実は自分次第。自分が目の前に起きたことをどう見ているのか、どう感じているのか、それ次第なのだ。孤独感や苦しさを味わうことはなくならないのかもしれないけど、今あるものに感謝ができて、楽しく過ごせるところにすぐに戻ってこれるような自分で生きていきたい。

自分のお世話を自分でするのを意識するようになって、以前の自分を振り返ってみると、起こるできごとに振り回されていたのではなく、自分自身に振り回されていたのだなと気づいた。

自分の世話に苦労するわたしも、お世話をかけるほうのわたしも、どちらも自分だ。そんな自分が、少しずつ愛おしくなってきた。なんか、おもしろいなーコイツ、って眺められるときがある。

そんなとき、自分が自分であることを楽しめている感覚がある。自分としっかり繋がっている感覚。


自分との繋がり、他者との繋がり

自分としっかり繋がるよう関わっていると、自分には何もないことに気づくことがある。

行き過ぎると、喪失感を味わってしまうのだけど、しばらくすると、喪失感を味わっててもしゃーないな、となり、いい意味で諦める。すると、、、

自分にはすでに、すべてがあることにも気づいていく

そのどちらの自分も認めることができたとき、自分の中に【信頼】の感覚があるのが感じられる。あぁ、このままでいいんだ、と。

自分への信頼感。

すると次第に、他者への信頼感を自分の中に見つけやすくなる気がしている。

他者への信頼や繋がりと言うときに、人脈を広げて他者といろいろと絡んでいくように積極的に濃く深く関わりを持つ、ということなのかな、と昔は思っていた。けど、その捉え方だとわたしは苦しくなる。なので、今はちょっと違う捉え方をするようになった。

他者と関わるタイミングや距離感も、自分の感覚を信頼していく。物理的に濃く深く関わることだけが、他者と信頼関係で繋がっていることを意味するのではなくて、ライトな関わりであっても、とても味わい深い関わりができることがあると感じているから。

で、さらにその感覚を広げていけると、世界への信頼感を持てる自分になる気がしている。これはどんな感じかというと、意識せずとも自分の中につねに安心感が満ちている感覚。何かに必死につながっていようとしなくても、ここにいられている感覚。

これからは、自分にも愛を向けることを忘れずに、そして周りにも害をなさないで、という意志を持って自分の言動と感情を選択をするようにしたい。言動の選択だけじゃなく、感情もというところがポイント。

それにはまず、自分の感じていることを捉えることからだと思っている。それが自分軸であり、それを頼りに、自分にも他者にも害のないあり方、振る舞い方を自分なりに表現する。自分の感情の世話をする。

そうやって生きることが、自分軸で生きるということなんではないかと感じている。


生きるというのは、自己表現

自分軸で生きるというのを意識し始めたころ、自分らしさというのを探求するようになった。

ここまで43年くらい生きてみたけど、どんな自分が本当の自分なのか、いまだによくわからないまま、さまよう。

【わたし】という生まれたときに決めてきた特性(個性)が本当はあって、それを大人になるにつれて見失い、だから自分らしさを取り戻して生きていかないと、みたいな感覚で「自分探し」を20代のころからしてきた気がするというのに。

けど、どうやらそうではなかったのかもしれない。

【自分らしさ】なんて確たるものは実はなくて、自分がそのときどきで感じるままに、あるがままに、目の前に来たできごとや人と関わり、何かしらを味わうという感じなんじゃないかな、と。

これはまだわたしの中では仮説だけれど、今はそんな感じで過ごしている。いろんな自分を【おもしろがる】だけでいいのかもしれない。


自分を信頼して生きることを意識し始めて、今、感じていることの中間報告でした。


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