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13歳のハローワーク

村上龍さんの13歳のハローワークが今のわたしになったきっかけだったのかもしれないとふと思う。

とにかく本を贈ってくれる父。

わたしの父はとにかく本が好きな人で、物心ついた頃にはわたしも本に囲まれていた。
お誕生日やクリスマス、プレゼントをもらうきっかけがあるイベントではこくごとく本をもらった。
プレゼント=本であり、今年はどんな本がもらえるのかなーと考えていた気がする。
そんなことを思う程度にはわたしも本が好きだったようだ。
わたしには4つ下の妹がいるが、妹も同様に本をもらっていた。

大人になってから聞いた話では、父はわたしたちの年齢に合わせて、考えてほしいことが書かれた本を厳選して贈ってくれていたそうな。

そんな父の狙い通りに、わたしは本によって人生がかたちづくられていったように思う。

12歳で13歳のハローワークと出会う

13歳のハローワークを父から贈られたのは、12歳のときだった。
わたしはこの当時のことをなぜかものすごーく覚えている。
「でっかいな」「重いな」「綺麗なオレンジ色だな」「まだ12歳なのに13歳のハローワークもらっちゃった」
そんなことを思っていた。

この頃のわたしの「将来の夢」は、幼稚園の先生になることだった。
自分がまだ幼稚園生なのか、小学生の頃、まだ幼稚園に入園していない4つ下の妹とそのお友達たちを引き連れて、「幼稚園ごっこ」をするのが大好きだったからだ。
12歳になったこの頃にはもう妹も小学生で、幼稚園ごっこはしなかったが、その記憶が色濃く残っていて、「わたしは幼稚園の先生になりたいのである」そう思っていた。

そんなわたしの夢を、この13歳のハローワークがガラリと変えた。

「わたし、イベントプランナーになりたい!!!」
でっかくて重い13歳のハローワークを抱えてリビングへと走った記憶がある。

わたしがやりたかったことは、この、「イベントプランナー」という職種だったんだ!!!
新しい答えを得ることができて、12歳のわたしは震えた。
イベントプランナーという職種は、もちろんこの時に初めて知った。

「幼稚園ごっこ」が楽しかったのは、ちびちゃんたちの面倒を見るのが楽しかったわけではなく、自分が考えた新しい遊びをみんなが熱中してやってくれたり、楽しんでくれたりすることがとてもとても幸せだったからなんだ。
そう理解した。

思い返せば幼稚園ごっこだけでなく、お誕生日会も大好きだった。
自分が祝われるのが好きだったわけではなく、誰かのお誕生日会を考えることがとてつもなく好きで、家族や仲良しの友達のお誕生日が近づくとワクワクしていた。
招待状を書いて、プログラムを作って、お料理のメニューを決めて、装飾を決めて、作って、時にはコンテンツを用意して、台本まで書いた。(このことは記憶していたというよりもホームビデオに残っていたものを見て思い出した。漫才とかしてた。)

イベントプランナーになる方法

「で、どうやったらイベントプランナーになれるの?」
その時の両親の言葉をわたしは今でもしっかり覚えている。

「電通か博報堂に入りなさい」

そう言われた。
デンツーもハクホードーももちろん初めて聞く言葉だった。
でも、デンツーかハクホードーに入ればイベントプランナーになれるのか!とすっかり道が開けた気になっていた。

母が続ける。
「電通か博報堂に入るのはとっても難しいことだからしっかり勉強しないといけないよ」

なんと!そうなのか!デンツーかハクホードーに入るには頭が良くないといけないのか!なるほどなるほど。

この日からわたしの将来の夢は「イベントプランナー」になり、そのために「デンツーかハクホードーに入ること」になったのである。

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