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ひねくれチョコレイト4
あの日から、冬真くんとの照れくさくて、甘ったるくて、現実味のない恋愛が始まった。
まだ木嶋は戻ってこない。きっと私を待たせていることなんて忘れて、スマホをいじりながらのんびり一服しているのだろう。
これは、酔っているから。別に甘えたいわけでも、彼の声が聞きたいわけでもない。
酔っ払って、木嶋もいなくて、ただ、手持ち無沙汰なだけ。それだけ。
自分に半ば言い聞かせるようにして、私は冬真くんに電話をかけた。
普段、いつも連絡をくれるのは冬真くんで、なんとなく大人の余裕を演じてみたい私は、いつだって受け身でいる。
だけど、本当は、彼が知っている以上に冬真くんにどっぷりハマっていた。
この前だってお母さんから送られてきたお見合いの写真を、中身も見ずに返送してしまったくらいだ。
冬真くんはあの日、私に結婚したいと思える人が現れるまででいいと言った。
そんなことできるわけがないと思ったけれど。
やっぱり実際、そうなってしまった。
反対に冬真くんが私に飽きて離れるまで、それまで彼と一緒にいられればいいと思うようになってしまった。
彼には絶対、そんなことは言わないけれど。
コール音がしてすぐにスマホのスピーカーから聞き慣れた彼の声がした。
「もしもし」
「もしもし。私」
「うん、分かるよ。珍しいね、優美から電話くれんの。なんかあった?」
「んーん。なーんにもない。おーい、冬真くん。おーい」
「なに、どうしたの」
無駄に何度も名前を呼ぶ私に、冬真くんが可笑しそうに笑う。
その声が私にはとんでもなく嬉しい。
「なに、酔ってるの? 今日、会社の近くで木嶋さんと飲むって言ってたもんね」
「あれ、言ったっけ、そんなこと」
「言ってたよ。一昨日だったかな? 俺が金曜、会いたいって言ったら先約があるからごめんねってさ」
「あー、そうだった。ごめんね?」
「いいよ、そういう友達を大事にするところも好きだし」
「ちょっ」
冬真くんは唐突にこうやって攻撃をしてくるから、私はいつだって参ってしまう。
言葉に詰まってしまったことも、どうしようもなく恥ずかしくて髪をかき上げた。
「で、優美は俺に会いたかった?」
「え?」
「俺の、声。聞きたかった?」
「え……っと」
「俺は会いたかったよ」
そう囁くように言った彼の声に混じって車の走行音や人の話し声がすることに気付いた。
「あ、今、外なの? ごめん、出かけてた?」
「まだ気づかないか」
「へ?」
「振り向いてみて」
なんなのよ、もう。
寄りかかっていたガードレールから、言われるがままに身を起こして通りを見渡しながら振り返る。
道を一本挟んだ向こう側に、冬真くんがいた。
路肩に彼の愛車である黒く流れるようなボディーのバイクを停めて、シートに片手をつきながらこっちを見ている。
目が合うと、遠目にもあのクシャクシャな顔で笑っているのが分かった。
「やっと気づいた」
「なんで」
「迎えにきちゃった」
「もう、突然、なんでよ!」
彼の家はあのコンビニから自転車ですぐの距離にあり、今までも飲み会の後は最寄り駅までは迎えに来てくれることも多かった。でもこんな風に横浜まで来てくれるなんて初めてだ。
呆然とする私に、彼は真面目くさった声で言った。
「会いたかったから。それだけじゃ、いけない? 優美はいつも理由を求めたがるよな」
だって。理由を聞かないと、この幸せが、彼とのすべてが嘘なんじゃないかと思ってしまうから。
冬真くんは直球だ。初めてチョコレートをもらったあの日だって、公園で初めて気持ちを打ち明けてくれた時だって。
私も彼くらい素直になれたら、なんて思うこともあるけれど、なんだか余裕がないみたいでやっぱり恥ずかしい。
喫煙所を覗き込むと、木嶋も誰かと電話で話し込んでいた。
まったく、人を待たせておいて自由な酔っ払いである。
私が手を振ると、ごめんと手を合わせるジェスチャーをして「先に行って」と口をパクパクさせた。
駆け足で喫煙所を出て冬真くんのもとに向かう。
私だって、本当は冬真くんに会いたかった。声が聞きたかった。早く触れたかった。
横断歩道の信号が青に変わるのももどかしく、青になりかけた瞬間に走る。
こんなの、やっぱり私の気持ちはバレバレかもしれない。
「お待たせ」
「すごい息あがってるじゃん。そんなに急がないでいいのに」
「う、ううん。待たせるの、悪いから」
「そっか。ありがとね。じゃ、はい、これ」
差し出された薄いオレンジ色のヘルメット。私のために彼が買っておいてくれて、これをかぶって、もう何度も冬真くんの後ろに乗った。
海に行った時も、秋に温泉に行った時も、何気ないドライブも、彼につかまって連れて行ってもらった。
ヘルメットを受け取ろうと手を伸ばす。
「ありが……」
言いかけた時、ぎゅっと強く抱き寄せられた。
トレンチコートごしに冬真くんの体温と腕の感触が伝わってくる。
「会いたかった」
耳元で冬真くんの優しい声がする。胸がぎゅっとなって、思わず嘆息する。
どうしてこう、私をドキドキさせるんだろう。どうして、私の心を離してくれないんだろう。
やっぱり冬真くんには、かなわない。
「……私も」
熱い顔を冬真くんのデニムジャケットの胸に埋めて、強く抱き返した。
チョコレートのように甘くて、春の香りのように優しくて、とてつもなく愛しい。
彼がいつか私に飽きてしまうまで、私は飽きることなく彼に溺れ続けよう。
だってこんなに。
未来がどうでもよくなるくらい、ただひたすらに私は。
深く深く、満たされているのだから。
(了)