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移住してから人格がどんどん変わっている話 (16パーソナリティ診断結果の変化について)

ここ数年で、人格が変わり続けている。
石垣島に来てから3年目になるが、ここまで大きく変わるものなのか。

すごく不思議だと思ったので、久々に記事にしてみました。

診断結果

巷で流行りの16パーソナリティ診断を知ってから、定期的に行っていた結果、このような変化があった。

①事業家(ESTP): 移住して来たときは、色々ことを広めたくて、自分で何かがしたい時。
②巨匠(ESTP): 進みたい道が明確になって、より興味深い経験がしたくてインドやネパールで修行とかしたくて仕方がなくなっていた時。
③建築家(INTJ): 修行を積んで帰ってくると、今度は反動で無性にお金儲けがしたくなり、事業や投資をガンガン進めていた時。
④論理学者(INTP): 段々とお金儲けが苦しくなり、自分も人も何も信じられない、何かが足りないってずっと知識を探し求めてた時。
⑤仲介者(INFP): やっと、この日々を落ち着いて振り返る時間が与えられた時。この色々修行の日々とか、詐欺に遭いそうになったこととか、楽して生きたいと考えていたこととか…初めて自分の行動心理を分析できるようになってきて。
⑥提唱者(INFJ): 更に全てから解放されて、ただひたすら動画や本で沢山の物語を擬似体験していたら、「人」の感情や行動心理についてより理解を深めることができた。
人への理解が深まるにつれて、自分自身への理解も一層深まった。
今はやっと自分の存在に納得していると感じられている。
今までは正直、自分が生きていても死んでいても世界は変わらないで欲しいと考えていた。
自分が世界や他者に少しでも影響を与えることも怖かった。
自分の生きている世界と他の人たちが生きている世界は全部別物だって、知らなかったから。

この様に①〜⑥を経て、初めてこの16パーソナリティ診断を知って確認した時(ESTP)から真逆になっていたるのが面白い。

結果から発見したこと

1番の発見は「人」への理解が深まっていることだと思う。
例えば、
① 心のコントロールは難しいこと
② 思考の流れや欲望はつきないということ
③ 自身の身体や心について理解を深めようとしている人は割と少ないこと
④ 日々良い悪いをジャッジしながら生きている人が多いこと

同時に自分に対する理解も深まっていた。
① どっちでもなんでもいいじゃんって、感じの視点が結構独特だってこと。
② それが過去世から続いている人生観のおかげだってこと。
③ 実は沢山認められていないものや見えていなかったものがあったこと。そして赦しを繰り返したことによって、認められるものや見えている世界が増えていること。
④ 今まで見たくないものは、全部無視していたこと。けれども視野に入れることさえしていなかった物事をありのまま直視できる様にもなってきた。

結果から気がついたこと

多分人は多かれ少なかれ、人格はその時々で変わっているし、この結果自体はそんなに珍しいことではないと思う。
また明日診断したら別の性格が現れるかもしれないし、それはわからない。

しかし、この結果からひとつ自身の性格について気がついたことがあった。

それは、わたしの人格形成に大きくかかわっているのは共鳴能力だったということ。
共鳴とは、共感のように同じ気持ちになるのではなく、ある人のそばに一定期間いると、自分も同じ考えを持っていると錯覚してしまうことだ。

だから、人と少し会うだけなら、まだいい。
長時間とか、定期的にとかなってくると、その一緒にいる人物の人格がトレースされて、だんだん自分の意思が跡形もなくなくなっていくのだ。

その能力にはっきりと気がついたのが、半年前に受けたとあるワークだった。
根深い感情を浄化する目的のそのワークは、自分が苦手な(/嫌いな・許せない)人物への感情を消化するワーク。
2人1組になり、以下の手順で行う。
① 自分がその苦手な相手に感じているネガティブな感情を吐き出す。
② その相手が自分にかけてくるであろう言葉を吐き出す。
③ 相手に対する感謝の気持ちを吐き出す。

この②で、わたしは昔の上司になりきって、ペアの相手に3分間言葉を浴びせてみていたところ、降霊術でも利用して生霊を宿したかのように、自分がその上司そのものになったみたいに言葉がとまらないくらい溢れていた。
自分の魂が身体からなくなって、他人の魂が身体に入っている感覚を初めて体感した。
やろうと思ったら、このように他者のエネルギーを自分の肉体に宿すことは可能だと気がついたのだ。

まして、この時は自分が苦手だった人物のエネルギー。
ワークが終わった後も、しばらく、自分が誰だったのかわからなくなるほど混乱が続いたことで、いかに自分の「共鳴能力」が強いかということを学んだ。

共鳴能力について

だから、今まで波長が合う人なら、どんな人と会っても深く付き合うことができていたのだ。と。
そして、エネルギーが強い人間には、より強く共鳴してしまうということも。

わたしは物心ついて、1番最初にある記憶は6歳の時、他人の人生を擬似体験していた記憶。
この頃から共鳴能力は随時発動していて、結果として、共鳴していない時の自分について、自分で自分が理解する機会がなかった。
人と長時間一緒にいると自然発動するこの能力は、家族と住んでいたら自然に家族と共鳴していたから。

すると、数年前まで、意思もなく軸もなかった自分自身についてよく理解できた。
何かを決めてしまったら空白がなくなって融通も利かなくなるから…。
なんて理屈をこねて、自分自身の在り方さえ、決めることを先延ばしにしていた自分のことも、他力本願で、誰かにわたしの人生を変えてもらおうとばかり思っていた自分のことも。

だから、これまでのわたしは心の底から自信がなかったし、少しでも誰かや何かに影響を与えることを恐れていた。
自分自身の身体や心や魂への理解は遠く及ばず、他人のことはもっとわからない。
だって理解や知ることをしなくても、無意識のうちにエネルギーで相手と同調することはできているから、あまり摩擦が起こらない。

人間関係で悩むこととか、初めて本気で人と関わろうと思った3年前までは本当になかった気がする。
ずっと無意識でやってきていたから、人のことも自分のことも深くは知らないし理解不能。
心の底で人は怖くて苦手な存在であることも変わらない。
だから、人とかかわることや、大勢人がいる場所は苦手だ。

家族も同様に。
わたしはちゃんと血のつながりを持った親にこれでもかというほど愛情たっぷりに育てられたし、そのことには感謝してもしきれない。
しかし、どうも彼らはわたしを育ててくれたという事実があるだけで、友人知人と同じ"他人"の領域にいて、血のつながりに対する、特別視はいまだに理解不能。

どうしても、親子の絆とか、そういったものを受け入れられないの。
親と暮らしていたわたしは共鳴してしまっていたんだな、と今振りかえるとよくわかる。
母のエネルギーは特に強くて独特だから。

わたしが自分を取り戻すためには共鳴リンクを外して一定時間1人でいる必要がある。
でも、それがずっとできないと辛いしバグが生じる。
まるでゲームのような感じだけど、きっと言葉にするとこんな感じ。

だからこの数年間、毎回仕事なり恋愛なり何かを「始めようと思って上手くいかないで終わる」結末を迎えていたのは、常に自分の意志と似ている人と共鳴してしまい、続けていくうちに自分の意向とかけ離れたものになっていくから。
相手の意向を尊重したい気持ちが強すぎて、自分が消えかかってしまうのだ。
そして、消えかかった自分が途中で、何か違う、これ以上続けられないって、悲鳴をあげる。

大学院の時や、社会人になってからもそう。
何かビジネスがしたかったとき、彼氏がほしかったとき、結婚したかったときも、全部そうだった。

わたしは鏡みたいになってしまっていた。
情熱や好意をぶつけられればられるほど、同じ強さでエネルギーを反射してしまっていたのだ。

正直そこにわたしの意志はあまりなかった。


それでも、今まではどうにかやってきた。
けれども、この先は?このまま人に鏡であり続けるのか…。
考えたところで答えはでない。

今後も自分が身を置く環境によって、自分の思想によって、現実も自分の思想もどんどん変わっていくのだろう。
分析はもう懲り懲り、明日は明日の風が吹く。今日はこの辺で。

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