もうひとつの祈り
枕元に置いて一緒に眠りたい本
このひとことを、かみつれ文庫の軸の言葉として数日前に置いた。
しかし、もうひとつ軸としての言葉があることに早々に気づいてしまった。こういう、心の奥の大切にしている何かみたいなものはずっと変わらないけれど、言葉の形や表す言葉は変化していく感じ、わたしそのものだなぁと思う。
軸はきっとひとつではなくて、複雑に絡み合っていることで、ひとつに見えているのだろう。わたしにはその見える軸のようなものもふたつあるようだ。ふたつの柱でこのかみつれ文庫というお店は立っているように思う。
ひとつは眠りにつく前に読みたい本。枕元に置きたいとっておき。ただ、お店を見渡すと枕元に置くにはヘビーな本もあったりする。ではそれはかみつれ文庫の方針と異なるのかといえば、少し違うと思った。
それがもうひとつの軸。
個人的なもの、本来閉じられているようなものを並べている。
この言葉を軸として加えると、かみつれ文庫に並べている(並べていた)本を表すものとしてまとまる。かみつれ文庫の店内は作家さんが個人で作った自費出版の本が時によっては半分以上を占める。日記集や詩集も店内の本の量からすると、多く扱っている方だ。
それは誰かの日常や何気ない言葉、自分に言い聞かせるように書いた言葉が、誰かの気持ちを癒してくれたり、正気に戻してくれたりするのだと、私が個人的に信じているからだったりする。
ここからは少し余談だけれど、この背景にもある色々のうちひとつを取り上げるとすると、わたしが大学生の時に心を病んだことに関係すると思った。
当時強迫性障害とうつと診断されたわたしは、卒業論文に行き詰まっていた。なんせ、本が読めない。文字が頭に入ってこない中で、どうやって文献研究を進めればいいのだろうと日々頭を抱えていた。
テーマは吉田松陰の教育思想について。吉田松陰の著作を読まねば始まらない。文字が頭に入ってこない中、ひとつひとつと彼の遺した言葉を追った。全12巻ほどにもなる全集には、吉田松陰が公に綴ったものもあれば、雑記集や講義用のメモ、日記や書簡なども収められている。それも日記や書簡、雑記が大半を占めるので、自ずと彼の個人的な言葉に潜っていくように、読み漁った。
その過程と、わたしの1番酷い闇の時期は重なっていたから、素晴らしい人物として「先生」と呼ばれる彼の言葉の中にあった矛盾や、人間らしさにとても救われていたと思う。欠点があってもいいのかもしれないと、始めてこの時思えたことを強く覚えている。
松陰自身も本来自分の著作として纏められるとは思いもしなかった文章が、全集にはきっとあるだろう。本人と話せるなら、「これだけは見せないでくれ」と恥ずかしがるものもあるのではないかと思う。でも、その本来閉じられていたはずのものがわたしの心を救ってくれた。それから閉じられているはずなのに表現せざるを得ない衝動みたいなものにとても魅力を感じる。
きっとこの世界の中の希望のように、わたしはそれらの表現を捉えているからかもしれない。
かみつれ文庫には
枕元に置いて一緒に眠りたい本
個人的で、本来閉じられているはずの本
そのどちらか、もしくはどちらにも触れるような本が今日もゆったりと待っている。