変化
「ひとが怖い」
そう囁きながら、見えない恐怖に怯えていたのは、ほんの1年前のことである。
大学の卒業式、大勢の人と久しぶりの顔に私の手は震えが止まらなかった。
「強迫性障害」そして「うつ病」を罹患してからは、講義の声すら怖くて、講義前に薬を飲んで、オンライン授業なら極力音量を下げて受けるほど、不安と恐怖にとらわれていた。
そんな中での卒業式。着物と袴に身を包み、平生を装い、周りの求める「わたし」を演じて取り繕った笑顔やらを纏いながら私は大勢のひとに紛れていた。
あちこちから聴こえる話し声やらに反応する、小刻みに震える両手と動悸とうっすら滲む冷や汗を、繰り返し行う深呼吸とくすりのちからを借りて落ち着けた。あの時の私には個人的助演女優賞を与えたいもんだ。
そして無事に卒業式を終え、今のこの土地に引っ越してきてから、もう、1年が経とうとしている。
振り返ればこの1年の前半は、まだまだひとが怖くて、街の中で何かをするのには勇気が必要だったし、まず朝起きて、ベットから出るまでで色んな力を使い切ってしまう。
お世話になっている方々と会うことも、オンラインツールを用いてお話しすることも、震えと動悸が止まらなくて断念する日々。
それこそ引越し後の手続きの期間は、精神的に不安定で緊張の日々が続き、周りから聴こえてくる話し声でパニックにならないように、イヤホンをぐっと耳に押さえつけるようにして過ごしていた。
普段の私や、過去と最近の私を知っている人からすると想像できない姿だろうな、と今の私は思う。
そんな時間が半年ほど過ぎゆく中で、
「図書館の司書さんに話しかけて本の居場所を聞いてみる」
「いつもとは違う道でスーパーに行ってみる」
「パン屋さんにいく」
そんな日々小さなチャレンジをしながら、「ひとと会う」リハビリを重ねていた。
そして、徐々に徐々に、ひとり、またひとりと「出逢う」「出逢いなおす」を繰り返して、今、ひとに対する恐怖心と好奇心とがようやく同じくらいになっている。
最近は、ひとに会いに遠出したり、ひとの集まる場に出向いてみたりしているけれど、1年前には想像もしなかった自分の動きに、よく他人事のように少し驚いてしまう。
あれだけ「ひとが怖い」と怯えていた私が、いまや「ひとが集うお店がしたい」と囁いている。「ひとに話を聴く、取材ライターをしてみたい」とふつふつ想う。
誰かにとっては当たり前でごく普通なことかもしれないけれど、「ひとに会う」ことに喜びや幸せを感じているこの気持ちを、私はたまらなく愛おしく思うのだ。
それでも今もベットに貼り付いて起きられない朝も、とらわれの神様の声が脳内を反芻することも、不安に駆られることも、涙の止まらぬ時も、ひとへの恐怖で動悸と震えが押し寄せることもある。これからも、きっとある。
そんな日も。とびきり嬉しい日も。なんてことない日も。
どんな時だってそのまま感じている今の自分の感性を、愛でながら生きていきたいと、電車の中の袴姿に、1年前の自分を重ねてなんだか感化された。
そんな春のはじまり。
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