一年を振り返る①~しこりの気づきからBiopsyまで~
がんの手術を受けて一年が経過した
無事転移なく
なんとか暮らしている
今こうして振り返ってみると
がんが発覚してから手術するまでの期間が
心身共に一番辛かった気がする
このエッセイに偶然辿り着いた方は
”癌”というものに対して
とてつもない不安を感じているはず
癌=死
こう思っている人も沢山いるだろう
かくゆう私もそうだった
現実に私よりも後に
がんが発覚した知り合いの女性が
その後3ヶ月後に亡くなっている
彼女は子宮頸がん
グレード2だった
キモセラピーや放射線治療も頑張っていたらしい
でも骨に転移してしまった
それよりも何よりも
側近のお友達から事情を聞くと
彼女はとても孤独だった
長い間付き合っていた彼氏はいたが
彼からコミットされるでもなく
遠くに住む家族にも
本人が癌の治療中であることを
一切報告していなかったらしい
彼女は生きようとしていたのだろうか
希望があったのだろうか
人生楽しかったのだろうか
ふとそう思うと
とてもやり切れなくなる
彼女がこんな短時間にこの世を去ってしまったのには
きっとその点も大きく関係しているように思う
いくら医学が発展しようとも
癌は死と隣り合わせであることには変わりない
そんな中で私は癌を宣告され
つらい検査や手術・治療を乗り越えてここまで辿り着いた
気持ちを前向きにシフトしていくには
私一人の力では無理だった
がんを克服するためには
本人の努力だけでなく
周りのサポートが非常に重要だ
わたしの経験は
そう言う意味でも誰かの役に立つと思う
私、死ぬかもしれない…なんて
簡単に口にできない
大体そんな事を
癌ではない人に言ったところで
理解してはもらえない
だから黙り込んでしまう
するとあっという間に周りから孤立してしまう
そこに私は歯止めをかけたい
癌と戦っている人たちの気持ちに
少しでも寄り添えればと願う
*一人一人の治療法や
癌の進行具合は違います
あくまで参考程度に読んで下さい
2021年3月1日: 胸のしこり
シャワーを浴びていたら
左胸の外側にシコリがあるのに気づいた
何の気なしにつまんでみると
3~5センチくらい?
表皮から脂肪までの厚みもあるし
実際どのぐらいのしこりなのかは
定かではなかった
痛みはない
どうして今まで気づかなかったんだろう…
よく考えてみると思い当たる節がある
わたしは2015年に妊娠が発覚する直前に
脳下垂体に腫瘍が見つかり
腫瘍を小さくする薬を飲んでいた
この腫瘍があることで
脳下垂体から分泌される
プロラクチンホルモンが上昇する
このホルモンが上昇すると
妊娠してもいないのに母乳が出るようになる
赤ちゃんを出産した直後の女性の体内では
まさにプロラクチン数値が上昇し
母乳を生産している状況
尚、この腫瘍が原因で
死に至ることはないらしい
ただ大きくなると
両目の端が見えなくなるのと
妊娠してもいないのに胸が張る
そしてやはり
赤ちゃんもいないのに
母乳が出てしまうのは何かと不便だ
そのためカベルゴリンという薬を飲んで
腫瘍を小さくし症状が出ないよう
調整する必要があった
そんな折、偶然息子を妊娠
せっかく治療に入ったが
カベルゴリンを飲むのをストップ
と言うのもお乳が出ない事には
母乳育児ができないからだ
その頃の時系列を整理してみる
・2015年 脳下垂体に腫瘍&妊娠発覚
・2016年 出産&母乳育児に専念
・2019年中頃まで母乳育児継続するも
授乳のたびに息子に噛まれ
乳首の炎症が絶えずやむなく卒乳
・2021年1月(去年)
改めて脳のMRIと血液検査を受ける
腫瘍の大きさは発見当初の4年前と変わらず
はれてカベルゴリンを飲む治療を再開
すると…
ずっと張っていた胸が縮み始めた
・2021年3月 しこり発見
カベルゴリンを飲み始めて
2ヶ月が経過した頃
今思えばこのタイミングで
腫瘍の治療に入ったから
乳がんを発見することができた
脳外科のスペシャリストに感謝だ
とは言え当時は
乳腺炎だろうなくらいにしか
思考が働かなかった
自分の人生にまさか
癌と言う病気が関わっていくなんて
想像がつかなったのだ
ただ乳腺炎も放っておくと
高熱が出るほど炎症が酷くなると
乳腺炎になったママ友から聞いた事があったので
怖くて主治医に即メールをした
程なくしてナースから電話がかかってきた
主治医とすぐには面会都合が付かないので
3月5日にテレアポを組むと言う
ちなみに日本であれば
どこかの総合病院か
町のクリニック・産婦人科などの専門医に
直接自分で症状を伝え予約をするのだが
アメリカはちょっと違う
まず加入している医療保険で通える
ファミリードクター(いわゆる主治医)を見つけ
そのドクターにまず面会&相談しなければならない
そしてそのファミリードックの診察を元に
彼らが専門医にコンタクトをとり
初めてアポが成立する
しかも当時はコ◯ナ禍真っ最中
医者と簡単には会えない
まずは面会するために
PCRテストを受ける
そのPCRテストの予約も
簡単には取れない
テストを受けたら受けたで
その結果が分かるのに何日もかかる
ドクターは私からメールを受け取った時
何かを感じたのだろうか
すぐにテレアポを組んでくれたのは
不幸中の幸いだった
3月5日
電話口でファミリードックに
しこりの件を相談
すると彼女は
「ん〜。何もないとは思うけど
一応念には念をと言うことで
マンモグラフィと超音波検査をしましょう」
と言いその足で3月16日に
放射線科にアポを取ってくれた
当時私は
マンモグラフィーを受けた事がなかった
特に渡米してからは
ずっと学生の身であった事もあり
医療費も日本とは比較に
ならないほど高額なので
病院自体に行く事がなかったのだ
2021年3月16日: マンモグラフィと超音波検査
例に漏れず検査三日前にPCR TESTを受け
NEGATIVEである事を確認
名前を呼ばれ小さな個室に入る
その後女性のナースが一人入ってきて
二人きりになった
検査用ガウンに着替える
片側だけ袖を抜いた状態で
専用の機械の近くに立たされ
検査機器に取り付けられた2枚の板に
左の乳をぎゅうぎゅう挟まれ
かなり不自然な体勢を維持し
位置を変えながら何度も撮影
痛いし情けない体勢だしで
正直もう二度と受けたくないと思った
その後超音波検査をするため
別の部屋に移動
別の専門医が入ってきて
寝台に横になるよう指示
温めてあるのか…
塗られた瞬間から熱いジェルを胸に塗られ
その上からスキャン器具を当てていく
白黒のモニター上には
はっきりと円形に何かが映っている
その円形の端と端に印をつけ
まるで妊娠時の胎児の大きさを
測るかのように点線で繋げ
シコリの大きさを測っていた
当時はまだしこりは
一つだけだと思っていたので
専門医がその後も何度も何度も
場所を変えながら時間をかけて
写真を撮っているのを見て
やけに時間をかけているなぁと思った
数日後ナースから結果報告の電話が入った
もう少し詳しく調べたいので
Biopsyを受けてほしいとの事
マンモグラフィと超音波の結果
気になるしこりが左胸に3つ
脇にも1つ見つかったというのだ
Biopsy❓
また聞き慣れぬ単語
ここまで来ていても
私は自分の心配をよそに
息子のKinderが受かるかどうか
そればかり気にしていた
と言うのも当時プリスクールに通っていた
5歳の息子が重大な局面に立っていたのだ
2021年3月22日:キンダーガーテンの合否
ダメ元で受けた倍率の凄まじく高い
K-12の私立3校の受験の合否が
Biopsyを受ける日の二日前に決まる事になっていた
私が住んでいるエリアは
学校自体のスコアは悪くはないが
良くもない中レベルばかり
最悪どこにも受からなかったら
もちろんそこに入れる事にはなるけれど
大切な一人息子
親ができる限り評判の良い学校に入れてやりたい
かと言って簡単に家を引っ越す訳にも行かない
当たり前だが学校探しもテストも
インタビューも全て英語だ
夫は朝から晩までほぼ店
子供の学校の事を調べたくても
多くの時間を割く事はできない
幸運なことに夫は私立の学校へ
息子を入れたいと言う私の提案に事に関しては
同意してくれていた
私立の人気の学校に入れるには
まずプリスクール選びから考えなければならない
と言うのもプリスクールの園長からの推薦状や
成績表がなければ私立のKinderに
申込する事すらもできないのだ
息子が生まれてすぐから
この日のために
親としてできる事は全て注いだ
そう言っても過言ではない
その合否を3月22日に控えていたのだ
そして22日の当日
受け取ったEメールを読んで唖然とした
信じられないことに
3校とも全て落とされていたのだ
全てが合格するとは思わなかったが
まさか全て落ちるなんて考えもしなかったので
頭の中が真っ白になってしまい途方に暮れた
その日の夕方
通っていたプリスクールに息子を迎えに行くと
園長が園から出てきた
受験した3つの学校から合格通知は来たかと
ワクワクしながら聞かれた
3校ともダメでした
私は泣きながら答えた
園長は驚きを隠せない様子で
学校に連絡を入れてみると言ってくれた
その日の夜
プリスクールの園長から電話が入った
3校受けた学校のうち
1つの学校のディレクターと連絡が付いた
息子は今、waiting Listの1番上にいる
そして入園のキャンセルを申し出ている
園児の親がいて、現在その確認を急いでいると
だからもう少しだけ学校から連絡が来るのを
待ってほしいと言われた
そして翌朝
その学校のディレクターから電話が入り
入園のキャンセルが出たので
Waiting List1番上にいるうちの息子に
ぜひ入って欲しいと言われた
神様は私たち家族を見放さなかった
まさに生検を受ける前日の出来事
2021年3月24日: BIOPSY(生体検査)
一時はどうなることかと思ったが
無事念願の私立のキンダーに入園が決まり
心底ホッとして生検に向かった私
とはいえ聞き慣れないBiopsyと言う言葉に
全くイメージが掴めない
よく分からないまま待合室で待っていると
ナースに名前を呼ばれた
彼女に着いていくと
狭い更衣室のようなスペースへ連れて行かれ
施術の内容を説明された
まず局部麻酔の針がチクッとするが
それ以降は麻酔が効いて痛くない
ただシコリの細胞を採取する器具から
パチンという大きな音がするので
ビックリしないでね
あと処置をした後に
今後もシコリの経過観察をするため
位置を定める小さな金属のようなものを
内部に埋め込みます
その点ご了承くださいね
と言われた
なんだかよく分からないが
はい分かりました、と返事
とにかくあまり深く考えず
リラックスした状態で検査室へ入った
ガウンに着替え寝台に横になる
担当のナースはやたら笑顔を振り撒き
仕切りに冗談を言っていた
好きな音楽は何?
かけてあげるわ
なんて言いながらSPOTIFYか何かで
マイケルジャクソンを流してくれた気がする
程なくしてアルメニア系の
中年の男性ドクターが入室
このドクターも
不自然なほどフレンドリーだった
大きな音でBGMが流れている中
ワイワイとナース達と
楽しそうに雑談をしながら
淡々と施術の準備を進めていく
ふと目の傍に映った器具を見て
体に緊張が走った
形状は少し違ったかもしれない
もっと大きかった気もする
記憶がだいぶ薄れているので正確ではないが
ウェブで検索をかけて似た器具を見つけたので
参考に貼っておく
これは、ばねの力を利用して組織を採取する
針生検(コア針生検)という方法で使う器具
これとは別に
無数の局部麻酔用の注射器も
トレイの上に用意され始めた
ちょっとだけ細胞を取り出すための針は
想像を遥かに超える太さだった
私の気持ちを知ってか知らずか
ナースがニコニコしながら
超音波で胸のしこりの位置を確認
その後ドクターが局部麻酔を打っていく
そしてここと定めた位置に
先ほどの器具の針を当て
指を引いた瞬間、耳を突くほどの
強い衝撃が体を突いた
グイッと指で手前にバネを引く形状と言い
バチン!と言う大きな音と言い
まるでピストルだ
麻酔を打てば痛くないと聞いていたのに
打たれた後すぐにじわじわと痛みが胸に走り
勝手に体が震え、涙が溢れた
一度だけならまだしも
何度も何度も局部麻酔を打ち
工具で使うようなキリにも似た太い針を
胸に刺し続けるのだ
震えながら泣く私を見て
あれ?何〜?
泣いてんの?笑
痛かった???
そっかあ…
じゃあもう少し麻酔増やすよ(英語)
とドクターは言い
さらに局部麻酔を胸に打ちまくった
横で見ていたナースが
あまりにも私が哀れに思ったのか
施術中ずっと私の手を握ってくれていた
それだけが唯一の救いだった
トレーの上には
局部麻酔で使った使用済みの注射針で
針山がびっしりと隙間なく埋め尽くされていた
今まで生きてきてこんな大量の
局部麻酔を見たのは初めて
私の左胸と脇には大きな穴が開き
そこから血が噴き出し真っ赤に
ガウンが染まった
ナースはそれを必死にガーゼで止血し
その後透明のテープを広範囲に貼ってくれた
真っ赤に腫れ上がってしまった左胸
ナースはわたしの左胸に包帯を巻き
保冷剤を入れて冷やしてくれたが
これは歴とした手術だ
帰宅後に撮った写真がこれ
麻酔を何十箇所も打たれたのとショックで
意識が朦朧とし処置が終わってからも
数時間その場から
離れることができなかった
ナースは「今日は誰が送ってくれるの?」と聞いたので
一人で運転してきたと言うとビックリしていた
ようやく気持ちが落ち着いたので
施術室を出てルーフトップに停めた車まで
ふらふらしながら歩いた
運転席に座ったものの
左腕に力が入らない
しばらくエンジンをかける気になれず
放心状態のまま空を見上げた
真っ青な雲ひとつないLAの空
自分の気持ちとは裏腹に
その光景がまぶして
逆に自分が惨めになり
悲しくて涙が溢れた
誰かにそばにいて欲しい
体がまだ震え始めた
一体私に何が起こっているのだ
突然の出来事に
まだ頭がついていけてない
ただ分かっているのは
左胸の突かれた痛み
一年経った今
一連の治療を思い起こしても
この時の痛みや恐怖は
癌の摘出手術を受けた時よりも
もっと強烈でショックだ
なぜなら
癌の摘出手術時は全身麻酔で
本人も知らない間に事は済まされる
でもBiopsyは違う
局部麻酔で全ての工程が目の前で行われる
癌サバイバーさんのブログやツイッターなどで
Biopsyについてあまり詳しく書かれていないのは
きっとしこりが1箇所だけの人だったり
処置に費やす時間が多くないからだと想像する
でも私のように
大きなしこりがいくつもある場合は
きっと辛い思いをする
本人はとても不安になる
だから
生検の日は家族か友達が
必ず本人に付き添ってあげてください
終わった後は精神的にショックで
一人で運転して帰ることなどできない
「こんなことで挫けていたら
この先、癌の治療なんて受けていけないぞ!」
なんて叱咤激励のつもりで
間違っても言わないで下さい
ただその人の気持ちに寄り添い
肩を抱きしめ
手を握っていてあげてください
最後にBiopsyをした直後の
今は無き左胸の一部を公開します
もう今は2度と見る事はない
今では懐かしいふくよかな左胸
これは日本の姉に「検査どうだった?」と
LINEで聞かれて送った時の写真
この時は左胸がなくなるなんて
これっぽっちも考えてなかった
この検査の後
私は長い癌治療のジャーニーへと
旅立つ事になるのだ