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宙わたる教室

著者 伊予原新
文藝春秋

ぶらっと立ち寄った本屋さんで買った短編集『月まで三キロ』が伊予原さんの著書との初めての出会い。
科学知識をふんだんに使いつつも、SF小説とは違い私たちの生活の身近に感じられる暖かいものがたりに一気にファンになったのを覚えています。

さて、『宙わたる教室』は私にとって伊予原本2冊目。ドラマ化もされたそうで期待値は高。

さあどうか。

やっぱり暖かい。
じんわり涙がにじむ。

定時制高校の理科教師、藤竹が、年齢も境遇も全く異なる生徒たちを集めて科学部を立ち上げ「火星」つくるという、一風変わった青春ストーリー。

恥ずかしながら、定時制の学校がどのようなものなのか私は知らなかった。程度の差こそあれ、幼いころに学校へ行かせてもらえなかった外国人や高齢者、いじめや家庭環境により全日制に通えなくなった若者は数多くいて、彼らは夢を叶えるため、現状を少しでも良くするためにと定時制に集まる。

だが、藤竹が大学で目の当たりにした差別と同じように、「定時制」=「落ちこぼれ」のイメージが世間に定着しているために敬遠され、努力の成果を正当に評価されないことも多くある。
そういったことを、先入観や世間の声に左右されやすい日本社会の中では容易に想像できてしまうのが悲しい。

この物語の中では、定時制の彼らが、実験の成果を学会で発表し受賞、JAXAに研究協力を頼まれるところまで飛躍する。

ただのフィクションだろうと思いきや、実際にこの物語のモデルとなった定時制高校は「はやぶさ2」に関する論文で共著者として記載されているという。


物語全体も好きだが、特に「オポチュニティの轍」。

14年間もたった一人火星で写真を撮り続けたロボット「オポチュニティ」が振り返って撮った自身の轍。それを、保健室登校をしている佳純は自分の手首から肘まである無数の傷跡と重ねる。

それはこの子が、異星の原野をたった一人で何年も旅してきた証。生命を感じさせるものが何一つない絶対的な孤独の中を、懸命に生き延びてきた足跡。

p99

8ヵ月の間通信が途絶えたオポチュニティの運用終了の瞬間には、ミッションに関わった人々が集まり皆涙していたと藤竹から聞かされる。

この子のために、大勢の科学者が泣いたのか。 もう何度見つめたかわからない「オポチュニティの轍」が、今の話を聞いてこれまでとは少し違って見えた。 この子は、自分の後ろに延々と続く轍を見て、ただ孤独を感じたわけではないのだ。きっと、もう少しだけ前へ進もうと思ったに違いない。地球にいる仲間たちの存在を、背中のアンテナに感じながら。

左腕に刻まれた傷跡をひと撫でする。この轍は、ここで終了。
わたしは、新しく轍を作るのだ。

p113

この部分がほかの章と比べてより私にささった理由はなにか、少し考えてみた。

最近孤独についてよく考えることがあるからだろうか。
年越しで久しぶりに電話をかけてくれた母のあたたかみを思い出したからか。

実家を離れてもうそろそろ五年になる。私も家族も連絡はまめな方では全くないので、その久しぶりの会話が染みた。
オポチュニティをささえる科学者のように、私もきっと離れて住む家族に支えられている。

これからも少しずつ、私の轍を伸ばしていこう。
わたしは一人でも孤独ではないのだ。

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