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母であり、書き手である


ふとXの投稿をスクロールしていたら、糸崎 舞さんと東ゆずほさんのスペースに出会った。

お二人のことは、Xで陰ながら拝見していたから、声を聞いてみたいと思って、作業をしながらではあったけど、片耳にイヤホンをつけた。

そのスペースでは、
「書くことで救われる」
「ライターと母業の両立」について、語られていた。

お二人の柔らかい声がほどよいBGMになりつつ、あっという間に1時間経つ。
すると、すぐに「このあたたかくほわほわした気持ちを、どこかに記して忘れないようにしなければ」と思った。

ということで、「仕事は?おい!」という中ではありますが

なぜかnoteを書き始めた私です。

ここからは、Xでお二人が語り合っていたことから
気がついたことを書き留めていこうかな。

うーん、まずは。


子供が生まれてから、私の人生は大きく変わったということ。
変わったというよりも「変わらざるを得なかった」というほうが正しいのかな。

「愛する我が子を死なせないため」——それが私のミッションになった。
(このことはスペースでおしゃっていて、その通りだと思い、引用させていただきます)

一見、極端な表現のように聞こえるかもしれないけど、
親になれば誰しも、この言葉の意味が腑に落ちる瞬間はあると思う。

夜泣きで目が覚め、ふと気づけばいつのまにか朝日が差し込んできていたこと。
食事を準備しながら、小さな冒険家を見守ること。
病気になれば、眠る間も惜しんで看病すること。
こそこそとキッチンでご飯を食べること。
子供が安全に、健康に育つようにと、
私の時間も、思考も、エネルギーも、すべてそこに注がれていく。

「親になる」というのは、「子供を守る」こととほぼ同義だと思う。
そして、それは「自分の時間を失う」ことと、紙一重でもあると思う。


そんな日々のなかで、私が唯一「個」に戻れる瞬間がある。
それが、書いているとき。
(これも、お二人がスペースで話されていて、「ほんっとそう!」って思った)

文章を書いているときだけは、私は「母」ではなく、一人の人間として存在できる。
子供のことを考えながらも、それとは別の「思考」を巡らせることができる。

「私」という存在が、「母」という役割に完全に埋もれてしまわないように、書くことは、私にとっての呼吸であり、自己表現であり、バランスを保つための手段だったと気付かされた。


仕事やキャリアの話になると「子供がいると大変でしょう?」と言われることもある。
確かに、制約は多い。時間の自由は限られるし、仕事と家庭のバランスを取るのは簡単じゃない。

でも、お二人と同様に
私も「子供がいること」がハンデだと思ったことは一度もない。

むしろ、子供がいるからこそ、頑張れている。
「この子のために」という気持ちがあるからこそ、限られた時間の中で果たす仕事に、真剣に向き合える。

「書くこと」をより大切にするようになったのも、子どもがいるからだと思う。
母でありながら、個人としても充実していたいと思うから、私は書く。
その積み重ねが、私自身の仕事になり、キャリアになっていく。 
・・と信じている。

「母」としての私も、「個」としての私も、どちらも本当の私。
どちらも大切にしていきたいと思う。

そんなことを、優しくゆっくりと時間が流れるXのスペースを聞いて、感じた。

孤独なWEBライターが、Xのスペースを通じて
あたたかくなれた。

糸崎 舞さん、東ゆずほさん、ありがとう!!



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