見出し画像

子供の頃の記憶(たぶんHSCだった私)


HSP(highly sensitive person)

HSC(highly sensitive child)

ここ数年でよく耳にするようになった言葉ですよね。

HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。
HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であることがわかっています。
統計的には人口の15%~20%。5人に1人があてはまる『性質』であり、稀ではありませんが、裏を返せば、約8割の人はこの性質にはあてはまらないため、HPSの特性は共感を得ることが難しく、HPSでない人たちとの差に自己嫌悪を感じることや、まわりに合わせようと無理をして生きづらさを感じやすくなる

繊細さん、という呼び名も多く使われてますよね。

チェックリストはあるものの、現時点では診断できるものではなく自分が本当にHSPかどうかというのはわかりません。ただ、共感できる部分が多くHSPを知ることで、個人的にとても気持ちが楽になりました。


私は大学で心理学を学び、

社会に出てからもその手のものは大好きで

趣味程度ではありますが、ずっと勉強はしていました。


心理学にも流行りがあるというか、

その時々で注目される言葉や概念があると思うのですが

HSPも数年前から本屋でよく見かけるようになっていました。

いつもなら、「え!?なになに!?HSP??」とすぐ興味を持って調べるだろうなと思うのですが

「繊細なひと?ふーん」と興味を持ちませんでした。

今思えば、そのときはなんだかこの「HSP」に対して微かな拒否反応が出ていたんだと思います。

(このときはまだHSPの意味をちゃんと理解していなかったので)

自分のことを「繊細」だということに抵抗がありました。

その言葉を免罪符にして、弱さを改善しないつもりじゃないのかと周りに思われたらどうしよう。

(誰もそんなこと思わねーよ!とツッコミたい)

「繊細」だと思われるのは恥ずかしい!

その思いが強かったんだと思います。



しかし、今年に入りようやく「HSP」について

急に興味を持った私。

なぜ急に?

自分でもわからないんですがHSP関連の本を立て続けに読み漁りました。

そしてHSPのことを知るにつれ、なんだか一番生きづらかった子供の頃の自分を許せるような気がしてきたのです。

すると、心の奥底に封印していた幼少期の記憶たちが出てくる出てくる!

自分はおかしいんじゃないかと恥ずかしさでいっぱいだった子供時代のこと、ようやく笑って話せるんじゃないかという気がしてます。


繊細すぎた私の過去の記憶たち

まず、一番小さい頃の記憶はたぶん3~4歳くらいのもの。

その夜、私は父親と一緒に寝ようとしていたのですが

ふと壁際を見ると、、、

なんと!!部屋にヤツが!!

そう、、、

Gです!!ゴ○ブリ!!


うちの父親は体育会系かつ豪快なタイプなので、それはそれは俊敏な動きで、近くにあった新聞紙でGをスパーンと一撃で成敗!!

それを見た私は泣き出しました。

怖かったから?

ビックリしたから?


いいえ。

それはもう、べらぼうに、、、

悲しかったのです!!

「Gが死んじゃったこと」が!!

そのあとのことは自分ではよく覚えてなかったので

父に聞いてみると

「なんで死んじゃったの?」「この子はこどもなの?おとな?」「この子のおとうさんおかあさんとかおともだちは悲しくて泣いちゃうよね」「ごめんねぇぇぇ」と嗚咽まじりに30分くらい泣き続けてたとか(笑)

お父さん、ほんま困らせてごめん。

いまこの話を改めて思い出すと「子供って純粋で可愛いな」と思えるのですが、思春期くらいまではこの思い出も恥ずかしくてしょうがなかったのです。

泣き虫であることを散々ばかにされたので、ダメなことだと思い込んでたんですよね。

ちなみに33歳になった今の私は、

Gを見つけると光の速さで退治してます(笑)


そう、小学生くらいまで

どこであれ誰の前であれどんな出来事であれTPOなぞ一切無視して隙あらば泣く、筋金入りの泣き虫だった私。


人見知りもすごくて、ガラスのハートというかもうプレパラートじゃね?くらいの子供でした(笑)

それに加えHSPの特徴としてもよくあげられるかと思うのですが、すぐ物事を深堀りして考えすぎてしまう癖もありました。 


それは私が幼稚園児のとき

私の通ってた幼稚園では鉄棒ができるようになったりすると、全校(?)集会的なやつで園長先生から表彰状がもらえるんですよね。

表彰状は欲しいけど「わたし前まわりできるよ!見て!」って先生に言うのは恥ずかしくて、、、

先生がグラウンドにいるタイミングで、偶然を装って何度も何度も前まわりしたんですよね。

(先生を都度チラ見しながら、、、)

その次の集会ではついに私の名前が呼ばれ、鉄棒できましたで賞みたいな感じでめでたく表彰状授与されることになりました。

「○組 ○○ ○○ちゃん、前に出て来てください」

そこで私は急にフリーズします。以下、心の声です。

「え?これ本当に私のこと?同姓同名の人がいるのでは?もし前に出て、私のことじゃなかったら恥かいちゃう。こんだけたくさん子供がいたら同じ名前の子もいる気がする!きっとそうだ!そもそもあの鉄棒って本当に見てもらえてたのかな?先生見てなかった気もするしやっぱ私じゃないかも。」

ちゃんと所属の組とフルネームで読んでくれてるのに、なぜかほんとに自分のことなのか疑い出す私。

そして、結局よくわからなくなって半泣きに。

見かねた担任の先生が前まで連れて行ってくれたような気がします。(はっきり覚えてない)


こういう思考の癖は未だにあるなぁ、と感じています。

(仕事のとき必要以上に相手の状況やリスクの様々なパターンを考える。いや、仕事だけじゃなく普段もだな)


一番黒歴史というか生きづらかったのは、個人的には小学生の頃かなぁと思っています。


音楽会練習の思い出

確かもう小学校高学年だったんじゃないかな?

音楽会の練習での思い出。

題名忘れちゃったんですが悲しげな曲を歌ってたら

本当にすごく悲しくなって泣けて来ちゃって

(歌を聞きながら、頭の中で何故かお母さんやお父さんが死んじゃったらどうしよう。とか謎に妄想してました)

みんなで練習中にも関わらず、

ひとりしくしく泣き出してしまいました(笑)

ビックリした先生が私を別室に連れて行って

「どうしたの?誰かに嫌なこと言われたの?いじめられたりしたの?」と気遣ってくれました。

私はまさか曲が悲しくて泣いたとは言えず

(もしくは妄想で泣いたとか)

「あ、こんなことで泣く子なんて私しかいないんだ」と猛烈に恥ずかしくなりました。

その後のことは覚えてません。

なんて言ってごまかしたんだろうか、、、

こういうことがまだまだ他にもあって

その性格のせいで周りの子たちから嘲笑されたり、仲間外れにされることもあったり

大人たちに怒られたり、困らせてしまったり

子供ながらにすごく生きづらさを感じていました。

(泣きたくて泣いてるんじゃないのに!我慢したいのに涙が勝手に出てくる!っていつも思ってた。泣きスイッチがいつ入るか自分でもわからなくて怯えてた)


外側から見ると、優しい人たちに囲まれ、大事にされて

わりと恵まれた子供時代だったと思うんです。

それなのに、苦しくて苦しくて、、、

私が自分に甘すぎるからなんじゃないかと更に悩みました。

突然ですが

1999年7の月に恐怖の大魔王が地球を滅ぼすっていう

ノストラダムスの大予言


流行ったの覚えてますか?

私はこのとき小学生だったんですが

「生きるの辛い、、、でもどうせ7月に地球が滅びるなら楽になれる、、、あともうちょっとがんばろう」

と、いつも思っていました(笑)

今考えるとほんと笑えますが、その当時は8月になっても9月になっても地球が滅亡しないので

かなり絶望しました(笑)


その後、高校生くらいから

このままじゃだめだ!と思い奮起し、

今までの自分と180°違う自分になっていきます。

それはいい面もありましたし、必要な時間だったとは思うのですが

自分軸<<<<<<<<他人軸

の状態だったため、徐々に違和感が大きくなっていきました。

長くなっちゃったので、その話はまたいつか書きたいな。


以上、私の子供のころの記憶たちでした。

ふー、アウトプットしてみてすごくスッキリしたなー😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?