処方薬中毒になり、脱却するまで🌿
小学校高学年の頃から自分がなぜ生きているのかなど考えるようになる。
秀才だった中学時代、中3の秋に父が肝臓癌で死去。
全てを賭けて挑んだ高校受験に失敗し、努力は報われないと失望する。
バイトに明け暮れた高校時代。
AO入試で入った大学では心理学を専攻。
この頃から心療内科や精神科に通院するようになり、薬物中毒(抗うつ剤や睡眠導入剤、抗不安剤などの処方薬中毒)に陥る。
大学卒業後にメイクの専門学校へ行くため上京するも、東京の生活に馴染めずどんどん病んでいく。
22歳、新宿の路上で合法ドラッグを販売するプッシャーになる。
同棲していた同じくプッシャーの彼氏に殺されかけ神戸の友達の元に逃げる。
23歳、昼も夜も働く友達に申し訳なくなり福岡へ帰り自殺を試みるも死に損ない3週間精神科に入院。
24歳、今度こそ死のうと専門書を読み致死量の2倍の睡眠薬などを用意し服用するも、10日間の昏睡状態の間に発見されICUに1ヶ月間入院。
その後、精神科の閉鎖病棟に1ヶ月間。計半年間の精神科入院生活を送り退院するも、実家で1人で引きこもりの生活を送る。褥瘡(じょくそう、床ずれ)や左半身の痺れ、禿げ、腎機能不全などの後遺症にも悩まされる。
26歳、処方薬を服用しながら、徐々に社会復帰を果たすも、希死念慮から逃れられない生活を送る。
32歳、プッシャー時代に知ったアヤワスカの存在を思い出し、藁をも掴む気持ちでペルーに行くことを決意する。ペルーにてアヤワスカの儀式に7回参加し、想像を絶する苦行の末に、目が開く感覚を感じる。
帰国後、全ての精神科系の処方薬が毒に見えるようになり、全く欲しなくなる。薬物中毒からの脱却。
34歳、この経験を人に伝え、精神病や薬物中毒から脱却できる可能性があることを日本人に知ってもらいたいと思うようになる。