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がんの治療方針を聞き、在宅を選んだ

「息苦しくて病院へいったら、肺に水が溜まっていて、入院して水を抜くことになった」と父からの電話連絡。

娘が生まれる前年に肺炎で入院した際に、
「肺に影があるので精密検査した方が良いかも」
といわれ、父は肺炎が回復すると、検査を拒否して受診しませんでした。

あれから6年後の肺の水は、きっとガン由来だろうと思いました。
ドクターもガン由来の悪性胸水として、胸水中にがん細胞がないか見てみたが見つからず。一旦、水抜きだけして退院してからの精密検査。

精密検査を受けてから結果説明

脳MRI、気管支鏡、全身のPET検査が終わり、検査結果を聞くことに。

脳転移がないか、ガンの種類を診るための細胞診、全身の転移がないかを確認しました。

ここで肺ガンは小細胞(約15%)と非小細胞(約85%)といわれます。
最近の遺伝子組み換え薬免疫チェックポイント阻害薬が肺がんの治療で有効とされます。

化学療法はしたくないと、父は母の膀胱癌の治療をみてそう決めていました。でも内服薬であれば飲んでみようかと。
担当医も同意見で、80代で積極的治療は避け、合う内服薬があればそちらで治療しましょうという方針で、肺がんだと予想し検査をしました。

検査結果は意外で“中皮腫”

肺がんのステージ4でなく、結果は肺を覆う中皮層の腫瘍でした。
中皮腫はアスベストに携わって30~40年経過したころに発症することが多いとされ、1970~1990年代に多用して、携わった人が発症し最近増加しています。

ドクターは「肺に水が溜まらないようにしたから、あとは中皮腫の治療を相談しましょう」と、私が薬剤師であることを伝え、父の診察に同行した。

リンパ節転移はあるが、限局して転移は今のところないと。
余命は8~17か月とネットにあるが、症状が進んでいるので、やや短めになるかもしれないと。

治療は免疫チェックポイント阻害薬を勧めると。
びまん性なので右肺に広がり、放射線や手術では対応できないと。
ドクターは副作用と延命効果について説明があった。

私はふいに「先生の両親だったら治療はしますか?」
と聞いてしまった。
ドクターは「年齢的に副作用が出て辛い思いをするより好きな事をして人生を全うして欲しいと思う」と。

父は耳が遠く説明が聞こえてなかったのか「副作用が出たらやめれるか?」
との言葉が出たので、ドクターはまだ決めかねているとして、猶予をもって抗がん剤の入院治療の予約を入れて、入院前日までに心を決めてくださいと。父は迷い、私も迷いました。

治療を諦める流れに

中皮腫の痛みが出始め、ロキソニンが処方されました。
入院前に服用し始め、急に胃痛が酷く、食事がとれなくなったのです。
がんが確定して相当に不安になったかと。
以前の胃潰瘍のようなストレス性の胃痛のようです。

さらにベットから滑り落ち右胸を打って、痛みも出ているので気分が滅入ってしまい、痩せていく一方。

父は抗がん剤治療は止める決意をしました。

私も同意しましたし、ドクターも意思に沿い、通院も止め在宅医療に変更するよう、要支援2の手続きをしたケアマネージャーが手配をしてくれました。

中皮腫の国の救済策は限定的

父が一生懸命働いた昭和と平成の時代は終わり、負の遺産のひとつが高度成長による公害です。アスベストによる被害もその一つ。

父は建設現場に出入りすることもあったこと、アスベストの救済の対象になるのかと思いきや、診断書もいただけない状況。

実はそういった人は意外に身近に多いことに気づかされた。

父の義兄は肺がんが20年以上前に分かったが、運送業を営み、アスベストの資材を運搬していたが、救済対象にならなかった。

つまり、下請けや出入り業者までは救済できていない現実も知った。

アスベストを扱う工場の近所の方にも因果関係がはっきりしない場合は救済しきれていない。

国の補償をしてもらうには、明らかな証拠がないと難しいのはよく分かるが、原爆や公害の被害と同じで救えない人が多くいる現実を知った。

在宅医療は心に寄り添った治療

要介護2のサービスをケアマネージャーがケアプランを立ててくれました。

週3回の訪問看護、1,2週間に1回のドクター訪問。
週3回のデイサービス。
週1回のヘルパーさん訪問。

日曜以外のすべての日にどなたかが関わってくれます。
一人暮らしの父にはとても頼りになるケアサービス。

私も通院で付き添う兄の負担や、父の家事負担などを考えたら本当に助かるサービスだ。

また週三回の訪問看護は、とても父の病状を理解して、辛さを共有していただけるような温かな声掛けです。

在宅ドクターも、家族に病状説明し、薬の副作用も配慮しつつ処方。

ただ、痛みの管理にオピオイド系鎮痛剤(麻薬系鎮痛剤)を早々に使い始めた現実を受け止められず、
私の古い薬剤師常識では、麻薬は寝たきりの状態になった際に使うものだと思っていた。
退薬症状が心配なこと、たまに運転することから、ドクターにまだ麻薬でない鎮痛剤で何とかならないかと相談。

ドクターは娘の希望として麻薬を一旦中止した。
やはり3日と持たず痛みが耐えられない様子。
麻薬を再開し寝る前に変更。
朝から寝る前に変更することで夜間は痛みが緩和されたが、日中は頓服の少量麻薬系鎮痛剤を最大10回飲むまで増えた。

長時間効く夜1回の麻薬系鎮痛剤を増量すし、日中の頓服を減らそうとするが、吐き気で食事が摂れない。

夜2,朝1の割合で長時間型をずらして飲むことで、現在は痛みが落ち着いてきた。

やはり、ガンの疼痛は本人しかわからない痛み。
精神的な要因も大きく、食事は誰かがいたら食べられる様子で、頓服の回数も減る。

麻薬を使いつつ、日常生活が送れるように緩和ケアは、患者の辛さに寄り添う治療だと思いました。

がん悪液質は慢性炎症。小さな火事が体内で発生している

ガン悪液質をいかに防ぐかが延命に繋がります。
がん悪液質については☟

がん悪液質の原因はがん細胞による脂肪や筋肉の分解、炎症性サイトカインの活性化による慢性炎症状態で食欲低下が起こる。

いわゆる急性炎症(大きい火事)にはステロイドで対応していますが、慢性炎症(小さな火事)にはステロイドでは対応しきれないという印象。
しかし、父はステロイドで対応している。

ガン悪液質対策の新薬がありますが、適応が限られている。
父がストレスによる胃痛、食欲低下、体重減少が起きてから、真っ逆さまにガン悪液質へ陥ったように感じる、

口から入る食べ物で体を作っていることが、食べられず痩せていく現実を見ると相当辛い。

ガンはやはり体を蝕んでいくことが、食べないだけの痩せ方でないことからよく分かる。

中医学でガン悪液質に対応しつつ麻薬系鎮痛剤を併用する

低栄養にならないために、胃腸機能を上げたく、漢方薬を処方したくなるが、現実は食事も喉に通らないのに漢方薬だけでお腹が膨れてしまい飲めないと言われる。

確かに、六君子湯、補中益気湯、人参養栄湯、十全大補湯など脾(胃腸系)の気を補うことで、血の生成を促して、筋骨の痩せを防ぐことを考えても服用してお腹が膨れて食べれないなら、薬より食べることをまず優先すべきだと思う。

末期がんの母に漢方薬が入らない現実に漢方薬剤師として落胆したことが、いかに食事らしいものを体に入れていけるかを真剣に考えさせられた。

父に対しては、痛みの緩和に麻薬を使うことで、食事が摂れ、外出ができることは西洋医学の緩和ケアに頼っていくしかった。

中医学ケアとしては、扶正袪邪として、正気(免疫力や生命力)を上げて、邪気(がんや感染症)に戦う力をつけてほしい。
少量の漢方薬と多種の栄養補助の健康食品を飲んでもらっている。

具体的には、肺と脾と腎に良い「瓊玉膏(けいぎょくこう)」で食事からの吸収を助けて気血精を補う。瓊玉膏は舐めたり、お湯に溶かすだけなので飲みやすく、食べる気力が出てくることが分かる。

また、栄養素としては
57種の野菜や果物や薬草を使い発酵させた消化済みの酵素液(大高酵素)や、数億年かけてできた地層から採取した糖鎖栄養素抽出液のカタライザーなど。飲料水替わりに消化を経ず吸収できるものを。
戦後の栄養不良から救った牡蠣の煮汁から採取したワタナベオイスターゼリーで食事で不足したアミノ酸やミネラルを補給を。

できれば、食事を楽しく食べて欲しい、そして軽く運動したり交流できるデイサービスは一日でも継続できるように願う。

食事は本当に美味しく簡単に食べられるようになって、便利な冷凍の調理済みのおかずを宅配してもらっているが、なかなか口に入らない。

食養生としては、魚や肉たっぷり入れて煮込んだスープや汁物、柔らかい米やうどんやイモなど、タンパク質と糖質を吸収しやすい形で、好みの味で食べて欲しい。

体は食べ物で出来ていること、6歳の娘がもりもり食べてくれる姿がとても元気を与えてくれる。
一日でも長く笑顔が続いて欲しいと願うばかり。


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