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「考える」こと本当にできていますか?
先日、吉田傑さんが主宰している「世界が変わる研究所」による「世界が変わる学校」というものに参加させていただきました。
以前から非常に興味があったのですが、開催地が神戸でしたので、なかなか一歩が踏み出せずにいたところ、今回はオンラインで開催されるとの情報が。これはキタ!と早速申し込みました。
はじめは「学校というのだから誰か先生的な人が何か教えてくれて・・・」という流れだと思っていたのですが全くの勘違いで、参加者同士の話し合いを通し、物事のとらえ方・考え方などを各自が探求し、お互いブラッシュアップしていくというスタイルの学校なのでした。
今回の課題「お金とゴミ、どちらを先に解消できるか」
と聞かれて、どう答えますか?
おそらくそれぞれがこれまでに持っていた知識の中で、それなりの結論を出すかとは思います。
でも、ここで大切なことはこの問いに答えることではないということ。
???意味わからないですよね(笑)
問いが出されたときに、人は必ず何か答えを導き出そうとします。これは習性、本能と言ってもいいかもしれません。ですが、それは本当の問題解決にはつながらないというのです。
問題が起きる=問題は何かの結果である=問題の原因がある
ということは、問題が起こる原因があって、それを解決、対策すればいいじゃないと考えがちです。でも、それでは根本的な解決には至らない。
問題が起きて、それを解決しようとする。例えば、何か病気になってその症状に対処する。いわば西洋医学の対処療法的な考え方ですね。その時は一旦治った感じがするけど、根本的な問題解決には至っていないので、また別の病気=問題が発生する。そして、今度はその問題に対処していく。これが永遠に続いていく。・・・これをやっているのでは、いつまでたっても根本的な問題解決には至らないわけです。
ということはどうしたらよいかっていう話なのですが、問題が起きた時にただ、その問題を解決することだけに注目するのではなく、その問題が起きた原因を考え、次はその原因が起きた原因を考え・・・・とその物事の根本まで遡って、広い視野、多くの視点を持って考えるということが大切ということになります。
そのためには、問いが出されたときに、「私はこの問いに答えなくてはならないのか」と問いかける。問いをそのまま受け取るのではなく、問いから一歩引いて考えてみるという行為から始まるそうです。
問いに本当に答える必要があるのか、そして答える必要があるのだとしたらそれはなぜなのか。
問いをとことんまで考える。
そうすることで、ようやく自分の「考える」力を引き出すことができる。
どうしても、日本的教育制度にどっぷりつかってきた我々世代は、先生がいて教えてもらうという構造が当たり前。自分で考えるという行為が苦手な人も多いです。私はちゃんと考えているという人もいるかとは思いますが、本当に「考える」ことができているのか。もしかしたら考えているようで、上っ面だけをなぞっているのかもしれないし、誰かの思惑に翻弄されているだけかもしれない。答えを自分で見つけた気になっているけど、誰かに導かれただけなのかもしれない。
「考える」
分かっているようで、できているようで、実際はどうなんでしょうか。私自身はできていなかったように思います。
今回の「世界を変える学校」に参加して「考える」ということを考えさせられました。
自分で考えること。
それはこれからの時代生き延びるためにに必須な力だと思います。私は正直、考える力不足を痛感したので、これからはそこにも注力していきたいと思っています。
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