信州Day43 念入りに燃焼
右から左へ、楽譜と逆に、縦書きで進んでいく季節。
この土日に参加するはずだった建築の講習会が延期になり、なんだか「あ、そうか」というこころもちにもなりました。ぽっかり空いた時間が去る方からのギフトのように感じられ、こうしてnoteに向かっています。
東京では、夏が長く秋がとても短かったのですが、ここ富士見では、来週8日には立秋がきて長い秋が始まるということを、身体で納得しました。二十四節気と気候にずれがないように感じます。
自分を真夏生まれと思っていましたが、実は秋生まれで、どうも父譲りに気管が弱いということも、なんとなく、今「かぼちゃ」を食べておかないといけないという気もしている。一昨日長野市の温泉へ行ったらご近所の収穫か大きなかぼちゃが1つ250円で売っていて、喜んで買ってきました。300円のこだますいかと一緒に。
野菜がご挨拶としてひとびとの間を一コマずつ巡っているようで、昨夜はにじいろむじかの根本さんが箱にいっぱい野菜を持ってきてくれたので、カラフルなマーボーナスときゅうりのサラダでいただきました。
7月31日~8月2日までの3日間、雑司ヶ谷セッションでした
今回はオマケがついていて、会場となる展示室showroomのご縁で上板橋の古民家にあった足踏みミシンと昭和42年の扇風機をいただけることになり、夫にN-boxを出してもらいました。朝6時に家を出て、お約束の渋滞を乗り切って10時に御宅に到着。積み込み、わたしは12時からご予約のセッションを開始しました。
今回は10名20足と出会うことができ、それぞれの時間がとろりと濃く、展示室の空間は同時開催の「タイの小土産展」の雰囲気で愉楽。レモングラスを香らせたりして「旅行気分を味わえました」と感想をいただいたりして。旅は出る前と出た後で全く違う自分にならざるを得ないので、リフレクソロジーとの相乗効果でみなさん新しい一歩を踏み出して行かれました。幸あれ!
8月3日には
合同会社設立のための登記申請
個人事業主から法人成りしたと言えるのかどうか、夫の「取材、執筆、編集」業とわたしの手技療法業を合わせた上で、ふたりの持つ資格やらも盛り込んで、ここでも何度かご紹介している茅野市笹原の古民家改修と運営を請け負う会社を興したということです。
社名「3つめの椅子」の意味するところは、ヘンリー・デイビッド・ソローが『森の生活』で書いた「私の家には3つの椅子があった。1つめは孤独のため、2つめは友情のため、3つめは交際のため。訪問者たちが思いがけずおおぜいやってくると、3つめの椅子が足りなくなったが、みんな立ったままで狭い場所をうまく使ってくれた」という文章からもらっています。3つめの椅子に関しては、新しくウェブサイトとnoteを立ち上げます。
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今回の雑司ヶ谷セッションで、複数の方より「絢子さん軽くなった」「もやが晴れた」と言ってもらいました。ちょっとトップギアに入れ過ぎて過回転気味かとも思っていたのですが、そこを自覚できているからよしとしましょう。そして、わたしを面白がってつきあってくれる方にありがとう。
くるくる回転できる季節にいつもカウンターとして立ち昇るのが、「恥」の感覚です。恥ずかしくなるのです。楽しく発信することに罪悪感のようなものがつきまとうようになる。これが行き過ぎるとアクセルとブレーキ両方全力で踏むことになるのでうまく付き合わないといけない感覚です。
ご縁に恵まれて着々と推進していく人がいたとき、それに勇気を引き出される人もいると思いますが、逆にそういう人を見て傷ついたり、過去に負った傷がうずいたりすることもある。妬みや目を背けたり、引きずり下ろしたいというきもちそれを敢えて陰と呼べば、バランスをとるために必ず陽と対になり陽が輝けば輝くほど強く立ち昇ろうとする。陰は悪ではないので、そのきもちも悪ではないとしよう。
陰を無視しないで味わってことほぎ五行に還してやりたい。陰の原因となる陽に自分が指名されたとしても。だから夏は、苦みが強い。焼きすぎの焦げも、陽の強さに比例して苦くなるのだろう。完全燃焼したほうが、秋にいい灰からダイヤモンドができるかもしれない。