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山﨑さん、そんな恰好で雨の中作業して、しみませんか?
と大工さんから声を掛けられたのが、初めて「しみる」という言葉を諏訪で聞いた日かもしれない。
それまでは「しみる」は沁みるとか、痛さを深く感じるという感覚のことだったけれど、こちらでは、冷えるとか冷たく感じるとかいうこと。高野豆腐のことを凍み(しみ)豆腐と呼び、大根のフリーズドライを「凍み大根」と呼ぶ。1月の今の時期、「凍みますね」とあいさつする。凍みてくれないとフリーズドライがつくれないから困るとも言う。

冷えることと痛いことの根本は同じだと思い知ったのは最近。
12/15満月の日曜日に、明治温泉をはだしで歩くイベントを企画した。
はだしの探究者金子潤さんを講師として12人で共有するさまざまな冷たい体験は、同時に痛い体験でもあり、怖い体験であり、受け入れてしまえば気持ちの良い体験でもあった。

身体の中で、
冷たいっと感じた時に縮こまる部分と、
痛いッと感じた時に縮こまる部分と、
嫌だな程度に気持ち悪くなる部分と、
ぞっとする(怖い)程度に気持ち悪くなる部分は
みな一緒なのだった。つまり、私の場合は、肩がこわばり首がつまり、額の前の方がもやもやする。

その身体反応を状況によって「冷たい」「痛い」「いやだ」「怖い」と名付けているに過ぎない。

ちなみに、ぞっとする(怖い)という反応を引き起こすのに、ロシアの「システマ」という武術をアレンジした身体トレーニングから、呼吸を止めるワークが使われた。
息を長く持たせなくてはならない/呼吸をできない という状況のときの身体反応は私の中で多分一番強い。パニックになってしまう。歌を歌っていた時代もフレーズ中息が続かないことが最大の恐怖で、それでやめてしまったのだ。同時に、呼吸から「間」という概念への執着も生まれた。

息を止めるというワークを参加者とともに行った体験によって、わたしの呼吸との格闘の原因が、恐らく生まれた時の首への臍帯巻絡によるのではないかなということを一気に思い当たった。水に潜るということ、水の中でアタマが下になるということへの身体反応も恐らくそこからですね。

予想はしていたけれどそれを「群れ」で体感することができ、無事に浮上してきたことで、恐れと水と生命が身体で結びつき、パニックにならずとも対処が可能なのかもしれないと希望が生まれた日でもあった。

東洋医学の五行論で、「水」に属する要素。
腎と膀胱、陰、生命力、冷たさ、重さ、恐怖、塩、冬、黒、明鏡止水と、パニック、呼吸、唾、第5趾、背面、額、etc…

全部ひっくるめて身体で体験しながら冷静に対処していくのに、諏訪の冬は最適だ。でもそれを、一人でやらないほうがいい。わたしたちは哺乳類で、寒さを乗り越えるのに群れで対処してきたはずなのだ。今回のイベントの状況設定の中に、疑似群れをつくるというのがあった。人が集まってくれてよかった。恐らく、昔の人の身体の強さは、寒さと痛みを共有してみんなで強くなるところにある。

昨日までの東京施術に、このイベントのご参加者の1名が、マンサンダル(写真のワラーチよりも、ひもが緩く、足に靴底が1枚ぶらさがっているみたいに見える)を履いてきてくださった。わたしは12月後半にとうとう踵にひびがいってしまって、着地が痛くてたまらなくなり、靴下を履いたけれど。この先、炎症と凍傷の違いとか、痛みと冷たさの同じとか、熱と痛みとか、いろいろ「名づけ」を横断して考えていくだろう。

怖いと名付ける前に。
痛いと名付ける前に。
寒いと名付ける前に。
身体は早速その反応を起こして「今、生命が危険な状況にませんか?」とあなたに訊いてくれている。
それを冷静に受け取って、対処できる(例えば、安全な場所にいるとか、群れでいるとか、温かい上着を持っているとか)状況ならば、あなたはその身体反応を解除することが可能なのでは。

ぜひたまに、寒い、の代わりに「しみるなあ」って使ってみてください。漢字は凍みるもよし、浸みるもよし。
ちょっと世界が違ってくるかも。

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