記事タイトルっているの?
すみません。タイトル入れろってでてきたので要不要を問うてみました。
感じたことをどんな風に言葉にしているんですか
という問いをいただいてとてもよかった
風景を切り取るようにある瞬間が気になって仕方がなくなる人生で、それを伝えられないもどかしさに耐えられず、解ろう解かろうとしてきたのだと思います
このインスタグラムの投稿のように取り留めなく、テーマを際立たせられない、いわゆるとっ散らかった状態で、でも自分の中だけではつながっていて、自分の「芸」を体系的に宣伝できないことをもどかしく感じている欲深い、何やさんだか分からないやつ
人が水を注ぐ音が好きで好きでと熱弁していたとき、「その気になることを全て盛り込んだしごとができるといいねえ」、と音楽の師が仰ったのは、15年以上前のことかと
笹原に作っている水聴庵ときどころは
その盛り付けができる
解の一部
常に問われる
「あいだ」として
地域の臓器として
わたしの臓器として
わたしが臓器として属するからだとして
機能するんでしょう
空き家が息を吹き返し張り切る瞬間をたくさん見てきました
素手で触れられたとき
箒で掃除されたとき
ベニヤが剥がされたとき
火が焚かれたとき
中でご飯を食べたとき
ひとが見に来たとき
写真を撮ってくれたとき
座ってくれたとき
子どもが遊びに来たとき
瞬間刺激を気に掛けるわたしには、それを統合する、栄養にする消化時間が大切だということを、あわいものやのロフトの三峯さんの前に潜伏しながら気がついたところです
単語を連ねて文にし、章にするように、刺激が芸になっていく
盛り付け作業を見にお越しくださいね
お話しましょう
ささはら水聴庵ときどころ 立春看板(未完成御免)
@suichoan
雑司ヶ谷展示室showroom(月初の月ー水)
@tenjishitsu_showroom
高円寺あわいものや(不定)←今晩2/6 21時空いてます!
@awaimonoya