ウィズコロナ・ポストコロナ
「上り坂の儒教、下り坂の老荘」については昨日の触れたけれども、現在のウィズコロナの状況などはどう考えても順境、上り坂とは言えず、ここは下り坂の老荘で、これまでの社会規範とか常識を越えて、もう一つ深いレベルで道に立ち返って内部充実と革新を図るタイミングなのかと思う。
社会を見ても、さまざまな既得権益が働いて混乱を見せながらも、大きくは経済から命の重視へとシフトが起きているように感じる。
ウィズコロナの状況で人命を重視した政策を取った国家のリーダーは称賛されたし、通勤ができなくなってテレワークの状況で家族と過ごす時間が増えて、その大切さを実感した人も増えた。特に日本では家事育児労働が女性に偏りすぎていることが女性の社会参加を明らかに阻害しているので、男性の家庭進出は男性の、これまでの経済中心の人生に今までなかった家族との時間という価値が付加されるようになるだろうし、一方では女性が社会に参加しやすくなって社会の多様性が推進される可能性が高まったと思う。このことは家事育児労働は女性の仕事という日本の経済成長期と安定期に根付いた価値観の大きな変革を迫ることになるけれども、男性が必ずしも一家の安定した稼ぎ手になり得ない変化の時代に、女性も働き手となることでより多くの人の生活を安定させる可能性もある。
女性の社会参加はポストコロナを見込んでも日本にとって重要な変化で、行政も企業も個人もこれまでの既成概念を超えて取り組むべき問題だと思う。
社会のあり方全体としてもデジタル化の重要性が認識された。テレワークや学校教育のデジタル化にはまだまだ課題もあるけれども、完全では無い中でも取り組みを始めたかどうかは今後に大きな差が出るのだと思う。
経済社会でもESG投資など社会の持続可能性を重視する考え方も広がっていて、経済成長を志向するだけでなく、その成長というのがどのように達成されたものなのかという正しさにも目が向けられる変化が起きている。
現実の社会を見てみるとまだまだ、ウィズコロナ環境でもテレワークやデジタル化は無理と拒否する人たちもいるし、従来通りの経済成長や既得権益重視の動きも当然見られるけれども、それだとウィズコロナ、ポストコロナの流れを見ると厳しい目で見られるようになるのかなと感じる。
これまでの既成概念は取り払って新しい価値を取り入れて前に進む時なのかなと思う。
老子の言葉で言うと、「足るを知る者は富む」と言った境地にて、経済利益を得ることだけでなく内面の豊かさなどが重視される時代になってゆくような流れを感じている。