サービスを手放した先に。
朝ごはんの日。
というものを2月から始めてみた。
運営するレンタルスペース兼コーヒースタンドのレンタル利用がない週末。
きっかけはただ自分がモーニングの文化が好きで、朝ごはんをだれかと一緒に食べることが幸福だと思うから。
経営的な面でも、『商売はにっぱちは暇』と言わるほどに2月と8月の売り上げが落ち込むのだ。必ずしもどの商売に当てはまるわけではないが、季節とともにあるこの場所はその影響をもろにくらう。
落ちる売り上げを見越して、起爆剤にしたかった。
そしてなにより自分自身が飽きないためが大きい。
商いは飽きない、それだ。
朝ごはんの日は、
7時半から朝ごはんを用意して、地域のひとや友だちと食べる。一見さんもまれに来る。大歓迎だ。小学生未満は無料なので子連れに好評で、ママ友の口コミで広がりどの日も2.3家庭は朝ごはんを食べにきていた。
もちろん店ではあるので、代金はもらう。
だけど、サービスはあえて手放した。
トーストを温める、フレンチトーストを焼く、スープやコーヒーをよそい、最後は食器を洗って返却してもらう。
お客さんは外にあるコーヒースタンドで思い思いにパンを焼き、玄関で靴を脱ぎ茶の間で食べる。
わたしは基本的にコーヒースタンドにいるので、茶の間の様子は見えない。
しかし茶の間は荒れることなく、綺麗に使われているのだ。
サービスを手放す理由は大きくふたつある。
ひとつは、わたしひとりではすべてをまかなうことができないから。
コーヒー1杯ずつのサーブすらままならない。みんなにできないなら、やらないほうがいい。
それはサービスを失うことになる。
手放してもいいけど、失ってはいけない。
それよりか、たくさん食べてね、や、今日はなにするの?と雑談に勤しみたい。
ふたつめは、お客さんの自主性や連帯感で自治が育まれるから。
1時間を目安にごちそうさまです、おかわりしてね、や、洗い物してくれると嬉しいとか。
ルールとも言えない必要最低限の決まりごとを設けている。
最低限だからこそ、その決まりごとの向こうにいるわたしの姿をお客さんは想像してくれるのだと、思っている。
最終的には、食器の返却場所まで気にかけてくれたひともいる。
この食器はいつもコーヒースタンドに置いていますよね、こっちはあまり見かけないから普段はしまっていますよね。と。
サービスを手放すことで、
売り手と買い手の境界線がはっきりと分かれる飲食業において、ただ消費される、消費するだけの関係性ではなくなった。
これは道に佇む古小屋で起こった、小さな革命だと思っている。
その先に。
ひとや資源や経済が循環し始める。
この地域は、区境ということもあり開発が入りにくく、多種多様な世代、土地に根ざした背景、技術をもつひとが集まる。
しかしただ暮らすだけでは薄れがちな繋がりは、朝ごはんという限定的な時間を過ごすことがで確かなものになるということを、この数ヶ月で実感した。
季節とともにある場所なので、夏場は暑くなり食べ物は傷みやすくなることから朝ごはんの日は5月でひとまず休止。
空調のある室内で完結することもできなくはないが、路面に面したオープンな環境が日常のなかに非日常を感じさせると思っているので無理に形を変える必要はない。
また涼しくなる秋ごろに再開の予定だ。
やたら固い文章なのは今後の講演資料としても使うから。ここに書いたの覚えていて欲しい、わたし。
楽しかったな、朝ごはん。
眠かったけど。
また楽しいこと考えよう。
もう思いついているけど。