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理想の夫婦にはほど遠い、けれど。

2025/02/06 雪

リビングの、キッチン側の窓からは雪がちらついているのが見える。その雪のなかを走る車たち。部屋のなかにまで寒さがつたわってくる。

昼過ぎ、相方がキッチンでなにかを作り始めた。まだPCに向かっていた私は、パスタかな、と思う。と、次の瞬間、相方がドアから顔を出し、「パスタつくってるけどたべる?」ときいた。「たべる」と答えた。

漂ってくるいい匂いに耐えられず、できあがる前にリビングのテーブルにて待機する。相方はいつものぺぺロンチーノを手際よくつくっている。今日はほうれん草のペペロンチーノ。

ベーコンを切らしているらしく「肉なし」と言いながら皿に盛り付けてくれた。あまりにもおいしそうで、「私の減らしていいよ」と言いそびれた。(パスタを食べると眠くなるので、食べる時はできるだけ少なめにしている)

結婚前、私には夫婦の理想のシーンがあった。それは、こんな風景だ。

私は深夜に目をさまし、なんとなく寝室をでてリビングに行く。すると、夫が先にリビングにいて、キッチンに立ってなにかしようとしている。

夫は、「ラーメン作るけど、たべる?」と私に尋ねる。
わたしは「たべる」と答える。

深夜、静かなリビングで、夫婦二人でラーメンを食べる。

ひさしぶりに思い出した。
こんなこと、相方に話したことがあっただろうか。あった気もする。昔すぎて、忘れている気もする。

深夜でもないし、ラーメンがパスタになっているけれど、なんだか大昔に描いたイメージと現在がシンクロしていておどろく。

けれど実際のところは、理想の夫婦にはほど遠い。

ほんの数年前まで、相方のことがほんとうに理解できずにたびたび呆然とした。家族になったはずが、ほとんど生活をともにしていなかった時期は、さみしい気持ちがいつしかあきらめに変わり、子どもが生まれてからはそれが怒りになって、触れれば火傷してしまいそうなほど憎しみを燃やしていた。今思うとあれはすべて、悲しみだった。

リビングの、キッチン側の窓から見える車の光をぼんやりと眺め、「なにをどうしたらよかったのか」と途方に暮れていたあの日。やめられたらどんなにラクだろう、と思ったことは何度だってある。それはきっと相方だってそうだろう。

先週、結婚14周年をむかえた。いまだに、結婚っていいものだよ、とは言いきれない。

だけど、人生の醍醐味が、嬉しいも楽しいも苦しいも悲しいも… あらゆる感情を味わうことであるとしたら、結婚によってそれを存分に味わっているということは言える。(苦しい悲しいの分量がちょっと多すぎやしないか、という感じだけれど)

それが「いいもの」かどうかは、やっぱりわからない。終わる時にすべてわかるだろうか。

できあがったパスタを食べる。おいしい。

「おいしい」と口に出すと、「かんたんよ。10分でできる」と、いつものセリフを相方が言った。その顔は「得意げ」をがんばって二割ほどおさえている、といった表情で、ちょっと笑えた。


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