「人生は全てコンテンツだからね」
表題の言葉は、以前勤めていた会社の先輩に言われたこと。
とても面倒見の良い先輩で、他の先輩と私と主人とを連れて、
都内にあるつばめグリルで食事をしていた日でした。
確か、インフルエンサーのゆうこすさんの
発信力についての話をしていた時に、
先輩がさも当たり前と言わんばかりに放った一言でした。
「どういうことですか?」
ハンバーグを今か今かと、お腹を空かせて待っているとき。
来たかな?と期待したら隣の席に持っていかれる鉄板達を恨めしく
横目で眺めつつ、私は聞きました。
「その人の人生ってさ、その人しか味わえないんだよ。
だから、どんな人生歩んでいても全て誰かのコンテンツ。
どんな経験でも、発信できる材料になるんだよ」
その先輩は、Twitterのフォロワー1000人越えを目指してるんだよね。
と言いながら、後に本当に1000人を越えてしまうような、そんな方でした。
「なるほど」
まだその言葉の意味にあまり納得していなかった私は、
曖昧にそう答えたような気がします。
*
まだ新卒の頃…なのでおよそ6年か5年前ぐらい。私はいわゆる"社畜"な毎日を過ごしていました。
帰る時間は毎日21時や22時。
楽しく会食をして赤ら顔のおじさん達や
若いカップル達のイチャイチャを横目に電車に揺られて、
家に帰り着いたらコンビニ弁当を頬張る。
お風呂に入って、寝る。
朝になったらさっき家を出たばかりなのに
『早く帰りたい』と思いながら、また満員電車に揺られる。
土日のお休みは、まだ彼氏だった主人の家で、
二人揃って寝て過ごしていました。
寝る以外の選択肢がありませんでした。
そんな生活をしばらくしていて、ふと思ったのです。
『趣味と言える趣味が…ない』
『特技って何だったっけ』
『…私って、つまらない人間だな』
私は何てつまらない人生を歩んでいるんだろう、
何て、何もないんだろうと。
虚無に包まれながら、また電車に乗って仕事に向かっていました。
*
今なら、先輩の話していたことが何となくわかります。
私の"何もない"と思っていた経験を発信することで、
誰かの気持ちの支えになったり、応援になったり、
共感になったり、希望になったりするのだと。
辛い経験ほど、乗り越えた後に学ぶことは多くて、
今では、ふと思い出してやさしい気持ちになれることだってあります。
当時は気付きもしなかったし、毎日が絶望ばかりだったけれど、
今は明るく人生を歩むことが出来ている。
私の発する言葉たちで、誰かを救うかもしれない。
私も、言葉に救われた一人です。
私の憧れているWEBライターの夏生さえりさんの言葉に
初めて出会ったのは、新卒の社畜時代でした。
Twitterを眺めている時に出会った、あまりにも具体的な妄想ツイート。
辛い仕事の待つ、窮屈な満員電車の箱の中で「くすり」と笑えたあの瞬間。
いつかさえりさんみたいに、私の言葉で誰かを救えたら。
そんな想いが6年越しにようやく行動に伴って、
今私はWEBライターになるべく動き出しています。
『アウトプットって難しい』と思いながらも、このnoteを綴っています。
たとえどんな辛い毎日がまた来ても、きっと大丈夫。
私の人生は、全て誰かの為のコンテンツで、希望の光。
辛い毎日を乗り越えた先に、必ず穏やかな日々が待っているから。