Webライター奮闘記 #01-II | 無理だと最初から決めつけないで。
こちらの記事の続き物です。
読んでいない方はこちらのリンクからどうぞ。
ずっとやってみたかった職業だった
私の憧れの方は何人かいますが、
その中の一人が夏生さえりさんでした。
こちらの記事でも話をしているのですが、
私は新卒時代、かなり社畜な方でした。
そんな社畜時代の時の楽しみが、
さえりさんの妄想Twitterや、ブログ、記事を読む事でした。
さえりさんが言葉を綴ると、まるで魔法がかかったみたいに見えました。
同じ言葉なのに、どうしてこうも素敵な響きをもつんだろう、と。
いつか、さえりさんみたいに人を惹きつける文章を書くことが、
私の小さな夢になりました。
頑張れば、絶対になれる。
そう信じて、まずは主人に、
"今の仕事を完全に辞めて、WEBライターになりたい。"
と、自分の思いをぶつけてみることにしました。
主人からの反対、そして…
会社自体を辞めることに特に異論はありませんでしたが、
SEを辞めることも、WEBライターをやることも、
主人からはどちらも反対されました。
「子供が産まれた後のことは、産まれた後で考えればいい」
「今、折角スキルがあってお金が稼げるのに、勿体ない」
「WEBライターなんて、稼いでも単価0.1円〜0.2円。
お金にならないから生活できない」
「無理に決まってる」
…言われたのは、こんな所でしょうか。
当時、あまりにも全否定されてしまったので、
書き起こして思い出し、ちょっとムカつきました。笑
そして、私の言い分としてはこうです。
「でも、産まれてから仕事を新しく探す余裕なんてむしろないと思う」
「IT業界は男社会だし、圧倒的に女性が少ない。
うちの会社は優しいし理解のある方だと思うけれど、
産んだ後にちゃんと産む前と同様の仕事内容で復帰ができるか、
正直不安がある。それに、ブランク後にまた勉強し直しかもしれない」
「今のうちに転職して、出産や育児に対して協力的な仕事をするか、
Webライターのように、ずっと続けられる可能性のある仕事をするべき」
「何より今身体を壊しているのだから、
今後もSEとしてまた働き続けるなんて体調的にも無理」
と、上記のような言い争いをしばらく続けていました。
けれど、しばらくして"やっぱり無理なのかな"、
"現実はそう甘くはないのかしら"と思ってしまい、
一旦はWEBライターの夢を諦めました。
…が、諦めるときには、心の内で密かにこう思いました。
『何よ、無理無理って』
『自分はWEBライターをやったことも無い癖に』
『勝手に無理だと最初から、決めつけないで』
『私の可能性を最初から、否定しないで』と。
第二の人生に向けてのスタートライン
退職手続き、そして引越し準備のスタート
それから、9月には営業さんに退職する旨を伝え、12月には常駐先の仕事を終えて、1月には正式に退職することが決まりました。
この時は寿退社ということになったので、前回のように営業さんに退社を止められることもなく、すんなりと退職が決まりました。
9月に入籍し、入籍後は大分に戻ることを
結婚するずっと前から話し合って決めていたので、
引っ越しの準備も順調に進んでゆきました。
あと残るは、次の仕事先をどうするかのみでした。
前置きしていませんでしたが、実は私と主人は同じ会社に勤めていました。
同じ歳で、新卒として同年に入社した為、会社を辞めた時点で、
主人と私のお給料は数万円の差ほどしか無いはずです。
そのため、主人一人のお給料だけで
二人で暮らしていくのは、かなり経済的に余裕がない。
そういった経緯で、"私も仕事をすること"はもう決定事項でした。
意外とすんなり決まった、次の仕事
次のお仕事、完全なキャリアチェンジになるため、
何をしようか、かなり迷いました。
その中での一番の候補は、
叔母の嫁ぎ先が日本料亭を経営していたので、
そのお店で雇って頂くことでした。
親戚のツテで働くなど、いかにも都落ち感満載ですが、笑
叔母に声をかけると、
「ちょうど人手が欲しく、求人を出すか迷っていた時だった」
と喜んでくれ、アルバイトも月額12万円とかなり高額。
デメリットもまあまあありましたが、
「最初はリハビリ感覚で、ゆっくり体調を鑑みて来てくれていいよ」
と叔母も優しく声をかけてくれたので、
これ以上良い仕事も他にないだろうと思い、働かせて頂くことにしました。
そういった訳で、主人とは仕事を決めることにあれほどまでに口論したのに、意外にもすんなりと次の仕事は決まったのでした。
新たなお仕事、始動!
地獄から一気に天国へ
2月はお店の改装工事で全く働けなかった為、
仕事の開始は3月からでした。
1月は有給休暇の消化をした為、実質2ヶ月のお休み。
お休み期間もとても充実して楽しかったですが、
3月になり、仕事が始まってからも、本当に楽しい毎日でした。
前職はコロナ禍もあり、3年近くずっとリモートワークでした。
満員電車の苦痛も味わわず、朝もギリギリまで寝ていたって大丈夫。
主人と一日中二人で過ごしていた頃も、
仕事の苦悩以外は比較的、穏やかで幸せでした。
しかし、接客業で、直接人の笑顔を見て働くことは、
今までとはまた違う、本質的な人間の幸せがそこにはありました。
大好きな叔母の側で働けることも、心の安定の一つでしたが、
お客様は皆とても優しく、私を迎え入れてくれました。
「女将の姪っ子なんだね、かわいいね」
「しっかりしていて偉いね」
「お酌してもらえる? ayacoちゃんにお願いしたい」
何でも褒めてくれるし、すぐにお礼を言ってくれるお客様方。
立っただけで褒められる赤ん坊と大差ないぐらい、
優しく受け止めて貰えて、私は感激しました。
エンジニア時代、システムは"完璧な状態が当たり前"と思われていました。
バグが見つかって怒られることはあったとしても、
修正したのち、丁寧に、心を込めて「ありがとうございます!」なんて
言われることは、ほとんどなかったのです。
笑顔に包まれて、『美味しかった、ありがとう』と
温かく伝えてくださるお客様方を前にして、
私の心もゆっくりと回復していきました。
しかし、現実はそう甘くはなかった
3月の勤務が終わり、お給料が渡される日になりました。
事前に聞いていた額は、確か12万円。
1日4時間〜5時間、週3〜4日で、12万円。
お店自体のお休みが数日続いたから、今月は10万円〜11万円ぐらいかな。
なんて思いながら、うきうきと初めてのお給料日を待っていました。
しかし。
実際に頂いた額は、聞いていた額のほぼ半分の、6万9千円。
「…あれ? ごめん、お給料って12万円じゃなかったっけ?」
「え? 時給1000円やけん、6万後半ぐらいだよ」
え、え、え。
唐突に心に焦りが出ました。
どうも、叔母の話では、週6でフルで働いたら12万円ぐらい。
ということだったようで、私が聞き間違いをしていたようなのです。
やばい、流石に6万円台だと、自分の諸々の支払いだけで手一杯だ。
今年は去年の住民税を払わねばならないから、
それでなくとも月に1万円以上は出ていく…。
おまけに5月は、都内で親友の結婚式がある。
その次の日は、ディズニーへ行く約束もしている。
やばい、やばいぞ…。
そして、考えは巡り巡って、思考のコンパスは再び、
一度諦めた『WEBライター』の道を指したのでした。
やっぱりWEBライターしかない
今の仕事は恩もあるし、何より大好きな叔母は人手が足りず困っているし、
辞めて別の会社へ正社員になる…ということはできない。
でも、他に掛け持ちで肉体労働を追加するとなると、
私は絶対に身体を壊してしまうだろう。
叔母は週6も提案してくれているけれど、
毎日そんなにお客さんが入るわけではないし、
そうなると叔母夫婦がただ損をすることになってしまう。
それに、主人との時間が取れなくなるのも辛い。
ーーやっぱり、WEBライターを頑張るしかない。
仮にお給料がゆっくりと上がっていくことになったとしても、
長期的に考えると自分が今出来ることは、WEBライターしかない。
それに、メインではなく"副業"であれば、決して損することはない。
よし、決めた。
私、副業WEBライターになる。
こうして、私の確認不足から始まるという
かなり格好悪いスタートではあるものの、
私のWEBライターへの道のりの第一歩が幕を開けたのでした。
ちゃんと最初に、叔母に詳しい話を聞いていれば
このような失敗はなかったのですが、
人生にこのような失敗はつきものですよね。
それに、現在のアルバイトを決して後悔はしていませんので、
アルバイトもWEBライターも、どちらも楽しく頑張れています。
選んだ道をどちらも後悔はしていません。
(お金の面は少し焦ってはいますが、本当に困ったら、親も頼っていいと言ってくれているので心配は無用です笑)
次回は、いよいよWEBライターを始めるための行動に入りますが、
そこでぶち当たった壁達を余すことなく紹介していきたいと思います!
先輩WEBライター様方、もし私の記事を見てくださっている方が
いらしたら…為になるアドバイスをお願いいたします。笑
長い記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
少しでもこの記事が良いと思ったらスキ頂けると嬉しいです。
また次回の記事でお会いしましょう。それでは!