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【海外生活】海外で生活をする上での大事な「覚悟」、あなたはできていますか⁇

こんにちは、claraです。

今日はいつもと少しトーンを変えて。
私の心の整理も兼ねて書かせてください。

これから海外で生活をする方、あるいは現在海外で生活をされている方、海外生活に興味をお持ちの方、1人でも多くの方に届きますように、という思いを込めて。

海外で生活する「覚悟」とは

突然ですが、あなたは海外で生活をする「覚悟」と聞いて、どんなものが思い浮かびますか⁇

私が真っ先に思い浮かぶのは、私が夫の海外駐在に帯同すると決め、アメリカに向けて出発する準備をはじめた頃に母が言っていた言葉。

「… 海外で生活するということは身内に何かがあったときにすぐに駆けつけられない、間に合わないかもしれない、という覚悟をしっかりと持たないといけないよ…」

その言葉を聞いてから早3年、長い長い海外生活中の母の背中も見てきたので、今でも海外で生活をしている私の頭の片隅にはこの言葉がずっと残っています。

突然の知らせ

先日、アメリカ時間の夜中に父から突然「もしかしたら祖父がそう長くないかも…」という連絡が入りました。

その話を聞いて、気がついたら脳内で祖母の突然の訃報を聞いたときのことがフラッシュバックしていました。

当時、私は社会人になって数年、まだ独身でベトナムのホーチミンに1人で旅行をしていて、翌日の朝に日本への帰国を控えていました。突然の知らせにショックを受けて、とても悲しく思いつつもlineで聞いただけでは実感があまり湧かなかったことを今でもよく覚えています。

私は予定通り、翌日の朝のフライトで帰国、その足でお通夜に向かいました。祖母の顔を一目見てはじめて「お別れ」の実感が湧いて、気がついたら涙が溢れ、泣き崩れていました。

突然迫られる決断

母の言葉が脳裏に浮かびながらも、祖父はきっと今まで何回か見せてくれたように奇跡的な回復をすると信じたい私はなかなか「もしも」の先のことを考えられませんでした。

しばらく心が上の空の日々が続き、ついに決断のときがやってきました。

父の連絡からちょうど1週間経った日の朝、なぜかいつもよりも早く目が覚め、起きてみると母から祖父の訃報の知らせが届いていました。さらに上海に住む妹からも「朝、起きたら電話をしてほしい」というlineも。

恐る恐る朝イチで妹に電話をすると、彼女はすでに両親と話をした、と。

「お姉ちゃんはどうする? 帰国する?」と聞かれ、「帰りたいと思っているけど、まだ何も調べられていない… 」としか答えられなかった私。

長女だからなのか、私は父をそばで支えるために絶対に日本に帰らなければという思いが強かったです。兄弟がいない父が抱える肩の荷を少しでも肩代わりすることができたら、と。

ただ、この時点で突然私に降りかかった決断事項が多すぎて、すごくおっとりな性格をしていて決断をすることが非常に苦手な私はパニックに陥ってました。

そのとき、頭に浮かんだのはこの辺りでしょうか:
・日本に帰るのか/帰らないのか
・いつからいつまで日本に帰るのか
 → 弾丸で帰るのか/少し長めに一時帰国をするのか
・1人で帰るのか/boysを連れて帰るのか
 → 1人で帰るなら夫のスケジュールはどうか、boysのチャイルドケアはどうするのか
・どのフライトで往復をするのか
 → 直行便で飛ぶのか/経由便で飛ぶのか
・予定していたイベントや約束をどうするのか
・息子の学校はどうするのか

妹との電話を終え、すぐに母に電話をしました。

すると母は「…帰るか帰らないかの判断はあなたに任せる、海外に、遠くに住んでいるのだから、私たちには何も言えないよ。今のあなたにはあなたの家庭があるのだから、よく○○さん(夫)と話し合ってから決断してね」、と。

電話を切ると、夫とboysが起きてきていつもの平日のバタバタの朝がはじまりました。

私の決断

航空券の予約サイトと自分のスケジュールと睨めっこをして、散々悩んだ末、私は結局「boysを連れて」「弾丸で」日本に一時帰国をすることにしました。

母から知らせを聞いてから父に「boysを連れて帰るから! 」と電話をするまでわずか24時間。

2日後に出発する飛行機はお値段が張りましたが、こういう緊急時にはそんなことは言っていられない、こういうときに家族のそばにいてあげられることこそプライスレスではないか、そう感じた上で航空券を予約しました。

いざ一時帰国

行きはアメリカ国内でワンストップをする乗り継ぎ便。

私はワンオペでboys 2人を連れて日本に帰国したことは何回か経験したことがあったものの、アメリカの国内線、経由便で一時帰国するのははじめて。国内線の噂は色々と聞いていたので、不安でいっぱいでした。

1便目はフライト中に着陸する空港でのターミナル、到着ゲートさらには2便目の出発ゲートが変更になったのですが、飛行機に乗り慣れている父が「ゲートが変更になってるよ」という連絡を入れてくれたおかげで、なんとか2便目の搭乗開始10分前に出発ゲートに到着。

あと10分で搭乗するのか… 次のフライトが長いからどうせなら間髪入れずに早く出発したい… と思っていたのもよそに、機材トラブルで出発が2時間遅れ、なかなか一筋縄では行かなかった行きのフライト。

成田空港で両親と到着ロビーで会えたときの安堵感と言ったら…。

妹も上海から一時帰国をしたので最終的に母、私と妹の家族全員で父の隣で行事の参加することができました。

色々な意見があるとは思いますが、私は幼いboysにはまだ「お別れ」を体験させるには早いと思い、近くに住む義両親のお言葉に甘えて、2人はお泊りをさせていただいていました。

行事を一通り終え、フライトに向けて体調を整えるために1日休んだ上でアメリカに戻りました。

アメリカに帰ってきて思うこと

自分は何を一番大事にしたいのか

私は今回、一時帰国をして本当によかったと思っています。

急な一時帰国を許してくれた夫や家族等たくさんの方の協力なしではなし得なかった一時帰国でした(無事に行って帰ることができて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです)が、私は自分が下した決断に悔いはないです。

私が今回の決断をするにおいて、1番大事にしたことは「自分がどうしたいのか」という「自分の本音」。

実は少し前にアメリカ西海岸に住む友人も急に私と同じような状況になり、彼女の相談に乗っていたところでした。

彼女の相談に乗ったときは私は冷静に彼女を彼女の「本音」に導くことができたのですが、自分のことになるとなかなか上手く考えられない。

私たちの直近の海外生活中にすでに同じような決断を迫られた夫とも話し合いましたが、夫は「俺のこととお金のことは気にしないでいいから、claraがどうしたいのかで決めていいよ、その判断を俺は全力でサポートするから」と言ってくれました。

最終的に「私」にとっては、
・最後、祖父に一目会いたい
・こんなときだからこそ父をそばで支えたい、
の2点が私が一時帰国する決断に至る私の「本音」でした。

「boysを連れて帰る」という決断は、
・boysがいることで少しでも父やみんなを元気づけられるかもしれない
と思ったところが「本音」でした。

祖父への思い

祖父は昔、南極観測船・砕氷艦の艦長を務めていました。

私が生まれた頃には祖父は現役を引退していましたが、夏休みに一時帰国をしたときにお家に遊びに行くと「南極の氷」によくお茶を入れてもらっていたことを鮮明に覚えています。「南極の氷」はお茶の中で小さく「パチパチパチ」と音を立てながら溶けるのがすごく印象的でした。私たちが生まれるはるか昔、何万年も前に氷の中に閉じ込められた空気が溶け出ているあの繊細な音はとても神秘的で、今でも耳に残っています。

イギリスの現地校のSchool Project(自由研究のようなもの)で祖父を題材に書かせていただいたこともありました。課題はたしか「Family Biography」, 家族の中で誰か1人を選んでBiography(伝記)を書くのですが、「南極観測船の艦長」という経歴は誰一人と被ることもなく、自慢の祖父でした。一時帰国中に小さなメモ帳を手に、祖父をインタビューしたことも良い思い出です。

祖父の仕事柄、家族は国内を転々とし、父はなんと小学校時代は毎年違う小学校に通っていたと聞きました。そんな父は「船」に乗る祖父とは対照的に、「飛行機」で海外に行くことを夢見て、20年以上もの間、海外に住み、世界中を飛行機で飛び回って仕事をしていました。そんな父の娘であり、祖父の初孫である私もこうして家族で海外に住み、息子を海外で生み、育てています。

私が今、こうして海外に住むことができているのも祖父が「船に乗りたい」という夢を追いかけたおかげだと思っています。そしてその祖父を家庭で支えていた祖母の姿も今の私と重なります。

祖母は心の準備もできていないのに、突然「お別れ」をすることになった悲しさがとても大きかったです。ところが、祖父にはもう会えないという悲しさももちろんありますが、しっかりと自分で帰国する決断をし、「お別れ」することができた今の私は感謝の気持ちでいっぱいです。

「もしも」に備えて私たちができること

5月頭にアメリカ東海岸に旅立つ前にも私は実は何回か祖父に会いに行きました。

駐在のときは違い、「1年」と夫の留学期間も決まっていたので、きっと何事もないだろう、大丈夫だろうとは思っていたのも本当に束の間でした。

家族や親しい方との「お別れ」はあまり考えたいことではないかもしれませんが、もしかしたら突然訪れるかもしれません海外に住んでいるとなおさら何かがあったときにすぐに駆けつけられないことも事実です。

私は今回、一時帰国をすることができましたが、いろいろな事情で帰国が叶わない場合もあると思います。

海外生活中に身内に「もしも」のことがあるかもしれない、そういった「覚悟」を持つことは海外生活をする上でもとても大切であると、今の私は今まで以上に強く思います。

会えるうちに会いたいひとに会っておくこと、そしてその「もしも」が起こったとき、どのようにするのか、どのようにしたいのかを家族やパートナーと一度、しっかり話し合っておくことも大事なことかもしれません。そうすればきっと、私のように突然のパニックに陥らずにすむと思います。

最後にもう一度。
海外生活をする上での大事な「覚悟」、あなたはできていますか。


いかがでしたでしょうか。

いつもよりも長めになってしまいましたが、今回の記事は分割せず、1本の記事として書かせていただきました。

海外生活中を何事もなく終えることが1番だと思いますが、この「覚悟」を持っておくかおかないかで、その後の行動が全然違うと思います。

まだまだライターとしては駆け出しですが、もしよければ「スキ」や「フォロー」をいただけたら嬉しいです!

最後まで読んでいただきありがとうございます♡


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