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【海外生活】「何かを得るために何かを手放す」とはよく言うけれど

こんにちは、claraです。

今日は何かを「手放す」ことについて。
しばらく頭の中で考えていたことを言語化させてください。

「何かを得るために何かを手放す」

「何かを得るために何かを手放す」

ものすごく些細なことがきっかけで脳裏に浮かんだこの言葉、なぜだかここしばらくずっと頭を離れずにいます。

この言葉を聞いて私が連想するのは海外生活をする上で自分が「手放した」ものたち。

当時は何かを「得る」ために何かを「手放した」訳ではなかったけれど、結果的に海外生活をする中で、「手放した」もの以上の価値のものを私は今「得て」いる気がしています。

アメリカ西海岸で過ごした駐妻時代

手放したもの:「キャリア」

夫の駐在に帯同し、「駐妻」になるという選択をしたとき、私は当時の自分にとって一番大事なもの、自分のアイデンティティの一部でもあった「キャリア」を手放しました。

私は結婚も出産も周りと比べて一足先に経験しました。
社会人経験もわずか数年で産休育休に入り、そのまま退職。
自分の力で勝ち取った「これ」といった成果もなく、海外駐在に帯同。

育児の合間にSNSを眺め、友人や会社同期等の近況や活躍を見ては落ち込んで、気がついたら3つ年下の妹の方が私よりも社会人経験年数が長くなっていました。

渡米して数ヶ月で次男を妊娠したので、ホルモンの関係もあったかと思いますが、他人と自分を比べたところで良いことなんてないから、やめておけばいいものを… 渡米当初は本当にひどい落ち込みようでした。

得たもの:「自分」を「再定義」する時間

自分から「仕事」「キャリア」を取ると何が残るのか。
私の駐妻時代はそんなことを何度も何度も考えさせられる2年半でした。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらの記事はnote上の「私」の代名詞。たくさんの方に読んでいただき、共感していただけて大変光栄に思っております。

人生は「仕事」だけじゃない、「育児」だけでもない。
「好きなこと」をしているときこそ、人は輝けるのかもしれない。

そんな大事なことを教えてもらった気がします。

アメリカ東海岸で過ごす留妻時代(現在)

手放したもの①:「もの」への執着

留学に帯同するに際し、私たちはたくさんの「もの」を手放しました。

駐在中の荷物をすべて留学に持っていくことができなかったので、本当に必要なものだけを持って、アメリカ東海岸に引越してきました。

私や夫の分はさておき、boysのおもちゃも本もすべて持ってきてあげることができず、当時の私はパッキングしながらすごく悲しい気持ちになっていました。

私たちが手放した1番大きいものは、「車」でした。カリフォルニア生活における「車」は私にとって「自由」の象徴でした。

「車」があればどこへだって行ける、買い出しにだって簡単に行ける、後ろに子どもを乗せれば運転している間は「自分の時間」だってできる。

2人目を出産後から本格的に運転するようになってからは「車」はなくてはならない存在でした。そんな「自由」の象徴を手放すことは本当に惜しかったです。

手放したもの②: 「キャリア」への執着

駐妻時代は「キャリア」を手放しました。

ところが、お恥ずかしながら、私は東海岸に来る前に「キャリア」への執着を諦めきれていなかったように思います。「キャリア」は一旦手放してもどこか心の中で「いつか私だって…」と思っている自分がいました。

夫の大学院の合格通知を聞いても素直に喜べない自分がいて、妻として失格だな… と思い、自己嫌悪に陥ることもありました。

夫は結婚しても、子どもが1人生まれても、2人生まれてもキャリアは順調、さらに次の1年を経ると修士の学位まで手に入れる。

私たち家族が海外で生活することができていることはもちろん夫が日々頑張ってくれたおかげです。それを頭で分かっていながらも、同じようなポジションでキャリアをスタートしたはずなのに、私だけ1人置いてきぼりにされているような気がして悔しいやら悲しいやらよく分からない感情を抱いていました…。

留学に帯同して数ヶ月経った頃にこんな記事を書いています。

駐妻時代には自分が「置いてきぼり」だなんて思ったことがなかったので、内心びっくりしましたが、私と同じように直近で海外で駐妻をされた日本人の方も、他の留妻の方も少なからず全く同じように思っていたことを知り、少し気持ちが楽になりました。

留妻としての日々を過ごす中で、気がついたら私は「キャリア」への執着を少しずつ手放していました。

得たもの①:ものが「ない」からこその「工夫」

ものを手放したことを機に、ものが「ない」なりに色々と工夫をするようになりました。

たとえば、前述の「車」。

留学がはじまった当初は車がなくなったことで、だいぶ落ち込んでいた私でしたが、電車やバスを使うようになってから長男が駅名や路線を覚えるようになったり、zipcar(timesのようなカーシェアリングサービス)を使うようになったり、友達から「今costcoにいるんだけど、何かいる⁇」と聞いてもらえたり、また別の友達からは「車に乗せてあげるから一緒に◯◯に行こうよ」と誘われたり… 悪いことばかりではないと思えるように。

Boysもおもちゃや本の数は減ったけど、その分図書館に通うようになったり、あるもので工夫して遊ぶようになる姿を見たり、私も私でハンドミキサーがなくても夫のプロテインシェーカーでホイップクリームやメレンゲを作るようになったり笑、そこまでものが「ない」ことを気にする必要はなかったのかもと思うこともありました。

「あなたもboysが2人いるのね! しかもうちと年が同じ! 私たちマレーシアに帰るから冬服の出番はきっともうないと思うの、もしよかったら使って! 」と先輩家族にboysの冬服を譲っていただいたり、ホームベーカリーを中古で譲っていただいた方に「あなたのところboysがいるのよね? もしよかったらこのレゴもらってもらえない⁇」と大量のレゴをいただいたり…

今の私たちはものが「ない」分、「ある」ものを大切に使おうと思うようになりましたし、何かをいただいたときに今まで以上にありがたみを感じるようになった気がします。

「ミニマリスト」の考え方が共感される理由が少し分かったような気がします。

得たもの②: 何物にも変えがたい「経験」

何事も「経験」に勝るものはない。

「経験」は自分にしかできないことであり、同じ経験であっても一人一人感じることは違うと思います。

たとえ「仕事」はAIにとって代わられたとしても「経験」そして「感じる」ことだけは私たち人間にしかできない。

私はそんなことを最近よく思います。

たくさんの「経験」を積むことで、人としての厚みが増しますし、色々な「経験」をした分だけ、人は「共感」することができ、「優しく」なれると私は思っています。

今では、私1人では成し遂げられなかったくらいのたくさんのかけがえのない「経験」をさせてくれた夫には感謝の気持ちでいっぱいです。

海外生活を通して私が「得た」1番大切なもの

これは言わずもがな「人」です。

「人」は1人では生きてはいけない、とよく言うように私は本当にたくさんの方に支えられています。

実際駐妻としてはじめて渡米してから家族や友達と離れて心にぽっかり穴が開いたように感じることがありました。ところが、次第に色々な方と知り合い、友達ができると少しずつ少しずつそのぽっかりと開いた心の穴を埋めてくれたと感じます。

きっと日本に住んでいるだけでは出会うことがなかった自分とは違う世界線を生きる方と出会うことができたり、同じような「経験」を分かち合うことができたり…

特に今、私も夫も私たちよりも人生を何年か先を歩んでいる素敵な方々に囲まれています。私が出会った留妻(夫)たちを深く知れば知るほど、自分がこの先どう生きていきたいかを参考にしたい! と思う考え方や生き方を知ることができています。

昔は結婚も出産も早すぎたかな… と寂しい想いをすることが多かった私ですが、今となっては若くても数年先を歩む先輩方と同い年の子どもを育てていることで少し得をしているようにも思います。

Steve Jobs氏の「Connecting Dots(点と点は繋がる)」ではないけれど、人生に迷うことが多い私が早くライフイベントを迎えたのもこのためだったのかなとさえ思います。

運命の「巡り合わせ」って本当に不思議です。

おわりに

これから4月の新年度を皮切りにきっと新しく海外生活をはじめられる方がたくさんいらっしゃると思います。

それは新しい生活をはじめるために、あなたにとって大事なものを「手放す」タイミングでもあるかもしれません。その後しばらくは今の自分が「手放した」もの、「ない」ものにばかり目が行くかもしれません。

そんなときに「何かを手放した分だけ、何ならそれ以上の価値のある何かを得ることができる」ことを知っていただけたらと思います。

私は駐妻になる前に、留妻になる前に、そんな言葉をかけてくださる方がいたら、きっとあんなに悩まずに、悲しまずに済んだのではと今では思います。

この想いが少しでも多くの方に届きますように🤍


いかがでしたでしょうか。

まだまだライターとしては駆け出しですが、もしよければ「スキ」や「フォロー」をいただけたら嬉しいです!

最後まで読んでいただきありがとうございます♡


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