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この道のうた

鈴虫のなく、風の気配、夏の名残の風鈴の音。りんりんりんりん、となびいて響く。夜道をぽつんと歩いていると、自分の足音にしんと怯える。駅からの帰り道はいつもどこか足早になってしまう。同じ道を朝はなんだか安心感に包まれているような気分で通るのに、降り注ぐ朝陽のせいだろうか。

この夜の不安げな気配とはまるで違う。今は果たして家に無事辿り着けるのかすら心もとない。ゆるやかに登る坂道の先に果てなく広がる闇夜がにじんで、どこまでもどこまでもこの道が続いているかに思えるし、だいいち他人の影が怖い。

先月も近所で女子高生が若い男に襲われた。同じ電車から降りて同じような家路を辿る人がいるとそれだけで自然と身を構えてしまう。本当に誰か来たらもう絶対逃げられないと思っている。ヒールが纏足さながらに全力疾走する自由を予め奪っているし、それにこんな田舎の住宅街で夜更けに悲鳴が聞こえてきたら誰だって鍵をしっかり締めてしまうだろう。

秋のはじめは涼しい空気と共に心細さも連れてくるから更にいけない。自分の影が伸びたり縮んだりして、追いつけ追い越せそれだけを頼みにぽつんとひとり道を往く。そんなだから安心して夜遊びもできない。行きはよいよい、帰りは怖い。早く家に帰りたい。

おはようございます、声をかけられてはっとして、声の少年に笑顔を向ける。春先にここに戻ってきてから、登校中の小学生のグループと毎朝すれ違う。そのうちのひとりがいつの間にか挨拶してくれるようになった。

嬉しい。はじめはびっくりしたけれど、本当に嬉しかった。朝に清しい、と感じることを奇跡だと思う。ぎゅうぎゅうに箱詰めされた満員電車の中、誰もが朝からうんざりだ全く。

ところが私はウキウキした気持ちを湛えて会社へ向かう。名前も知らぬ人とただ一瞬すれ違いざまにひと言交すだけなのに、おはようの威力は凄い。運の強さというものは案外こういうところにあるものかもしれない、なんてことすら思うほどに、朝の始まりかたはその1日に物凄く作用する。

毎朝ではないけれど、良く晴れた日なんかには家の前でひなたぼっこしている老人ともすれ違う。ひどく無表情だけれど呆けているというわけではなく、むしろしっかり意思を持っている、という面差しだと思う、深い皺が褐色の肌にしっかり刻まれていて、挨拶をすると微かに片眉をあげて応えてくれる。赤いキャップを被り、いつも同じ場所で電動車椅子に腰掛けている人。

初めておはようございますと声をかけた時、一瞬驚きの色が浮かんだが、すぐに返事が返ってきた。まんざらでもない、というような感じだった。それからはすれ違いざまに私から声を発するのがきまりみたいになっていき、彼から挨拶するということはなかった。けれど坂の上で少年からおはようをもらい、坂の下で老人に受け渡すというリズムがとても楽しかったので、私はむしろそれでよかった。

ランドセルを背にした子供たちが連れだって私の横をすり抜ける。そのうちひとりの勢いのある声がぱんと弾けて飛んでくる。

他の子供たちはまねすることもないし、だからといって無関心というわけでもなくて、少年が挨拶するさまを遠巻きに見つめている。その視線を彼は本当にきれいに受けとめていると思う、無視してるわけでも、気にしているふうでもなく、その佇まいからは朝の全ての流れの中で挨拶するのがごく自然な動作だと誰もが解るような感じがした。

それはまるで太陽が毎朝昇ってくるかのような自然さと強さを持って存在していたので、他の子供にはきっと眩しかったんだと思う。

昔からおはようは日課だった。
自分が自覚して挨拶するようになったきっかけは、みずみずしいきゅうりとトマトの強烈な赤い色。こんにちはやただいま、行ってきますを、自分がいつから他人に向けていたのかはもう思い出せないけれど、それまでも毎日顔を合わせる人がいればなんとなく挨拶していたのだと思う。

小学校に住み込みで働いていた用務員夫婦とか、近所のクリーニング屋のおばちゃんとか、プールの監視員のお兄さんとか、狭い行動範囲の中で必ず出会う人たち。家の2軒向こうの空き地で小さな菜園を持っていたあげりんのおじいちゃんもそう。

かんばやし商店という駄菓子屋の、私たちはどんな字を書くのか知らないままあげりんあげりんと呼んでいたが上林と書くことをずいぶん大人になってから知った、よく500円持って遠足のおやつを買いに行ったその店のご主人のことだ。私の家族の中では畑のおじいちゃんで通っていてちょうど12、3歳の頃には毎日のように顔を合わせていた。

私は夕食の支度をしている母親に今日あった出来事を詳細に話すのが大好きだった。昨日みなみちゃんとケンカしてもう一緒に帰らないって云われちゃった。だから今日ね、まつよと一緒に帰ってきたの。友達に避けられた淋しさや明日からのことを思うと気が重たくてしょうがなかった。

もう学校にも行きたくない。そんな心の裡は悟られたくなくて、私は一生懸命キッチンの横で面白おかしく今日の顛末を語ってみせた。殊更明るくただいまと云う。いつもと違う友達と帰るちぐはぐな気持ち。

仲の良かった友達に突然絶交を云い渡され、帰る方向が同じ他の子と初めて一緒に下校した日にも、私はいつもみたいに畑のおじいちゃんにただいまを云った。するとこれ持っていきなさい、と鮮やかな色彩の野菜を私にくれた。瑞々しいトマトときゅうり。不思議なことにぎゅんと元気が湧いてきたのだった。

恰も偶然を装って訪れる幸福な必然。

隣町の高校に進学すると同時に電車通いが始まって、私はこの道を行き来するようになった。行き帰りの駅の改札で私はいつも元気よく挨拶をした。
半年もするとどの駅員とも短い会話を交せるほどになり、大学受験の日にはがんばれと励ましてくれた人もいた。

地元に帰ってきて驚いたのは、7年経った今も変わらずに改札口にいるひとりの駅員を見付けたことで、自動改札を通る乗客の流れを見ているその男の姿を私はしんとした気持で見つめた。懐かしさではなかった。あの人にも4年毎朝おはようと云って学校に通った。

電車通学を始めた頃からおかえり、といつも迎えてくれた顔。

でも昔みたいに、心にまかせて改札口で駅員に明るくおはようなんて云ったりしない。むしろ駅員室から一番遠いほうの自動改札機に定期券を滑り込ませて慌ててホームに向かう。毎朝坂を下って改札を通る時それまでの無邪気さに薄い膜を張りめぐらして私はそれを無邪気らしさに変化させる。

それはそれはきれいに化粧を施すような感覚で。薄い膜の内側でこっそりとウキウキしたりにそにそしたりするけれど、さっき坂道であの二人から貰った豊かさをそのまま素直に分かち合うことはできない。

男はかつて私と寝るつもりがあった。高校生の頃からずっと男の視線で私を観ていたと告げられたことがある。これまでにも何人かとそんな風にセックスをしたんだよと云って同じように誘われたのだった。

その時もただいま、と私は云ったと思う。大学三年生の夏休みに久しぶりに実家に帰って来た日のことが俄かに蘇った。一人暮らしを始めてからほとんど帰ることがなかったから再会は本当に懐かしい感じがして、私たちは改札の前で少し立ち話をした。

お喋りしていた時間はとても楽しかった記憶がある。はっきりとは思い出せないけれど、たぶん、学生生活や、打ち込んでいたことについて。長らく会っていなかった親戚に自分の成長を知らせるような、なんだかくすぐったい気持がした。私は男の気持に全く気付いていなかった。

誰にでも同じ気持ちで向かって行ったとして、必ずしも、その思いの通りに人は受け取るわけじゃないのだ、と私は至極シンプルな事実をその時識った。思う通りを受け取るには、おそらく、受け取る方にもっと確かな思い遣りが必要となる。

私の幼くて世間知らずな感情が男の欲望によって絡めとられようとしたとき、自分はこれから一体世の中の多様性をどのように受け容れていくのだろうということがふっと頭をよぎった。呑み込まれないように、共存するには。或いは自分の思いが相手に共感されるためには?

男に思いを打ち明けられた明くる日はいつもと変わらない笑顔で改札を抜けたけれど、肩の力が沢山入りすぎて電車に乗った後に終りを告げた何かについて思う、変わらないでい続けるために出来ることは変わり続けることなんだと、そこはかとなく。

(2006年頃に書いたものの断章。)

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あやめ/ すこやかに咲く
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