なくなってしまった恩返しの行き場所
少し前の私は、ただただ全てが面倒くさくて、明日死のうが、隕石が落ちてきて地球が滅亡しようが、正直どうでもよかった。
それでもここ何年間かは、突き詰めたいと思える職業に就けて、仕事をいただけるようになって、大切にしたい出会いがたくさんあって、「あ、なんか人生って悪くないかも」と思う瞬間が増えてきて。
それなりに楽しんだり、落ち込んだり、頑張ろうって思ったり、もう嫌だって思ったりしながら生きていた。
そんなとき、ある人が亡くなったという知らせを、2回聞いた。
1回目は、その人(Mさん)と共通の知り合いの友人と久しぶりに電話する流れになったとき。
「僕も人から聞いた話だからよく分かってないんだけど、どうやら数年前にMさんが亡くなったらしいんだ」と教えてくれた。
その、Mさんは、海外でちょっとしたトラブルがあって途方に暮れていた私に、手を差し伸べてくれた人だった。
私のくだらない冗談をいつも「がははは」と笑ってくれて、『ジョジョの奇妙な冒険』の話になると周りが見えなくなるまで語り出す人で、なぜそう思うかは分からないけれど、そんなに多くの時間を一緒に過ごしたわけじゃないのに、きっとずっと私の味方で居てくれた人で、私もその人の味方でいたいと思った人だ。
繊細で不器用でまっすぐで正義感が強くて。でも、どこか闇を抱えていたのはなんとなく分かっていた。多くは語ってくれなかったけど、ある日を境に日本を出て、それ以来帰国していないと聞いたから。
だけど、電話で「亡くなったらしい」という情報を聞いても、全く現実味がなかった。「信じられない、信じたくない」っていう感じではなくて、もっとふわふわとしている感じ。「亡くなった」というのは、何かの比喩表現だろう、と。だから私の中では何も変わっていなかった。
それから数ヶ月経った頃、Tさんと久しぶりにご飯を食べることになった。(Tさんも共通の知り合い)
「あのさ……Aさんから『Mくんが亡くなった』って聞いたんだよね」とTさんが言った。それが2回目。
Aさんは、Mさんと近い間柄で、絶対に冗談なんて言わない人。
あ…………本当だったんだ。
初めて知ったときからTさんに改めて聞かされるまでの間ずっと、全然腑になんて落ちてなかったけど、どうやら本当にあの人はこの世にもういないっぽい。
最後に会ったのが5年前。私がそれ以降また会いに行けば、連絡をしていれば、状況が変わっていたなんてことはなくて。
傍から見ると、そんな決して近くはない距離感だったかもしれないけれど、それでも絶対にあの人は、いや、私の一方通行でいい、私はあの人の味方だった。
たとえ周りが「あの人は悪い人だ」と言っていたとしても、私にとっては自分の目で見たもの、感じたことが事実でしかなくて、私だけの物差しで付き合いたい人だった。
人として大好きな人。尊敬している人。私もあの人みたいに、何の縁もない私を助けてくれたあの日みたいに、さっき出会ったような人にも見返りなく優しさを持てる人になりたかった。ずっとそう思いながら、そう思えるから、なんとか私はしんどい時期でも惰性で生きてきたのに。とにかく生きていれば、笑って再会できる日が来ると思っていたから。それが叶う日には、おこがましいかもしれないけれど、もらった恩を返したかった。そんな自分にいつかなりたかった。
いろんなことが間に合わなかったのかもしれない。でも、それでも、私が少し行動したところで、あの人を救えたと思うなんて、それこそ勘違いで。
そもそも、なぜそういうことになってしまったのか、噂話はいろいろ聞いたけれど、それはどうでもよかった。どうしたって真実は分からないし、私の中であの人はすでに確立していたから、どんなことを聞いてもMさんに対する気持ちは何も変わらない。
Tさんが言った。
「出てくれるんじゃないかな?って、今でもMくんにたまに電話しちゃうんだよね」
私たちにとって、あの人は生きている。心の中でとかそういう次元じゃなくて、現実逃避でもなんでもなくて、今一緒にいないだけで普通にいる。
だって、少なくとも最初の友人に電話で話を聞くまでの数年間、私はたまにMさんを思い出しながら、元気で過ごしていることを願っていたんだから。
焼肉を食べながら、TさんがMさんにラインで電話を掛けた。白い煙の中で、あの独特な、ちょっとドキドキする呼び出し音が鳴り響く。
でも途中でぷつりと切れてしまった。
「やっぱり出ないか」
悲しいっていう感情でもないし、泣きそうとかにもならない。「最近どうしてるのかな?」って電話したけど、出なかった。それだけ。
Tさんとの再会からも1年が経った。
やっぱりたまにMさんを思い出すし、どこかで生きていると思ってるからか、ふと思い出しては自然と「幸せに過ごしていたらいいな、いや、たとえ幸せじゃなかったとしても健康でいてくれたら」と願っている。
Mさんがどういう状況で、どういう気持ちで、何を抱えていたのか。私にはこの先、一生分からない。
疲れちゃったのかな。張り詰めていた糸が切れてしまった感覚なのかな。そこを想像しても、そこに思いを馳せても意味がない気がしてしまう。
会いたかったな。また、いつか会えるかな。もしかしたら、ずっとずっと先の未来、Mさんがいないことを実感するときが来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。
だけど、もらった恩を私は抱えたまま、直接返すことができなくなってしまったのは事実なんだと思う。なんかそれだけは、その後悔だけは、ずしんと重くのしかかっている気がするから。
一人で海外に行って、最初は何の繋がりもなかった私。Mさんと出会って、他の友人とみんなでピザを食べた日の夜のことを今でも鮮明に思い出せる。
「ジャンキーなものを食べるときは飲み物だってコーラじゃなきゃダメなんだよ!お茶にして、少しでもヘルシーにしようとするなよ!」って、私に笑いながら言ってきて。わいわいとカードゲームしながら、窓から見える景色を見た瞬間、はっきりと思った。
「幸せって、今のことをいうんだな」って。
私がMさんのいた街を離れるとき、なぜか分からないけれど「おめでとう」と言ってくれた。またいつでも遊びに来るんだよ、って。
日本に帰る直前、絶対にMさんにお礼を伝えに行かなきゃと思って会いに行った。階段で笑ってAさんと一緒に手を振ってくれた。「またね」って。また会えるから、しんみりする必要もないでしょ、と。私は涙もろいから寂しくてうるうるしてたけど、その思いは一緒だった。
あの人の分も生きる、みたいなことは言いたくないんだけど、でも、なんとなく生きていたら、そんなに悪くなかったよって、いつの日か……。
Mさんの今いる場所が、ここより少しでも心地良い空間でありますように。そして、いつかもらった恩をどこかで何倍かにして返せたらいいな。そのために私は今日もなんとなく生きてる。
もしそのときが来たら「そんな大したこと、俺してないじゃん」って言ってくれるのかもしれないけど。