2006年、自殺未遂。
2006年、私はいじめで自殺未遂をして強制入院した。
初めて精神科の薬を投与したのは、14歳。それは30歳になった今でも続いている。
いじめの内容はシンプルだけど、今の時代とはまた違う内容だった。
当時、無料HPが作れたころ。ガラケーやPCで、誰でも簡単に作ることができた。
自己紹介・リアタイ・DIARY・アルバム・リンク
こういうのが割と簡単に作れた時代だった。
そんな中、私が標的になってしまった。
最初は給食が回ってこない。
シチューの中にはチョークの粉。
ジャージ登校、制服登校関わらず、背中に落書き。
39対1で、輪ゴム飛ばし。
そしてインターネットに書かれたのは
「○○はレズwww」
「キモいwww」
「いるだけでウザい」
「話しかけるな」
そんな言葉たちが飛び交う。
クズみたいな言葉たち。
私は家庭事情も最悪で、言えるわけがなかった。
だから私は自傷行為に走る。
ガード付きのカミソリで、手首を切る。
それしか私はストレスの発散方法がなかったのだ。
その頃から私は「熱」と言って休むことが多くなった。
本当に微熱が出たことに私はびっくりした。
そして次に摂食障害になった。
食べることが出来ず、飲み物しか摂取できない。
どんどん痩せ始める身体。
そして未遂をする日、2006年10月12日だった。今でも覚えている。
ポール(洗濯物を干すもの)に母親のベルトを手に取り、高さは余裕で私の身長を超えていた。
頭の中は
「楽になりたい」
その瞬間、母親に見つかった。
流石の毒親もびっくりしすぎて、そして私の手首を見て問いかける。
「いじめられている」
母親の大きな車に揺られ、総合病院に行った。
まずは内科に受診したが、拒否をされて精神科に回された。
「内容が内容なので、今すぐ強制入院です」
逃げられる安心感、そして孤独感がすごかった。
まず体重測定をしたが、164センチに37キロだった。
こんなに精神的にくるものがあったとは、自覚はあったし身体も正直だったが、麻痺していた。
痩せたい訳でもない、だけど食べられない。
生きている意味なんて見いだせなかった。
これがいじめの内容だった。
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