最後の最期は笑っていたい。前編
私はきっと早く死ぬ気がする。
親不孝ものだから。
だから戸籍から外れ、所謂「孤児」として生きている。
というより、猛烈な毒親だった。
我が子に自分の便をつけて、嫌がっている姿を笑うだろうか?
毎日飛び交うフライパン、泣く母親。
正直、幼少期はこの二つしか都合よく思い出せない。
脳が勝手に消してくれたのか、わからないけれど。
小学生の記憶も「嫌いだから話しかけないで」と手紙をもらったことしか覚えていない。
中学生は全国ニュースになるほどの自殺未遂をした。どれもイジメだった。
ネットが普及し始め、自分で無料HPが作れる時代で、私はこう書かれた。
「レズビアンな○○(私の苗字)気持ち悪い〜www」
などの、所謂「誹謗中傷」がひどかった。
それで私は自殺未遂をした。
その時は164センチで37キロだった。
正直、死にたかった。
死ぬことしか、頭に入ってなかった。
リストカットの傷も増えていった。
情けなかった。
だからこそ私は、高校は定時制を選んだ。
「4年間通うから、お願いします。」
許可が降りて、定時制の高校へ行った。新入生代表だった。
ここから私は堕ちて行った。
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