やっとこさ分娩方法確定!と、入院前に食べまくる@大阪日赤病院 予定帝王切開

※転院の経緯は後回しにして、出産入院の話を先に進めます

詳しくはまた、転院の経緯編で書きたいと思いますが、大阪日赤病院から転院受け入れOKと回答があり、出産予定だった産院からの紹介で、日赤へ。
胎盤の位置が上がれば、元の病院に戻れるかもとか、経膣分娩出来るかもと言われ、祈ったり四つん這いになったり頑張ったのですが、頑固な胎盤はびくともせず…orz
元の病院に戻るという話はされなくなり、気がつけば日赤で産む流れになっていました。

そして臨月に入った次の日。ここから検診が毎週になります。

私は出血量が多いと想定されたため、あらかじめ自分の血を抜いて取っておく「貯血」を行う事になり、検診の前に抜いて貰いました。
貯血は産婦人科外来とは全く違うエリアの、ベッドが沢山並んでいる部屋で行われます。
ベッドに横になり、NSTをお腹に付けてモニタリングしながら実施。
普段あまり妊婦さんが来ないのか、お部屋の看護師さん達も「妊婦さんだ!」と盛り上がって下さり(笑)
しかも、貯血の針は太いため、時々刺した瞬間に血が散る、今日真っ白な服で来ているから、万が一に備えて服をカバーしておきますねと、ペーパータオルで覆って下さいました。これが正解で、かなり盛大に血が散ったにもかかわらず、服には全くかかりませんでした。
(ぶしゃー!って感じだったので、ふなっしーっぽいなとか思ってしまいました…)

そしてビックリしたのが、抜いた血の量を計るのが、アナログな台所用の秤!
デジタル秤ですらなく、昔ながらの針が時計の様にくるっと回るタイプです。
血が貯まるバッグを上に乗せ、重さで貯まり具合を確認されており、こんなアナログで大丈夫なん!?と驚いたのですが、後に看護師の母に聞いたところ、そういうもんらしいです。へー。

ちなみに、最初にルーチンの採尿と体重・血圧測定が有ったので、それに備えて絶食で来ていたのですが、少し早めに来て採血等を済ませてから、近所の豚カツ屋さん「たわら」で腹ごしらえしておきました。
この頃になると、子宮が大きくなって、内臓が押しやられており、完食するのにも一苦労。
1ヶ月検診の後にも行ったのですが、その時はぺろっと食べれたので、やっぱり胃が圧迫されていたんでしょうね。
という訳で、ブタブタした血が採れたかもしれません(なんじゃそりゃ。)

その後MRIの撮影。
胎盤位置が低いと、癒着している可能性があり、癒着は分娩時の大出血に繋がるので、事前に有無を確認しておく事は大切です。
1階の一番奥に部屋があり、大きなお腹でしたが、仰向けで10分ほどかかりました。
噂に聞いていた通りの爆音。また、体を動かしてはいけないので、最後の方は少ししんどかったですね。

(MRIというと、世にも奇妙な物語の「箱」という話を思い出すのですが…まさか私が撮影してから三ヶ月もたたずに…詳しくは検索してみて下さい)

そしていよいよ?運命の検診。
やっぱり胎盤は上がっておらず、帝王切開にしましょうと言われてしまいました。
諸事情により、出来るだけ出産が遅くなって欲しかったので、最後まで、経膣分娩になります様にと祈っていたのもあり、先生にもどうしても無理かと聞いた所、他の先生にも相談して下さったのですが、大阪日赤で経膣にトライする位置より子宮口に近いので、やめときましょうとのご意見。
まぁしゃーない、上の子は経膣で産んでるし、色々体験できるってことでと、気持ちを切り替え。

ただ先生によると、再来週の出産になるが、近々過ぎてオペの都合がつかないので、また調整して連絡しますとの事。
ギリギリまでいろんな事決まらんな~と思ったのですが、先生も最後まで経膣に出来ないかと粘って下さった故なので、有難い事でしたね。
まぁ、先生が経膣に粘られたのは、その方が出血量が少なく済むケースが多いためだったのですが。

なお、結果的にここで帝王切開の判断をして開腹したのは正解でした。
もしも経膣にトライしていたら、最悪私は出血多量で死んでいた可能性が少なからず有ったと、オペの結果判明した為です…

そして検診の後に助産師さんから、入院の説明がありました。
普通はもっと早くに分娩方法が決まるため、こんなにギリギリで説明を受ける人はあまりないようで、説明漏れなども有ったのですが、分からない事は、次の週の検診の時に、外来にいらっしゃる助産師さんを捕まえてあれこれ聞きました。
ただ、出産入院の手引きの内容が古いままなので、新しくして貰えたら良いのかなと思います。例えば、布オムツを使うとありましたが、紙おむつに変わっていたり…沢山刷って在庫過多なのかもしれませんが、異なっている所については、訂正紙入れて欲しいですね。

大阪日赤ではオペ前日の昼前から入院となり、予定帝王切開では、入院日から数えて基本8日間入院とのことでした(水曜日に入院したら、次の週の水曜日に退院)。そして前日の午後に、家族同伴で手術に関する事前の説明と同意が行われるので、家族に予定を空けておいて貰ってと言われました。これ、執刀医の先生の前日のお仕事が終わってからになるので、何時からになるか、はっきりとは言えないのだそうです。めんどいけどしょうがない…

そして次の日にはオペ日の連絡をしますと言われたものの、全く連絡が来ず。。。
こちらは手伝いに来て貰う親の有休申請のデッドラインギリギリだったため、しびれを切らして電話したところ、まだ決まったとの連絡が来ていないと言われ、主治医の先生に聞いて貰ったところ、そうだったらいいな~と思っていた日の次の日でとのことでした。そっかー残念っ!て思いましたが(いわゆる◯◯の日が素敵な日だったからという軽い理由です)、後々、母である私の誕生日の真裏であることが分かり、やっぱこの日で良かった!ってなりましたね。単純。

さて、いよいよ分娩の最遅日程が確定し、予想よりぐんと早まった事で、夫は手伝いの為の有休のやりくりに慌てる事になりました。
うちの場合は、親は私が入院中に上の子の世話をするために仕事を休んで来てくれる事にしており、退院後は夫が仕事を休む事にしていました。
また、今回夫は育休を取得すると決めており、給料の締め日等の理由から、予定日からちょうど1ヶ月半後位からスタート予定で、それまでは有休で出来るだけ休んで、時々引き継ぎも兼ねて出社の予定でしたが、出産が早くなると、それだけ有休が必要になります。
上の子の出産が予定日より5日遅れており、今回も自然分娩なら遅めかなと話していたこともあり、当初の想定より早まった事で、マジかってなってましたが、まぁ経産婦だし、早めに産気付く可能性だってあった訳で、ちょっと甘かったかなと思います。
幸い、退院後すぐに長い連休が2回あったので、その分有休を浮かすことが出来、お盆は上の子オンリーで私の実家で過ごさせて貰い、その間は私は産後ケア、夫は出勤も出来ました。

私は私で、やりたいこと前倒しとばかりに、近隣の美味しいランチや、知人友人とのランチを楽しみ、いよいよ持っていく荷物も、出産に備えた内容にまとめだしました。
これが案外時間がかかり、私の中で、予定より早めに産気付くのではと妙に胸がざわざわして、毎日焦っていた記憶があります。

が、旨いもん食べるのははずせず。キルフェボンおいしかった。買ってきた三個は全て一人占め…w

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スパイスカレーにもはまっちゃいました。

1枚目は、スパイスカレーにはまるきっかけになった、大阪は四天王寺の虹の仏の出汁キーマ。トッピングも豊富で、私の大好きなココナッツも。

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2枚目はコロンビア8の上本町店。脱サラされた店長と経歴が似すぎており、仲良くなりすぎて、常連客になりました。

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3枚目は空堀商店街の旧ヤム邸。毎日作り手が代わり、メニューも変わります。レジで店員さんが、出産頑張って下さいねと激励下さりました。有難うございます!

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そして生クリーム大好きなら外せないパンケーキ!産後は授乳の関係でクリーム系は避けることになりそうだったので(実際は全く乳腺が詰まらず、パクパク食べてますが)、思い残さない様にと食べましたが、この前に海鮮丼食べてたから、完食出来ず…無念。

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直前に食べた海鮮丼がこちらでござんす。海の宝箱みたいなネーミングで、大好きなウニといくらがどっさり。

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本当は、食べ放題系に行きたかったのですが、コロナの関係でほとんど無くなってしまい、行けなかったのが残念です(ここに挙げた以上に食うとるのに、どの口が言う…)

追記:産後体重が後少しどうしても戻りませんが、産前からの爆食いが直らず、食べてばかりいます…。

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