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レンズの色は変えられる♡

こんばんは⭐︎アヤ@noteです。
もーぅ本当今夜は寒かったーーー
今年はインフルは少ないようだけど
お風邪など召されませぬよう…♡♡

さて、たとえばここにある1枚の写真。
当然のことながらこの写真は、
善意も悪意もなく
誰かを喜ばせたいとか悲しませたいとかなく、
ただ、ここに「在る」だけ。

ここに1枚の写真がある、
というひとつの「事象」があるだけ。

だけど見るひとによってフォーカスする部分や
感じ方やその色付けは大いに違うのだろうと思う。
赤ワインの銘柄は何かなってひとがいたり、レーズンに目が行くひと、奥のウィスキーボトルに注目するひと、カウンターのデザイン柄が気になるひと、クローズアップされるところや受け取る情報って、本当に人それぞれ、十人十色だと思うんです。何十年前の私と現在の私もまた同じひとりの人間だけど、そのフェーズによっていまは見るとこが全然違う。この写真は、なんの意図もなくここにあるだけで、いわばニュートラルな状態。

でも、見る人の視点によっていかようにも見え方があるんですよね。どんな環境でどんな立場でどんな状況にあるひとかで、フィルター、色メガネのレンズの色って違うと思います。

だから、あるひとつの「事象」も捉え方は人それぞれ。リアルな生活では、できるだけそのことを意識して、ニュートラル、クリアなレンズで世界を見るようにしたいと思っています。。
とは言っても何かしらのフィルターがかかってしまって、中庸ってホントに神レベル…‼︎だから、
共感できるひとがいてくるれるのは嬉しいけど、共感できないこともその世界があることだけは知っておいて、自分の見方も何がしかの色がついてるのだろうと相手の意を汲んで見ることって、やさしい世界への第1歩なのかな…と思っています。

それって、言葉も同じ。ニュートラルな言葉、単語、ワード…なんだけれど、その言葉への印象、イメージ、捉え方、ひとによって感じることがまったく違ったりするんですよね。特に、自分らしさ、とか、ありのまま、とか、本当の自分、とか、個性やキャラクター…そういう言葉だとか、ことわざひとつ、誰かの名言ひとつとっても、そのひとの経験だったり環境だったり、過去に持ったイメージだったりで、自分が反応するポイントってきっと異なる。顔を見て話したり、気心の知れた間柄だったりすれば、多少の言葉のあやだったりニュアンスで通じることもあるけど、顔も分からず話の流れもなく、切り取りで、そこだけ不特定多数の目にとまる可能性のあるSNSはちょっと時々ことば選びに迷うこともあります。

昔、仲間うちで「知足」の話になったとき。いまとてもありがたい日常なのに、もっともっと…となってしまっていた自分にとって、足るを知る、って、ああそうか、そうだな、ってなんだか胸に沁み入る言葉だった。でも、ある友達が、「え?なんで?私は全然わかんない。足るを知って満足なんかしてたら、そこで止まってそこで終わっちゃうじゃん‼︎アタシはそんなのやだ‼︎」って言って、それはそれで言わんとすることもわかって、だな笑ってなった。またある時は、「現状維持は衰退だ」っていう言葉を信念にストイックに努力する同僚がいる一方、上司から、成長しろ前進しろ変われって言われて、変われ変われ進め進め限界ー!自分は自分なんだょ!ってなってついにキレてるコもいて、それもまたうんうんってなった。たぶん、千利休もウォルトディズニーも、そういうこと伝えたかったわけではないと思うんだけど、、それが誰かの今にとっては違和感…ってこと、逆に苦しいってこと、あるんだよね。

自分の経験でも然り。…気がつけば〇〇さんの奥さん、〇〇ちゃんママとしか呼ばれなくなって、自分が誰だか忘れそう、自分らしさを取り戻したいっていうひとたちに、わかるわかる、応援したいって思ってエールを贈れば、反対側で、私らしいって何だょ、勝手にわかったようなこと言われるとムカつくって人もいる。うんうん、そうだね。それもわかる。小学生の時すごく個性的で皆にはない人を惹きつける力のあるコがいて、皆大好きだったけど、先生はそういうコを問題児とか協調性がないとかとにかく皆に合わせなさい、そこ変えなさい、みたいなクラスをまーるく形を整えることが大事で、、だからそのままでいいじゃん、そのままが好きだょ、ってクラスメイトだった私たちは言い続けてきて。その子もその個性を潰すことなく、自分で宣言してた通りの魅力的な大人になって、私たちはそのことが嬉しいし愛しくて。大人になって色々なことが皆どんどん変わっていくなか、その変わらない魅力の部分がお互いに心地よくて楽しくて。でも限られた文字数のなかで、その気持ちそのワードだけを残してしまうと、反対側に、変わらないとか言われたくない、キャラクターとか個性とか決めつけられたくない、ありのままとか何っていうコもいるわけで。
そういう話じゃなかったんだけど、発信するってそういうこともなくはないんですよね。。

騙し絵ってありますよね?ひとによって、見え方、見えるもの、フォーカスされるものが違うあの不思議な絵。あれみたいなものかなって思うんです。発信する以上、そうか、そうなるのねそう見えるのねってこともあります。
いまの自分だから思うこと、いまの自分にはピンと来ないこと、、ってきっとあると思うんです。
言い方や伝え方って時に難しいけど、まだまだ鍛錬だなと感じます。

そして
もし本当に変わりたいのなら
変えられるのは自分だけだし
誰かに与えられたと思ってた
その色メガネ、レンズ、フィルター、
変えてみたらきっと世界の見え方変わる。

できればクリアなレンズを磨きたい〜
心地よく自由に楽しめたら幸せです♡

Love from aya

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