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私たちはどこで生まれどこへゆくのか: マルチレイシャルとして生きること

「どこの国の方なのですか?」

これまでの人生で500回は言われた言葉。こういうときになんで言えばいいのか。

「日本生まれの日本育ちです。」
これは間違いない事実。

でも何人なのかと聞かれるとちょっと迷う。
国籍は日本だし他の国の人にはなれないけど、別に日本人でなくてもいいのかもしれない。

何にもなれない私たち。
黒人と白人とアジア人のミックスである私は常にふわふわした存在である。

私たちはハーフではない。日本ではハーフという存在は人種化され、既存の人種アイデンティティを持つことを否定される。
嫌な世の中だなと思いつつも、私は新人種にもなれていない。

これは長い歴史の中で人々が求めてきた人種化されていない混血としての存在が認められているのか、それとも未知の宇宙人が誕生しただけなのか。

きっと後者なのだろう。

けれどもそれが悪いことなのかはあまりわからない。私たちはまだラベリングされていない、目には見えない宇宙人でしかない。

私は宇宙人である自分が好きなんだと思う。可視化されて新人種になるよりも宇宙人のままでいる方がよっぽど楽だ。
23年間生きて、アフロフューチャリズムといいSFBLといい、マイノリティを宇宙人に仕立て上げたくなる感情が理解できるようになってきた。

宇宙人として地球を彷徨っていると、人間にしか入ることのできない領域を見つけることがある。

小学校の同級生が築き上げたお城のパーティーに入ることができなかったり(人間らしさによって階級が決まっていた)、仕事の面接で戸惑った顔をされたり(未知との遭遇みたいな)。

けれど、宇宙船の乗車券を持っているのは私たちしかいない。これは完全に特権である。
今いるコミュニティから簡単に抜け出して、別の世界へ飛び込むことができる。私が宇宙人だから急にいなくなってもみんな見て見ぬ振りをしてくれる。

これってすごく幸せなことじゃないか。
どこにも深く繋がることができない代わりに、死ぬまで冒険し続ける権利を与えられて生まれた。

だからずっとふわふわ宇宙を漂ってみようと思う。面白い星を見つけたらしばらく滞在してみたり。
そんな生き方ができるといいな。

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