LGBTQ事情#11 私は化粧をしない。
私は化粧をしない。しないことにしたのはごく最近。今までは、したくないけれど、しなくちゃならないと思っていた。
化粧をしないと相手に対して失礼に当たるらしい……。高校を卒業し、社会に出る時に読んだマナーの本に書いてあった。「女なんだから化粧ぐらいしろよ。」と言われることもあった。世間になじむために、鏡の前でヘタクソな化粧をする。ブッサイクだな私。でも失礼じゃないならいい。そう自分に言い聞かせてきた。マスカラがなくなって、買い足す時は最悪の気分。なんとなく交通違反の罰金を払う時の気持ちに似ている。「交通違反をしてごめんなさい」と、「ありのままでいてごめんなさい」は同じ、そんな感じ。
「メイクは女の武器!メイクでなりたい私になる!」コンビニに並ぶキラキラした雑誌のキャッチフレーズを見て笑ってしまう。私にとっては逆だ。「メイクは私を殺す武器。メイクでなりたくない私になる。」だけど、その雑誌を手に取る女の子たちはとてもキレイ。化粧もよく似合っている。それがうらやましかった。私だって、キレイでいたい。コンビニのトイレの鏡で自分の顔を見ると、にじんだマスカラのせいでよりいっそうブッサイク。それは拭っても変わらない。
ある時、女優仲間の真咲先輩が言った。
「キレイって、清潔かどうかでしょ?」
脳天をぶち抜かれた気がした。文字だけ見れば当たり前のことだ。どうして気づかなかったんだろう。私の中でずれていた、キレイのピントがばっちり合った。キレイの定義は人それぞれ。造形的なキレイさ、流行や異性を意識したキレイさもあるだろう。だけど私の目指すキレイは、清潔かどうかだ。そこに男女の垣根はない。しっくりきた。
朝起きたら、シャワーを浴びて、目ヤニもヨダレも寝癖も全部キレイに洗い流す。私の目指す外見的なキレイはこれで完成。真咲先輩の言葉で化粧問題はすっかり片付いた。
持っていた化粧道具は全部捨てた。だけど、中学生の頃から使っているボロボロの小さな鏡は捨てなかった。そこに写る私は、もうブサイクじゃなかったから。鏡はどれだけブスかを確認する道具じゃない。今日もキレイだと口角を上げるための道具。「女なんだから化粧しろよ。」と、もう言わせない内面的なキレイさを、これから見つけたい。ボロボロの鏡を相棒に。
山陰中央新報
2021年4月6日火曜日 掲載分
写真 いしとびさおり