LGBTQ事情#16 お姑さんがくれたエプロン。
私は結婚をして、夫のいる広島に引っ越した。しかし、宮島のシカに会いたいだとか、カープの試合をみたいだとか、そんな楽しみを思い描く間もなく、たった10か月で離婚に至った。離婚の理由は一言では言えない。いろんなことがあった。その中のほんの小さな事だけど、お姑さんのことについて書いてみようと思う。
Xジェンダーの私を深く理解してくれていた夫との生活はとても心地よかった。家事は夫に任せ、私は芝居や創作の仕事に没頭できた。とはいえ、私たちは2人暮らしではない。元々夫は、母との2人暮らしだったため、そこに私がお邪魔する形となった。昔、占星術かなんかの占いで「結婚したら姑との同居は絶対にダメだ」と言われたことが頭をよぎったが、結婚に浮かれまくるあの時の私には全く響かない。
実際お姑さんとはとてもいい関係で生活が始まった。夫作のお好み焼きを3人で囲んだある日のこと。
「私は女か男か自分でよくわからないんです。女らしくすることが苦手で。だから普通のお嫁さんは出来ません。息子さんに家事を任せていることを悪く思わないでください。」
私は声を震わせながら切り出した。お姑さんは意外にも、
「それが個性ってもんじゃろ!」
と笑顔で答えてくれた。
実の家族には言えずに苦しんできたのに、新しい家族には簡単に言えた。この生活を一生大切にしよう、そう誓った。
そして、忘れもしない29歳の誕生日の朝。お姑さんから、ピンクのエプロンをもらった。頭の中がぐちゃぐちゃになった。だけど、グッとこらえてエプロンを巻き付ける。
「あら似合うじゃない!」
というお姑さんは嬉しそう。魔法をかけられたようだった。私はその日から、エプロンをして、あんなに嫌だった家事の全てを進んでするようになった。
そんな生活が続いた半年後、ある朝突然、倒れてしまった。毎日、山のような家事をこなす人には笑われてしまうだろう。2週間、死んだように布団の中にこもって、訳もわからず涙を垂れ流す。エプロンを見ると苦しくなる。
だから、エプロンを新聞紙で何重にも包んで、ゴミ捨て場に投げ捨てた。自分、最低。余計苦しくなった。どうにかなってしまいそうだった。初めて、精神科に駆け込んだ。精神安定剤をもらい、その帰り道、同じエプロンを探し回り、なんとか見つけ、買い戻した。
たまっていた家事を次から次へとやる。こんなに美味しそうに私の作ったご飯を食べてくれる人たちを見て、幸せに思えないなんて私はどうかしてる。LGBTQなんて気のせいだ。そんな心、なくなってしまえ。
そう言い聞かせ、私は日常に戻った。
お姑さんが悪いなんて言いたいんじゃない。むしろとても良くしてもらっていた。だからこそ、この生活を守りたかった。その幸せを守るために自分に嘘をつくということしかできなかった。今も思い出す。あの日、エプロンをもらった時、私はどうすればよかったんだろう。あれから2年が経つけれど、今、考えても、まったくわからない。