映画「落下の解剖学」を観た。

久しぶりに映画館で映画を観てきた。思い立って。
パルムドール受賞作がちょうどやっていたのでラッキー!
アカデミー賞も脚本賞!注目の作品。
なんとなく映画を観たくなった自分の嗅覚を褒めてやりたい。
そんな見ごたえの映画だった。

※ネタばれになる可能性もあるので、まだ見ていない、ネタバレしたくない方は、以下、ご注意ください。

夫が自宅の窓から落下。第一発見者は視覚障害を持つ11歳の息子のみ。
その時、家にいたのは、妻一人。事故か?殺人か?自殺か?
妻に殺人の容疑がかけられ、裁判の中で、家族のリアルが解き明かされていく・・・。

ざっくりそんな感じの話なのだけれど。
裁判のシーンが多い映画だったので興味深く見た。

特に印象に残ったのは弁護士のセリフ、
「事実かどうかが大事なんじゃない、君がどう見えるかが大事なんだ」
(細かい言い回しまでは覚えていません、ご了承ください。)

裁判って、ほんと、そうなんだよね。
やったかやってないか、それは本人にしかわからない。
証拠もない、本人もやってないと言っている、供述に怪しい点はない、そうなったら、無罪。でも、やったかもしれない。それは本人にしかわからない。そこの危うさをフランス映画ならではの余白で、うまく見る側を翻弄する。いろいろ考えながら見ちゃう。最後も、うーん、そうかーという感じ(笑)

妻が殺人の容疑にかけられ、その根拠として、死の20時間前の夫婦喧嘩の音声の録音が夫の持ち物から発見された。その会話がすさまじい。人間!って感じなのだ。このシーンは本当に面白かった。脚本にどんなト書きが書かれているのか、とても気になる。
たったその夫婦喧嘩の一片だけを見て、「恨んでいましたね」「夫婦はうまくいっていなかったでしょう」と言われ、「私たちはうまくいっていた」そう言っても、夫はもう死んでいる。その証言も考慮しながらから裁判官は、結果を出さなきゃいけない。

裁判って、大事なシステムだけど、なんかまだまだ足りないような、でも、人間がこの先も生きていく上で、どこか落としどころって必要なわけで。そういう意味では優れたシステムなのかもしれない。

なんかいろいろなことを考えました。私はフランス映画の余白感、好きです。映画がまた好きになる、そんな映画でした。


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